第2話 恋愛成就は専門外

 お礼参りを済ませてから半月ほどが経ち、その後はお狐さまが 現れることもなく、僕は平穏な毎日を送っていた。木々の緑が濃くなる頃、新入生のサークル勧誘や歓迎会などで騒がしかった構内も落ち着きはじめ、大学の日常が戻ってきていた。


講義が終わり、帰り支度をする学生たちの声でガヤガヤしている大教室で、隣に座っていた友達の熊谷が、あくびをしながら伸びをした。講義中は熟睡していたくせに、講義が終わると不思議に目を覚ます。


「春はいくらでも寝られるなあ。ところでお前、最近何だか楽しそうだな。バイト先で彼女でもできたのか」

「そんなことないけど。でも、気になる娘はいるかも」

「いいなー。俺にも誰か紹介してくれよ」


バイトを始めてひと月ほどが経ち、圧倒的に女性比率が高い職場で、何人かの女の子と雑談をするぐらいには仲良くなった。


なかでも美緒ちゃんは今、一番気になる存在だ。彼女は大学は違うが同い年で、バイトのシフトが重なることが多い。


丸顔でぱっちりした大きな目、小柄でいつもほんのりピンク色のほっぺたがかわいい。彼氏がいるのかいないのか、まだ聞けていないのだが、僕はなんとか彼女との距離を縮めたいと機会をうかがっていた。


 そんなある日、チャンスは突然やってきた。休憩室で、僕のリュックにぶらさがっているリスのキーホルダーを見た美緒ちゃんが、僕に声をかけてきた。

「かわいいね。どこで買ったの?」

「ガチャで。たまたま出てきたんだ」

「実家でシマリスを飼っているから、ついリスのグッズに目が行っちゃうんだよね」

「リスを飼ってるって、珍しいね」

「お父さんが突然ペットショップで買ってきたの。結構頭いいし、かわいいよ」

「そういえば、町田にリス園っていうのがあるって聞いたことがある」

「リス園?」

「そう。リスだけの動物園」

「そんなのあるんだ。面白そう」

「今度、一緒に行ってみる?」


僕にしては上出来な感じで誘いの言葉がすんなり出て、次の土曜日にリス園に行ってみようということになった。これは結構、脈があるのではないだろうか。僕の胸は高鳴った。


ところが、いつの間に側に来ていたのか「リス園に行くの? 私も行ってみたかったんだ」と急に会話に入ってきたのが桜沢さんだ。彼女は美緒ちゃんと同じ大学に通っていて、二人は仲がいい。


美緒ちゃんが何の屈託もなく「じゃあ、一緒に行こうよ」と答えるので、僕の有頂天な気分はジェットコースターのように急降下した。せっかく美緒ちゃんと二人で出かけるチャンスだったのに。桜沢さん、無神経すぎる。馬に蹴られて死んでも知らないぞ。


でも、最初から二人だけでお出かけというのも何だか重たく思われそうだし、ここは3人でもいいか、と僕は気をとり直した。少々空気の読めないところはあるが、桜沢さんはわざと邪魔するようなタイプの娘ではない。


誰にでも気さくに話しかけるのでパートのおばちゃんにもかわいがられているし、僕がバイトに入りたての頃にも、いろいろ教えてくれた。そうだ、こうなったら熊谷も誘ってやろう。


「というわけだから、今度の土曜日だけど、お前も一緒に行く?」と熊谷に声をかけると、奴は「行く行く」と食いつき気味に乗ってきた。

「リス園だろうが、サル園だろうが、どこでも行くとも。っていうか、二人ともかわいいんだろ?」

「桜沢さんも普通よりは上かな。性格はちょっと雑だけど。言っとくけど、美緒ちゃんは僕が先に目をつけたんだからな」

「わかった、わかった。男の友情はハムより厚いぜ。安心しろ」


 教室を出て熊谷と別れ、裏門に向かった。バイト先のスーパーに行くときは、裏門から出たほうが近いのだ。例のお狐さまの鳥居が目に入るが、あえて視界に入れないようにして、そそくさと通り過ぎる。


一瞬だけ、美緒ちゃんと付き合えるようにお願いしてみようかという思いがよぎったが、そんな思いはすぐに打ち消した。我ながら女々しいと思ったし、またお狐さまに出てこられては大変だ。あんな恐怖体験は二度としたくない。


バイトが終わってアパートに戻り、ドアを開けて電気をつけた途端、椅子に座って新聞を読んでいる人影が目に飛び込んできたので、僕はのけぞらんばかりに驚いた。


広げた新聞に隠れて上半身は見えないが、赤と青と緑が入り組んだ妙に派手な柄のスカート、そこから伸びるすらりとした脚。そして室内なのに赤いハイヒールを履いている。


僕は直感した。これはあのお狐さまに間違いない。5秒ほど固まっていた後で、僕はようやく声を絞り出した。


「お礼はしたし、その後は何もお願いしていません」

声が震えている。

「最近の人間はドライねえ。お供え物も成功報酬って感じなのかしら」

新聞の陰から聞き覚えのある声がした。なぜか日経新聞を読んでいる。もちろん僕は新聞なんて取っていない。

「これ以上どうしろと」


ばさりと新聞を下ろし、お狐さまは僕を見据えた。明るいところで見るお狐さまは、暗闇で見たときよりも一層妖しい美しさを放っている。栗色に近い艶のある髪に、抜けるように白い肌。そして何よりも印象的な、切れ長の目。その目が僕をじっと見つめている。僕は蛇ににらまれたカエルのように、立ちすくんでいた。


「さっきは、何だか用ありげに通り過ぎたわね」

見られていたのか。

「いえ、何も願いごとはないです」

「そうね。お願いされたところで、恋愛成就は専門外だし」

美緒ちゃんと付き合えるようにお願いしようとしたことまで、しっかり見透かされている。

「じゃあ、なんで来たんですか」

「最近、誰もお参りに来てくれないのよ。掃除のおじさんはきれいにしてくれるけど、別に信仰心はないし」

構ってちゃんか。


「掃除してくれる人がいるなら、いいじゃないですか。荒れ放題なら問題だけど」

「そういう話でもないのよね。毎月、1日と15日だけでいいわ」

「へ?」

「油揚げとお神酒みき、よろしくね」

そう言い捨てて、お狐さまの姿はパッと消えた。


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