第8話・本能のまま

 学生は食事を作ってくれる料理人の女性たちの前に列をなし、俺もそのようにしました。

 ところでレディーファーストです。先頭はすずめさん。次に友人である俺に、もみじさん。最後にナツさんとなりました。

 ナツさんはことばは荒いのですが、非常に紳士的な部分もあります。かと思えば、天真爛漫でもあり、非常に人間的な魅力に優れているのです。


「緊張しますか?」


 目の前ではすずめさんが体を硬直させています。


「う、うん……」


 人生初めてのお肉への挑戦がすぐ目の前に迫っているのです。


「お肉なんて、美味しいだけよ! 怖くないわ!」

「だなぁ! 肉も悪くないぜ! つか、食いもんがまずいとしたら使い方が間違ってるってこった!」


 全肯定ナツさんですね。しかし、確かにまずいものはそもそも人類の食材として選ばれていないのです。

 長い歴史の中で、おいしい食べ方が見つかったものが食材とされてきたのです。それこそ本当に豊かで種類豊富。新しく見つけられるものなんて残っていないほど。


 特に日本と中国です。日本は毒があったり見た目がグロテスクなものでさえ、美味しいとわかれば食べてしまうのです。そして中国は、竹すら食べてしまうほどの食欲旺盛さ。もちろん、アジアの料理はほかの国発祥のものも非常に豊富です。


「ありがと……」


 小さい声でした。でもどこか喜びの色が滲んでいます。

 人間を喜ばせるのは簡単なのです。寄り添ってやったり、褒めてやったりです。ほぼ全部、言葉だけで完結します。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 全員料理を持って、食堂のテーブルに腰掛けました。

 俺のお盆には、空の食器がいくつも入っています。今日の昼食はお肉中心です。


「まずはお吸い物からでどうですか?」


 俺は食の好みが渋いとよく言われます。単純に和食が好きなだけなのですが……。

 食べ物で一番最初に好きになったのがお吸い物です。なんの知識もない幼い俺が好きになったのです、きっと理由は体が喜ぶからでしょう。


「肉入ってねーじゃん!」


 ナツさんは少し抗議するものの、すぐにもみじさんが諭してくれました。


「ヴィーガン用じゃないからね。鰹節はれっきとした、魚のお肉よ? そこから染み出したイノシン酸はれっきとした動物性アミノ酸の一種だわ」


 博識でした。俺はそこまで知らなかったのです。

 ただ原型がないから抵抗が少ないだろう。そして、体が喜ぶならすぐ好きになってくれるだろうと思っていたのです。科学的な話は一切なしです。


「試してみる……」


 小さなコップをいくつかもらっていました。その一つに俺はお吸い物を少し移して、すずめさんに渡したのです。


「どうぞ」


 経験を通じて、好きにならないのも彼女の感性です。食事は本能なのです。


「すずめ、待て! 飯には、たくさんの命が関わってんだ。だから、いただきますっての、やらねぇか?」


 米も、葉も、魚も、言われてみれば命です。

 すずめさんは言われて、お盆に盛られた食材を眺めて言った。


「考えたこと、なかった。ヴィーガンだったのに……」


 本来ヴィーガンとはそういう理由だったはずです。動物たちの命をいただくのは忍びない、彼らには痛覚があるから苦しんでしまう。その、道徳的理由からヴィーガンになるはずです。

 とはいえ、植物も命に違いない。だから、敬意をもって食事する。

 俺は、だからこそヴィーガンという考え方そのものは尊いと思うのです。だって、日本のお坊さんにもそういう人はいるのですから。


「じゃあ、今日は初体験が多いな! さ、食おう食おう! いただきます!」


 それが初体験とは、すずめさんの両親は一体どんなヴィーガンだったのでしょう。


「「「いただきます」」」


 疑問は残りますが、全員で手を合わせ唱和して、食事を始めました。

 とはいえ、最初はお吸い物に手をつけるすずめさんを三人で見守るばかり。俺まで緊張してきました。

 すずめさんは、音を立てませんでした。でも、飲んだあと、小さく息を吐いて目をつぶりました。


「……おいしい」


 すずめさんの口からはそんな感想が溢れたのです。


「よかったわぁ! あ、レタス一枚頂戴」


 もみじさんは自分のことのように喜ぶと、すずめさんの皿からレタスを一枚ヒョイと取り上げて肉をそれで包みました。肉と野菜はいつだってマリアージュです。


「これも試してみるか? シャケだ!」


 動物と魚では魚のほうが抵抗は少ないでしょうか。


「あの……俺、多めに頼んだのですが……」


 心配は俺の胃袋です。もみじさんもナツさんも食べろ食べろとやっては、自分が頼んだ分を全て食べなくてはいけなくなってしまいます。


「まぁまぁ! それよりすずめ、かぶりついてこいよ! 女同士だ、気にすんな!」


 すずめさんは、ナツさんから差し出された鮭の切れ端を意を決したように頬張りました。

 咀嚼して飲み込んで、不思議という顔をしたのです。


「なんで、アイツら食べなかったんだろう……」


 どうやらこれも美味しいと感じたようだったのです。

 ならもったいない。ヴィーガンなどというのは、動物の痛みを思って肉や魚が喉を通らない人が実行すればいいのです。あるいは、味が嫌いな人がやればいいのです。

 しかし、ナツさんは本当に他人に資する時ばかり女に戻りますね……。


「こっちもどうかしら?」


 もみじさんは肉をレタスで巻いて、すずめさんに差し出したのです。


「ん!」


 今度はすずめさんも勢いよく。ですが……。


「硬いかも……味は、好き。」


 牛肉はダメだったようです。

 肉の食感は頑固です。野菜は、歯で少し押してやれば噛み切れます。とても素直なのです。

 結局、全員の食事を全員でシェアするような食卓になりました。少しお行儀良くはないかもしれないのですが、ただただ楽しかったのです。

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