第39話 今攻め込むべし

 ミロス王国のクローゼの仕掛けにより、対決の日が近づいていることを見越したヨハンは、こちらから先んじて攻撃に打って出ることを、トパール公爵に提案した。

「公爵閣下、今ミロス王国へ攻め込めば、準備の整わない王国軍をこてんぱんに叩きのめすことができます。ぜひ出征の許可をいただきたいのですが」


「ヨハン、なにを言うか。ゲルハルトと戦って勝ったときに、私が追撃せよと主張したのに聞く耳も持たなかったではないか」

「あのときは後詰めにクローゼが控えていましたので、そのまま勢いに乗って攻め込んでいたら、クローゼの神速の用兵に対抗するのは難しかったのです」


 トパール公爵はふて腐れたような表情を浮かべている。

 領主である以上、やはり自分の意志で戦いを仕切りたいと考えているのだろう。しかし公爵は政を取り仕切る身であり、戦は将軍に任せているはずだ。

 役割を分担するからこそ、それぞれの職分を侵さずに済むのである。

「今回は王国軍の準備がまだ整っていません。昨夜私の命を狙ってきたので、少なくとも出征の神託と王命を受けているものと思われます。であればこそ、今こちらから戦いを仕掛ければ、準備の整わない王国軍を蹴散らすことは容易です。ご決断を」

「私の一存で決められる問題ではない。戦は神聖なもの。神託なくして兵は起こせん」

「であればアルスの神に相談されますよう申し上げます」


 苦い顔をしている公爵だが、そのくらい慎重なほうが領内の経営はうまくいくだろう。

 ミロス王国のように毎月のように兵を起こしていては、とてもではないが国を維持できないはずだ。

 だが、今は絶好の攻めどきである。なんとかアルスの神とやらの思し召しが、攻めるべしであることを祈ろう。

 これだから占いなんて信用できないんだ。ヨハンはその思いを一段と強くした。


「わかった。王国軍を手玉にとったそちの働きに免じて、ただちに御神託を得ようではないか。儀典長、ぜいちくと解釈事典を持て」

 そばに侍っていた儀典長は部下に命じて占いで使う筮竹と、得た卦の解釈をする事典を持ってこさせた。そのうち筮竹を公爵に預けた。

「よろしい。それでは今からアルスの神の思し召しを伺おうではないか」

 公爵城内の神殿に場所を移し、聖水を振り撒き、香を焚いて場を清める。


「アルスの神にわがブロンクト公国軍の進退をトパールが伺う。アルス暦二百二十三年七月二十日十七時ちょうど。わがブロンクト公国首都公爵城において、いずれに進むべきか退くべきかまたはとどまるべきか」

 トパール公爵はぜいちくを選り分けて卦を得た。それを儀典長が持つ解釈事典に当たる。


「とどまるべし、だな。こちらから攻撃を仕掛けてはならんとの思し召しじゃ。ヨハンの言い分もわからないではないが、これは神託である」




 「とどまるべし」が出た以上、こちらから仕掛けては神託と下命の双方に背くことになる。

 仮に戦果をあげたとしても処罰は免れない。

 いくら怖いもの知らずのヨハンであっても、自ら刑場へ上がるようなへまはしない。


「まあヨハンの言いたいこともわからないではない。確かにお前を直接狙ってきたのは、クローゼがお前の命式を導き出せなかったからだろう。不確定要素があっては占いにも狂いが生じるからな」

「それがわかっているなら、なんとしてでも戦いたかったんだがな」

「まあアルスの神の思し召しだ。それに背いては国体を維持することすらままならない」

「だから占いに頼るなんて当てにならないんだ。準備の整っていない王国軍を倒す好機なんだぞ。少数の兵を率いて王国首都を攻略でもしてくれば目が覚めるとでもいうのか」


「まあそれでも神託と下命に背いたのは確かだから、処罰の対象になるだろうな。手柄だけはちゃっかり手にしてな。つまりお前が激発して王国軍を降そうと打って出ても止めはしないが、負ければ責任を厳重に問い、勝っても神託と下命に背いたということで手柄は没収。そして軍が倒れた王国を威圧して覇権を奪い取る。そのくらいのことはやる公爵閣下だろうな」

「その動きがわかるから厄介なんだよ。公爵は俺を激発させたいんだろうな。そのために俺が占って、実践レベルの卦で攻撃するべしを得ろということだろう。そうすれば兵を動かす大義ができるからな。だがその場合、俺は公国に帰る場所がなくなる。クラレンスとも別れ別れだ」


「クラレンスと結婚させたのは正解だったようだな。向こう見ずのお前でも、愛してくれる人がいれば、無茶はできないだろう」

「最初からそれが狙いでクラレンスと結婚させたのか」

「いや、彼女はうちの遠い親戚でな。いい男性がいたら紹介してほしいと言われていただけだ。で、私としてはお前こそがクラレンスの、いい男性になってくれると思ったから婚約をさせたんだ。あとは彼女とお前の心ひとつだ」


 どこまでがフィリップの本意なのかはわからない。

 ただ、幼い頃の友誼が大人になっても続いているのは、彼なりの処世術なのかもしれなかった。

 公職に就く父親がいたとしても、母親を早くに亡くして孤独だった彼にとって、ヨハンが探し出した母親の形見の髪飾りはそれほどまでに重要なものだったのだろう。

 であればクローゼが間諜で探りを入れれば、そのうちその髪飾りの存在に気づくかもしれない。

 ただ、それを知っているのはフィリップ本人とともに探したヨハンだけであるのだが。

 ヨハンが口を割らないかぎり、王国に漏れる心配はなかった。



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