9. 権能は特にない!

 魔法で水を出して、わしゃわしゃとシュロを洗った。結局、私の服も濡れちゃうけど、よだれまみれになるよりはマシだ。これでひと安心。


「ふえぇ……スッキリしたぁ!」

「あっ、もう! 水を飛ばさないでよ!」

「あはは、ごめんよ、ステラ」


 水気を飛ばすためにシュロが体を震わせて、その滴が私の顔まで飛んできた。一応は抗議したものの、自然と笑顔が浮ぶ。シュロも笑顔だ。


 そんな私たちとは対照的なのが、ナークさん。考え事でもしているのか、とても静かだ。


「いったい、どうしたんですか? 魔物は倒せたじゃないですか」

「……逆に聞きますが、あなたは何とも思わないのですか? セイクリッドアローがあたったというのに、シュロさんは平然としているんですよ」


 と言われても、セイクリッドアローがどんな法術なのか知らないからね。もちろん、攻撃用の法術だということはわかるよ。魔物を一撃で倒すくらいだから、強力な攻撃なんだとは思うけど……見た目が地味! ピカッと光って、飛んでいくだけなんだもの。シュロに教えてもらった魔術の方が強そうに思えちゃう。


 私の反応が鈍いことを感じ取ったナークさんが“いいですか?”と前置きして解説してくれた。それによると、セイクリッドアローは攻撃用の法術としては中級に位置づけられるらしい。ただし、標的を一体に絞る分、威力は高いんだとか。それは、さっきの魔物の末路を見てもわかる。


「そして、一番の特徴は悪魔への有効性です。相手が悪魔なら、下手な上級魔法よりもよほど強力……なはずなんですけどねぇ」

「悪魔祓いの法術よりも強力なんですか?」

「いや、そういうわけでは。そうですよね……悪魔祓いが効かないんですからね……」


 指摘すると、ナークさんはがっくりと肩を落とした。


 悪魔祓いの法術は、対悪魔において最強の切り札だということは私ですら知ってる。その悪魔祓いが通用しなかったんだから、今更だと思うんだけどね。


「あの、もう一度確認しますが、シュロさんは本当に悪魔なんですよね?」

「ヌイグルミですよ」

「いや、その言い訳はさすがに……」


 完璧な言い訳……のはずなのに、ナークさんは苦笑いだ。マドゥール文明なら、動くヌイグルミくらいあってもおかしくないと思うんだけどなぁ。


 でもまあ、そういうことなら私に答えられることはない。だって、私もシュロが悪魔かどうか確信が持てないんだもの。


 自然と、私とナークさんの視線がシュロへと向かう。それに気づいたシュロが小首を傾げた。


「なぁに、僕が悪魔じゃないと思ってるの? どこからどう見ても悪魔だよ!」


 両手を大きく振りながら、シュロが抗議する。でも、必死でアピールすればするほど悪魔には見えないんだよねぇ。


 まあ、私としては、すでにシュロが悪魔だとしても気にならなくなっている。大事なのは種族じゃなくて可愛さだ!


 ……あ、いや、違った。可愛さも重要なポイントだけど、大事なのは心を許せるかどうか。そして、信じられるかどうか、だ。


 出会ってから日が浅いけど、シュロはいい子だと思う。もちろん、悪魔らしく、本性は別で、私を騙しているという可能性もあるけど……今のところ、一度も契約を持ちかけられたことはないんだもの。もし悪魔だとしても、一般的にイメージするような悪魔とは違う気がするよね。


 とはいえ、ナークさんとしてはなかなか受け入れがたいのかな。めげずにシュロの正体を見極めようとしているみたい。


「うーん。そういうことなら、質問してもいいですか?」

「なぁに? 言ってみてよ、ナーク」

「シュロさんの権能は何ですか?」

「ふぇ?」


 シュロが再び首を傾げた。ナークさんの質問の意図がわかっていないみたいだね。もちろん、私にわかるわけもない。


「ナークさん。シュロがピンと来てないみたいですよ、その権能というのはどういう意味なんですか?」

「うーん、そうですねぇ――」


 ナークさんが言うには、悪魔はそれぞれ、その存在を象徴するような力を持つらしい。それが、権能。例えば、焦熱の魔人の異名を持つ悪魔レヴァンティアの権能は業火。レヴァンティアの契約者は強力な炎の力が得られるんだって。


 そういえば、シュロに教えてもらった魔術の名前が“レヴァンティア・バースト”だったね。レヴァンティアという悪魔の力を借りる魔術だったみたい。


「ああ、権能ってそういうのか」


 シュロが頷く。どうやら、ナークさんの話の意図が伝わったみたいだね。さて、シュロの権能っていったい何だろうか。ヌイグルミ……ってことはないよね、さすがに。


 何となくドキドキする緊張の一瞬。私とナークさんが息を呑む中、シュロがおもむろに口を開いた。


「僕の権能は――――特にないよ!」


 溜めまで作って発表したのに、なんという肩透かし! 


 ナークさんなんて、予想外の答えに固まっちゃってる。あ、いや動き出した。


「……ない? それは“無”が権能ということでしょうか?」

「違うよ。何の権能もないってこと」

「そんな馬鹿な。悪魔とは必ず権能を持つ物なのでは……?」


 シュロは軽い口調で話しているけど、ナークさんにとっては受け入れがたい内容みたい。戸惑いが許容量を大きく超えちゃってるのか、何ともいえない表情になっているね。


 でも、そんなこと気にもせずにシュロは続ける。


「それは違うよ。そもそも、悪魔には権能なんてもの、なかったんだよ。人間がそういうものだと望んだ結果なんだ」

「望んだ……?」

「そうだよ」


 シュロの話によれば、悪魔の持つ権能の起源はスロヴォアーデ文明――悪魔崇拝が盛んだった時代にあるらしい。


 当時、人間は欲望のままに悪魔の力を借りた。憎いアイツを焼き殺して欲しいとか、凍てつく心のまま敵を討ちたいとか、そんな想いとともに。


 悪魔は想いに応じた力を貸す。焼き尽くしたいと想えば炎の力を、凍てつかせたいと想えば氷の力を。そうするうちに、人間たちの間で悪魔に対するイメージが固定化されていったらしい。“焼き尽くす悪魔といえばレヴァンティア”というふうに。イメージが定着し、強固になるほど、悪魔のふるう力はイメージ通りの方向に特化していく。やがてそれが、悪魔の持つ権能となったみたい。


「ふぅん。それなら、どうしてシュロは権能を持ってないの?」

「それは簡単だよ。僕、その頃から一度も召喚されてないもん。こっちに来たのはずいぶん久しぶりなんだ」


 人に召喚され、力を貸し与えることで、権能を持つに至る。逆に言えば、召喚されなければ、権能を持たないままってことみたいだね。

 

「ということは、シュロもいつか何かの権能を持つかもしれないの?」

「んー? まあ、そうかもしれないね。ステラ次第かな」

「そうなんだ」


 うんうんと頷いていたら、ナークさんが凄い顔で私を見ていた。さっきから、おかしな顔ばかり見てるけど、その中でもひときわ凄い。ナークさんを慕う女の子には絶対見せちゃいけないやつだ。


「ステラさん次第……? まさか、“ヌイグルミ”が権能の悪魔が誕生するなんてことはないですよね」


 ぽつりと呟くナークさん。何故かおののいているように見えるけど……ヌイグルミの悪魔、悪くないよね?

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