第13話・メンヘラ学

 部屋には一足先にもみじさんが帰っていたのです。


「どうしたの? 浮かない顔をして」


 そんな顔をしているつもりは全くなかったのです。


「あはは、敵いませんね。言ってもいいのか……」


 基本的にカウンセラーには守秘義務があります。だからすごく悩んだのです。

 ですが、もみじさんには本当に心のそこから敵いませんでした。


「わかったわ。……あら、私たちまずったわ! あの子、典型的なメンヘラちゃんじゃない! てか、それもわかってたはずよ……。あーもう! なんでついつい抜けちゃうのよアタシ!」


 と、もみじさんは自分に憤慨したのです。俺なんて、その精神構造をしっかり理解していないというのに。


「あの、よければ共有してください」


 どんな対応が正しかったのか、わからないまま先に進んでは取り返しのつかないことになりかねない。だからしっかりと知りたい。


「そうね、自分が愛されることに理由が必要だと思ってる人種よ。たまたま知り合ったから、たまたま関わったから。理由なんて、それで十分なのにね? それでもって、あの子の中で自分の価値は限りなく低いわ。自分には女であることくらいしか価値がないと思っているのよ」


 それは、本当に衝撃でした。安売りしているつもりなどずずめさんには全くなかったのでしょう。自分が安いのです。むしろ、それで適正価格のつもりでしょう。

 でも、そんな安い自分を感じて生きているのは、どれほど辛いのでしょう。


「もみじさんは何故、そこまで?」

「アタシも安かったのよ。ただ、女って言う価値すらなくて、気持ち悪いと言われているオカマだったから、無条件に価値が有るって知れた」


 想像もつきませんでした。わかりやすく価値を持ってしまうがために、自分自身の持つ普遍的な価値を見失うだなんて。

 だって、そうです。すずめさんは、美しい容姿を持っています。同じ女性から見ても、羨ましく映ることもあるはずです


「そんな、美しいことはいいことじゃないですか?」


 俺には全然わからないのです。


「あなた、プラチナの価値を知ってる?」


 そんなの言われなくても分かるつもりです。


「宝飾品などでしょうか?」


 ただ、あえて聞かれるということはそうではないのでしょう。きっと否定されるでしょうね。


「そうね、綺麗だものね。でもね、知らないでしょ? ハードディスクに自動車に、工業用の腐食液を作るのにも使われてる。非常に優秀な金属よ?」


 そんなもの、知りませんでした。少なくとも、中学までの間では習わなかったのです。

 いえ、そうではないですね。きっと伝えたかったのは、美しいということに囚われて、ほかの価値に目が行かなくなっていたこの現象でしょう。


「綺麗以外の価値に目が行かなかったわよね? そんな、綺麗しか価値がないと思われたプラチナの宝飾品が、傷だらけになってくすんでしまったら?」


 それはきっと……。


「磨くでしょうね。とても高い宝飾品ですから」


 すると、もみじさんは息を吐き、そして悲しそうに続きを告げました。


「プラチナを装ったメッキの安物指輪なら? そうね、三千円くらいの」


 それがきっと、すずめさんの思うすずめさんのことです。

 しかし、もみじさんはすずめさんはメッキではなく全てプラチナだと言っています。価値を全く否定していません。


「捨ててしまうでしょうか?」


 それがきっと自傷です。

 あぁ、世界は冷酷なほどに公平です。美しければ、人生バラ色とはいかないのですね。美しければ、目が美しさに行ってしまう。自身の、無条件にもっている価値に気づきにくくなってしまう。

 頭では理解できます。でも、それを感情に落とし込むにはほんの少しだけ時間が必要そうです。なぜなら、俺はそれなりに整った顔ですが、それ以外にも価値を認められて生きてきましたから。


「そうよ。簡単に捨てられてしまうだろう。すずめちゃんはきっとそう思ってるのね。はぁ……めんどくさいわぁ。でも、一肌脱ぎましょう!」


 それは、とても心強かったのです。めんどくさいと言いつつも、どこかすずめさんに強い期待を抱いてるかのようなのです。


「あの、もみじさんはなんでそんなに? 俺のように、カウンセラーを目指しているわけではないと思うのですが……」


 だから何故、そこまで頑張れるのかは俺にはわかりませんでした。


「決まってるじゃない。すずめちゃんは、そうなってしまう道筋を一つ知ってるわ。だから、自分と同じ地獄からは救える子になる。それに、いい子よ。そんなに辛いのに、八つ当たりもせず、ただ性という価値と愛という価値の交換というビジネスを行おうとしているだけ。それ以外のところではじっと耐えてる」


 あぁ、そういうことなのですか。だとしたらなんて我慢強いのでしょう。

 風紀委員だのカウンセラーだのと考えるのはもうやめです。彼女の忍耐は、既に賞賛されるべき領域にあります。

 それによくわかりました。確かに、友達じゃなきゃ救えない。対価をもらってないから、無条件の価値をもらっていると表現できる。

 俺は、将来のことなど考えず、ただ今は性を拒むべきでしょう。


「本当に、なんというか……。想像を絶しました」


 だから、ただの友達。しばらくは、在学中はそうであると定めましょう。

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