不思議の国のバカども
智恵
第1話 青ずきんとアリス、旅に出る
【むかぁしむかし。森の奥深くにある家に、それはそれは幸せそうな、とても仲のいい家族が住んでいました。茶色い頭巾を被った力持ちのお父さん、黄色い頭巾を被った優しいお母さん、そして明るくて元気な、赤い頭巾を被った女の子。
しかし、これほど幸せそうな家族にも村人たちには理解できないことがあったのです。
それこそ、この家族で一番下の男の子、青い頭巾を被った男の子の存在でした。
赤い頭巾の女の子は、とても勇敢な子でした。そのエピソードの一つに、オオカミとの対峙があります。女の子は、遠くに住むおばあさんの家まで一人でおつかいに行き、なんとオオカミに食べられそうになったのです。女の子は、おばあさんを守るためにどうしようかと必死に考えていました。そのとき、思い出したのです。おばあさんの家まで来る途中で出会った狩人を。きっと助けに来てくれる。だって、何かあったらすぐに助けに行くと言っていたから。女の子は勇気を振り絞り、指笛で知らせました。
すると、しばらくしてから、ドォン…という音とともに、オオカミが倒れていたのです。狩人が赤ずきんの女の子とおばあちゃんを助けたのでした。狩人は二人を村に連れて帰ってから、村人に言いました。
「銃でオオカミを撃ったのは、確かに僕だ。しかし、赤ずきんの女の子が勇気を出して助けを求めなかったら今頃二人とも死んでいただろう。勇気のある女の子こそ褒めたたえるべき存在だ。」
その日から『赤ずきんちゃん』と呼ばれ村の人気者になりましたが、やはり村人が気になっているのは青い頭巾の男の子でした。赤ずきんちゃんの弟ということはわかっていましたが、それ以外に特筆すべき事柄が一切なかったのですから。
そして今日も、村人達は口々に語るのでした。】
「あの家の青ずきんを被っている弟には、なにができるんだい?」
「あんなに勇敢で可愛くて元気なお姉ちゃんがいるのに、あの子は愛想がないね。本当に血が繋がっているのかい?」
「こういっちゃあなんだけど…一家は恥ずかしくないのかい?」
青ずきんの少年は、耳をふさいだ。
―はぁ。まただ。もういいよ。わかったから。僕はこの家の癌だよ。そんなこと、とっくにわかってるんだよ。血のつながりなんて関係ない。父さんも母さんも姉さんも。みんな僕のことはとっくに諦めてるよ。
今日も村人たちはマオの家に来て、両親と世間話をした後、マオの今後について好き勝手言って帰っていった。
その本人はというと、人目につかないよう家の裏で静かに薪に向かって斧を振りかざしていた。そろそろ、父親が文句を言いに来る。
「お前は今後どうするつもりだ。いつまで親のすねをかじるつもりだ?お姉ちゃんを見習え」
毎回同じことだ。
―いつまでって、僕はまだ14歳なのに、親のもとで過ごすことが、『すねかじり』になるのだろうか。いや、なるんだろうな。だって狩人のお兄さんは確か、17歳で狩人になり、あの件がきっかけで姉ちゃんと結婚したし・・・
マオはそこで、はっとした。今日は姉さんと狩人の兄さんが帰ってくる日ではないか。帰ってきたらまた、父さん母さん姉さん兄さんが勢ぞろいでマオを責め立てる。
―…いや、もう眼中に入ってないのかも。どっちに転んでも結局、息苦しくなるだけだよな。だったら、もういいや。僕がここにいなくても成立するんだったら…。逃げよう…。
「マオ?どこにいるんだ?もうすぐアコ達が帰ってくるんだぞ?挨拶もできないとは情けないと思わないのか?」
父さんが、マオの名前を呼んでいる。今更、姉さんたちに挨拶しない程度で情けないなんて思うはずがない。みんな眼中にないはずだから。
マオは走っていた。森の奥のさらに奥深くの、おおよそ人が来る場所ではないであろう場所まで息を切らしながら走っていた。
気が付けば、見たことのない場所にいた。今は昼なのに、背の高い木々に囲まれて日が差し込んでこない、とても暗い場所まで来たようだ。
「なにか出そうだな…」
―もし、何か出てきて、例えばオオカミとか。そういう怖いものが出てきても、たぶん僕は逃げないだろう。もし本当に現れたら、怖いとは思うだろうけど「まぁいいか」という気持ちが勝つだろうな。
そんなことを思いながら、より奥深くに歩みを進めていくと、かすかに光が一筋見言えた。それを頼りに進んでいくと、目の前には見たことのない光景が広がっていた。
「なんだこれ?トンネル?」
高さは、ちょうどマオと同じ身長分、幅は体三つ分くらいだろうか。トンネルというには、小さい奇妙な穴だった。
マオは足がすくんだ。
先ほどまでは、オオカミに殺されてもいいと思っていたのに、ここに入ることはそれ相応の覚悟が必要なのではないか。そういう風に思っていた。
「…帰ろう」
もしかしたら、家族の一人くらい心配してる人がいるかもしれない。そう思って、踵を返そうとしたその時。
ドォン…
何やら銃声が聞こえる。狩人の兄さんが父さんと狩りをしに行っているのかもしれない。
ドォン…ドォン…ドォン
それにしても今日は下手だな。いつもだったら、一発で仕留めるのに…。
「…父さんたちじゃないのか?」
猛烈に嫌な予感がした。虫の報せなのかなんなのか。とにかく早く家に帰らないと。
マオは必死に走った。
―もしかしたら今日の獲物は大きすぎて一発じゃ仕留められなかったのかもしれない。そうだ。きっとそうだ。僕が汗だくで帰ったのを見て、母さんはげんなりした顔で「早くお風呂に入りなさい」っていつも通りの呆れた声で言うし、父さんはそんな僕を見て、ため息をつく。姉さんと義兄さんは、苦笑いをした後、僕を視界に入れずに会話を続ける。そうだ。いつも通りの毎日が続くだけだ。だから、大丈夫、みんないつもどおりだ。
―赤…。
マオが家について、最初に思ったことだ。
―真っ赤。
床も、窓も、壁も、テーブルも…。そして家族が真っ赤になって倒れこんでいた。その先には、銃を持っている獣。
「…オオカミ…」
二足歩行。手先で器用に銃を持ち、笑いながらマオのほうへ向く。
「おや~まだいたのか~。」
―しゃべった…。
「んん。もう弾がないんだよな~。へへへ。お前、運がいいな。」
「…食うのか…?」
マオは妙に冷静だった。
―家族は多分…死んでる…。だったら僕も、このオオカミに殺される。まあ、いいか。僕なんて、生きていても役に立たないし。
と、頭の中で冷静に考え、目をつむった。
しかしオオカミは
「食うわけないだろ。お前みたいなガリガリの体なんて。ここに倒れてるやつらもそうだよ。オレを見た途端『食うな』だ『出ていけ』だ。オレはただ、食べ物が欲しかっただけなのによ~。まあ、オオカミがしゃべってんだし、そりゃビビるよな~。って思ってたら、オレにコイツを向けてきたんだ。『出ていかないと撃つぞ』ってな。」
目の前のオオカミは、淡々と語っていく。まるで昔話を話すかのように。
「そんで、コイツを奪って、マネしながら指をひっかけたんだ。そしたら、そこの兄ちゃんが真っ赤になって倒れてよ。そこから何か叫んで、赤いずきん被ったそこの女が斧を振りかざしてきたから、同じようにコイツに指ひっかけたのよ。そしたら、もぞもぞした後、動かなくなったんだ。あとの二人も同じだよ」
マオは足がすくみながらも踏ん張ってその場に立っていた。
「だからお前のことをどうにかしようなんて考えてねーよ。そこらへんにある食べ物食べてたらおなかいっぱいになったし、オレは帰るよ。じゃあな。 ―あ、そうだ」
オオカミが僕を通り過ぎようとしたとき、なにか思い出したかのようにこちらを振り返った。
「お前、マオっていうのか?」
「…なんで…」
「いや、これに『マオ』って書いてあるからよ~。これはいらねえから、置いてくぜ。今度こそ、じゃあな。」
オオカミが置いていった白い手紙のようなもの、そこにはマオを狂わせるには充分のことが書いてあった。
『誕生日おめでとう マオ。愛してるよ。』
あ。なんだ。たんじょうび。だからみんな、あつまってくれたのか。
ああ。そうか。
ああ。ああああああああ。ああああああああああ!!!!???
あああああああああ!!!!!!
あああああああああああああああああああ!?!?!?!?!
―僕がみんなを殺したようなものじゃないか。
真っ赤に染まった家族に囲まれながら、マオは、15歳になった。
2
―なんで僕は、ここにいるのだろう。
―僕は今何をしているのだろう。
いま視界に映っているのは、力なく伸ばされたマオの足と、そのそばに流れている赤。赤。赤…。
「…っは!」
―そこで思い出した。そうだ。僕は…。
顔をあげてみれば、そこには先ほどと何も変わらない、真っ赤な海で寝ている家族。そしてマオの手には家族からもらうはずだった誕生日カード。
「…父さん…母さん…姉さん兄さん!…僕が…僕が。…ごめん…」
謝ったところで時間は戻らない。そんなことぐらいわかっている。でも、体も動かなければ、頭に浮かぶのは繰り返される意味のない謝罪だけ。項垂れて、ただ時間が過ぎていくだけだった。
そのとき。
トントントン
ドアを3回ノックする音で、再度顔を上げる。でも相変わらず足は動かない。すると、
トントントン。トントントン。トントントン。
しつこいその音に苛立ちをおぼえたマオは、グッと立ち上がり、勢いよくドアを開けた。
「なんですか。今は手が―」
ドアを開けたのに、目の前に人がいない。
ため息とともに視線を下に落とすと白い物体があった。いや、一瞬わからなかったが、これは、白ウサギだった。よく見ると、赤い軍服のような服に、眼鏡、時計まで身に着けていた。
「…ウサギ?君がこのドアを叩いたの?」
マオは、人に話しかけるように尋ねていた。そんな自身が滑稽で、思わず口元が緩んでしまう。その上、目の前に自分より上等な衣服を身に着けているウサギがいるのだから、なおのこと、おかしくて笑ってしまう。
そこでふと思い出す。
―そういえば、さっきのオオカミは僕と会話をしていた。それに文字も…。あいつは、なんだったんだ。
つい先ほどまでいたオオカミのことを思い出していると
「これは失礼いたしました。初めてお会いしたにもかかわらず、名前を名乗らない私をお許しくださいませ。」
そう言って、目の前のウサギは深々と頭を下げた。
「…喋った。君も…喋れるの?」
目の前で起きた奇妙な光景に狼狽えていると、ウサギは右手を胸にあて、頭を下げながら名乗った。
「私はニベンズと申します。この森の奥のさらに奥に位置している『トンネル』。そこをくぐった先にあるリデル家に仕えている執事でございます。」
ニベンズと名乗る白ウサギの話を僕は混乱しながら聞いていた。
「執事…?それに『トンネル』って、あのトンネルのことかな。今日、森の奥深くまで行ったときに初めて見たんだ。そしたら―」
僕はそこで、家族のことを思い出した。そして、自嘲気味に笑った。
「どうされましたか?」
「いや…僕の家族が…さっき、オオカミに殺されたんだ。君が来るまで体は動かないし、頭も働かなかったのに、君と喋っているうちに…存在を忘れてた…ははは。自分でもビックリしてるよ。たぶん僕は―」
口が勝手に動いて、いらないことをベラベラ話していたが、最後の言葉を発する前に、マオは自分自身に急ブレーキをかけた。そのまま家族のほうを見ることが出来ず、ニベンズとともに外に出ることにした。
―何を言おうとしたんだ。僕は。
「…そのような事態に…。もしかして、そのオオカミは言葉を発していたのでは?」
思わずニベンズを見る。しかし、マオが疑問を口に出そうとした瞬間
「先ほど、あなた様が『君も喋れるの?』とおっしゃっていたので、もしかしたらオオカミも喋っていたのでは。と思ったまででございます。そして、私が仕えるリデル家がその原因だと…。」
ニベンズはまっすぐマオに説いた。
「…リデル家が原因?」
「はい。おそらく私の国のトランプ兵どもの仕業でございます。」
「トランプ兵?」
またわけのわからない言葉が出てきたが、続けて聞いてみる。
「トランプ?それに兵?…そのトランプ兵?ってやつが犯人…いや、えーっと。ん?ごめん。ちょっと混乱してるかも」
自分で聞いておいて意味が分からなくなっていたが、ニベンズは続ける。
「トランプ兵は、リデル家の兵隊の総称でございます。全部で一二名いるのですが、その兵たちが、なんと謀反を起こしたのです。手始めに、私は『ある薬』を飲まされ、ウサギの姿に変えられてしまい…」
「え?君、元々人間だったの?―あ、でもそうか、さっき執事って言ってたし…。あーごめん!ずっと混乱してる!」
「混乱するのも無理はございません。なにせいま現在、―正確には昨日から、私が仕えるリベル家では大混乱を起こしています。そのトランプ兵は『ある薬』を私に飲ませたあと、『トンネル』をぬけてしまったのですから。」
「さっきから言ってる、『トンネル』っていうのは何なんだい?ただのトンネルだろう?それと、『ある薬』っていうのは?」
頭が少しずつ整理できていったが、疑問は多く、気になることをすべてぶつけた。すると、ニベンズは絶望を絵にかいたような表情で言った。
「『トンネル』とは、様々な国につながるツールでございます。もちろん、誰の所有物でもないですし、見つけにくいだけで誰でも通れるものなんですが、あの日、兵の一人がその『トンネル』見つけ、通ってしまったのです。しかし、ただ通るだけではなく…」
「…もしかして、そいつが僕らの国に来て、オオカミにその『薬』を飲ませ、僕の家族に…。その薬も、君の国で作ったもの…なんだろうね。」
つまりは、謀反を起こそうとした兵どもが、手始めに『薬』を使ってリベル家を陥れ、その兵のうちの一人が僕の国につながる『トンネル』を通り、偶然見つけたオオカミに『薬』を飲ませて言語や二足歩行など、人間に近い存在にさせて家族を殺した。
―なるほど、僕も混乱してるけど、リベル家はもっと混乱してるだろうな。兵が突然裏切ったんだし、もしかしたら国民にもこの失態が知れ渡っているのかもしれない…。
「…『ある薬』っていうのは、君が作ったのかな?」
「いえ、私ではなく、私が仕えるリデル家の御長男です。名前を『アルカ』様と申します。色々な草花を掛け合わせて、ケガや風邪を治す薬剤師として働いていました。しかし、その薬の中に、まさかこのような恐ろしい薬があったとは…。しかも、あろうことか、トランプ兵に…。」
「アルカ…。その人が家族の仇と言っても過言ではないようだね…。」
やけに低い声が出た。ニベンズが息を詰めた気がした。そのままゆっくり、ニベンズを見た。
「ニベンズ…。僕をアルカのもとへ連れて行ってくれないかな。」
ニベンズは自身の顔が引きつっていくのを感じた。しかしマオは、そんなニベンズを他所に話を続ける。
「あ。でもさっき君は『働いていた』と言っていたね。もしかしてアルカは国を去ったのかな。」
「…はい。その通りでございます。アルカ様はトランプ兵が国を去ったあとに、姿を消しました…。」
「そうか…。」
―ニベンズの国に行っても、アルカには会えない。でも、さっきニベンズは言った。『長男』と…。
「アルカが長男だとしたら、他に兄弟姉妹はいたのかな?…ああ、そんな怖がらないで。でもね、君にも、わかるだろう。僕は、その薬を作った張本人に…。アルカに復讐しなければいけないんだよ。」
―なんだろう。胸がざわざわする。『復讐』か…。
ニベンズは相変わらず青い顔をしている。マオは自分の口角が上がっているのが分かった。
3
ニベンズは困惑していた。
あれからマオは、義兄の遺体のポケットから弾を抜き取り、オオカミが置いていった銃にその弾を詰めた。その後は、ニベンズに手伝ってもらい、家族全員の遺体を庭に埋めた。
「さすがに家族の体の中の銃弾は取り除けないから我慢しないとね。」
―我慢?家族を失って、正気を保てることは難しいとは思うが、この人の落ち着きようは一体なんなんだ?
言いようのない違和感と恐怖を覚えつつもマオに従い、その後『トンネル』に向かった。
森の奥深く、先ほどマオが見つけた『トンネル』を見つけると、ニベンズは、どこかへ電話をした後、マオに言った。
「マオ様、この『トンネル』の先は、私たちの国です。先ほども申した通り、謀反を起こしたトランプ兵どもが、何かを仕掛けている可能性がございます。お恥ずかしいことに、今の私の力では、マオ様をお守りできません。勝手を言っていることは充分承知です。どうか、ご自分の身はご自分でお守りくださいませ。」
マオは黙って頷き、銃を握りしめながら『トンネル』の中を進んだ。
「真っ暗だな」
『トンネル』の中は、明かりが一つもない真っ暗な場所だった。すると、ニベンズがポケットから何かを取り出した。
「私がマオ様の国へ向かう途中、この『トンネル』内で使用していた暗視ゴーグルでございます。恐らく暗闇はこれで対応できるかと」
「…ありがとう。でも、さっき言ってたトランプ兵が、いきなり襲ってきたら、すぐさま対応するのは難しいね。君は、よくケガもなく僕の国に来れたね?」
ニベンズはまっすぐ前を見ながら答えた。
「もし襲ってきたとしても向こうより、暗視ゴーグルつけている私たちのほうが、動けるでしょう。それに、マオ様の国へ向かった時は、すべて理解した後だったのです。」
「理解?」
「はい。先ほど伝えた通り、トランプ兵どもは全部で12名。そして各々12の国へ向かったのです。『トンネル』を使って…。」
「なんでわかったの?」
マオはトンネル内を見渡しながら、ニベンズに尋ねた。
「トランプ兵どもには各々にGPSを埋めておりますから、すぐにわかりましたよ。まあ、トランプ兵どもは気づいていないでしょうが」
マオは、ニベンズの言葉に気持ち悪さを覚えた。
「そりゃ逃げ出したくもなるよ…」
独り言のようにつぶやいた。ニベンズは、「何かおっしゃいましたか?」と聞いてきたが、マオは首を横に振った。
「もしかしたら、GPSの存在を気付いていた人もいたんじゃないかなって思ってね。バラバラで行動して、ついた国で自分に埋められているGPSを取り除いた後、更に他の国に逃げる。どこかの国で落ち合う約束とかしてたりして…」
マオは思いついた仮説をペラペラ喋った。すると、ニベンズの足が止まった。
「…まさか…そんなことあるわけございません。もしそれが本当なら…何が彼らを苦しめていたというのですか…」
―そんなことも、わからないのか。このウサギは。
マオは答えなかった。
お互いに無言のまま歩みを進めると、出口の光が見えた。二人はそのまま突き進み、『トンネル』を抜けた。そのとき、マオはふと思った。
「そういえば、僕の国に来たオオカミは、どこに行ったんだろう。『トンネル』にはいなかったよね。それに、オオカミに薬を飲ませたトランプ兵もいなかったし。」
「オオカミについては、もうじき報せが来ると思います。そして、マオ様の国にいたトランプ兵はGPSによりますと現在、別の国にいるようですな。」
ニベンズは淡々と答えた。なにもかもが謎で、わからないことだらけの事態に、ため息が出そうになるマオの隣でニベンズが続ける。
「実は先ほど、トランプ兵の頭首へ連絡しておいたのです。なので恐らく、もうじき頭首が何人か軍警を引き連れてマオ様の国へ向かい、オオカミを捕獲するでしょう。その際、オオカミに『薬』をどこで飲まされたのか、誰に飲まされたのか。など、いくつか質問をしたのち、撃ち殺されるはずです。」
「…そう。可哀そうではあるけど、仕方ないことなのかもね。―それよりも、さっきトランプ兵は各々12の国に逃げたって言ってたのに、もう僕の国から、別の国に移ったんだよね?…僕は自分のいた国しか知らないからわからないんだけど、そもそも『トンネル』から、つながってる国っていくつあるの?」
そう口にしたところで、マオ達は門の前に到着した。そしてニベンズは門に手を添えながら答える。
「それについては、私より今からお会いする、リデル家の御長女で、アルカ様の妹君であられます『アリス』様が詳しいかと存じます。」
優しく流れる噴水。青や赤の花。その周りを優雅に飛び回る蝶々や鳥たち。
開かれた門の先には、今マオ達に起きている奇々怪々な出来事とは裏腹に、平和そのものといった光景が広がっていた。
「トランプ兵」や「執事」といった、普段、聞くことのない単語を並べていただけあって『家』というよりも城と表したほうが適切であろう豪邸に、マオは口を開きっぱなしにしていた。
呆気にとられているマオを見たニベンズは苦笑気味につぶやく。
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。リデル家の皆さんは、お優しい方ばかりですから。」
それからニベンズは、マオをアリスのもとへ連れていった。見慣れない景色の連続でマオの口数は少なくなっていたが、二人が歩く速度は落ちることなく、しばらくしてアリスのいる部屋に辿り着いた。
「アリスは、僕が来ることは知らないだろう?案内してとは言ったけど、いきなり来て大丈夫だった?」
「おそらく驚かれることでしょう…」
ニベンズ、ビクビクと答えた。
「『今』のアリス様に会っていただければわかりますよ。」
そういってドアを開けた。マオは、ニベンズの言った意味がすぐに分かった。
「もう!お兄ちゃんはどこに行ったのよ!こんなに大変な騒ぎ起こして!なに逃げてんのよ!」
服は散らかり、恐らく枕から出たであろう羽毛が飛び散っており、その真ん中で一人暴れている女の子がいる。長い金色の髪に、水色のワンピース、その上から白いフリルのエプロンを着けている。
その子の周りには、使用人と思われる何人もの人がオロオロとしていた。
―あの子がアリス? またしてもマオは、開いて口が閉じなかった。
すると、アリスが勢いよく振り向いた。マオはビクっとなりながらも目を離さなかった。
「…誰?」
「…アリス?」
それだけの会話を交わした後、アリスは傍にあったナイフを持ち上げ、マオに向かって振りかざした。咄嗟のことだったが、マオは体を反らし、ナイフを持つアリスの腕を掴んだ。
「…いきなり危ないな…君、アリスだろ?」
「あなたの名前を先に名乗ってよ。」
「マオ」
「どこのマオ?」
二人のやり取りをヒヤヒヤしながら聞いていたニベンズは、アリスに向かって叫んだ。
「アリス様!マオ様は、トランプ兵に御家族を殺められてしまったのです!森の奥にある『トンネル』の向こうの国から、私と一緒にやって参りました!」
「…そう…ですか。しかし、マオさん、、あなたもご存じかもしれませんが、もうこの国には、トランプ兵も、薬を作った張本人である兄もいません。」
アリスは、髪色と同じ金色の瞳で、真っ直ぐマオを見た。
「…代わりに私を殺しますか?」
その瞳を見た途端マオは、あることを決めた。
「…僕は、ここにつく前は、君のお兄さんを殺そうと思ってたんだ。」
アリスは、その言葉を聞いた瞬間、口をぎゅっと結んだ。
「…君のお兄さんは僕の家族を殺したも同然なんだよ。復讐くらい考えてもおかしくないだろう。…でも、やめたよ。」
ニベンズもアリスも理解が追い付かないといった顔でマオを見た。そして呼吸を整えたマオの口から、ある提案が吐き出された。
「君達に、案内してほしい。」
「…は?」
ここにいる誰もが予想できなかったその提案だった。どこに?なぜ?その無言の問いにマオは答える。
「君達は、恐らくお兄さんがどこにいるかなんて知らないだろう。でも、トランプ兵の場所ならわかるんじゃないかな?さっきニベンズが言ってたけど、そいつらには、GPSが埋め込まれてるんだってね。だから、トランプ兵のところまで案内してほしい。―いや、してくれるよね。」
有無を言わせない。そんな言葉と音と目で語るマオに、その場にいた者は体を動かせないでいた。
その沈黙を破ったのは、アリスだった。
「…わかりました。でも案内は私一人でします。いいですね。」
「そんなアリス様!私も行きます!」
「ううん。ニベンズは、ここに残って、憔悴しきってるお父さんとお母さんを守ってほしい。そしてこの国を見ていてほしいの。」
アリスはニベンズではなく、マオの顔を真っ直ぐ見ながら言った。マオもアリスから目を離さなかった。
「ありがとう。アリス。よろしく」
【こうして、『不思議の国』の住人であるアリスと、赤ずきんちゃんの弟であるマオの旅が始まりました。
―トランプ兵を捕まえ、復讐をする。
―復讐のため・・・
果たして、それだけなのでしょうか。】
不思議の国のバカども 智恵 @c1221
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