第七章 ヨハンの怖さ

第25話 転進

 これまでの戦争は、互いの軍が正面から挑んで勝敗を決するものとされてきた。そして将軍が占いで卦を立てて進退の命令を下し、兵がそのとおりに動く。

 これが大陸での戦い方だったのだ。

 長い歴史からそれが伝統となっていたのだ。


 しかし、現実にブロンクト公国軍の戦い方は、全面攻勢ではなく、ミロス王国軍を分断しようという意図があるようにゲルハルトは感じていた。


 この戦い方が占いの卦だとすれば、ブロンクト公国軍はたいした占い師を抱えたものだと驚嘆する。

 細かくそして正確な指揮がとれているからだ。


 将軍は占いで得た卦を解釈して軍の行動を定める。つまり敵の占い師ヨハンはひじょうに細密な占いを行ない、まさに神の如き強さを発揮しているのだ。

 兵力差は十倍するのに、現に追い詰められているのは王国軍のほうだった。


 ヨハンが王国軍を分断しようとしているのも、兵力差を考えれば納得がいくものの、卦として得られる解釈にはない。

 大陸標準となった「エルフ神の思し召し」を伺う占いでも「分断するべし」という項目は見たこともなかった。

 もちろんゲルハルトがすべての解釈を憶えているわけではない。

 だが、長い軍歴においてこれまでの占いでそのような解釈が出てきたことはいっさいないのである。

 となれば、敵ヨハンが用いている占いは大陸標準ではなく彼独自の占いなのかもしれなかった。

 自ら占いを生み出す。ヨハンはクローゼに代表される「占いの発明者」の可能性が高い。


 どのような行動まで卦を得ているのかはわからない。

 〈遠見〉の魔法ではヨハンと思しき者がサイコロを振っている姿も移っている。クローゼのように、場所と時刻から計算して卦を得ているわけではないようだ。

 にもかかわらず、その的確さはおそらくクローゼ以上だ。サイコロの卦だけでこれほど巧みな用兵ができるとは。ゲルハルトには判断がつかなかった。


 だが、公国軍は現に前方の王国軍を分断しようとしている。

 卦の解釈にそれほどの多様性を持たせるのは、まさに「占いの発明者」の称号にふさわしい。

 となればヨハンに乗ずるスキを与えないように動きたいところだが。


 問題は進行形で王国軍が分断を許すところまで来ている事実にある。

 このままでは王国軍が大きな損失を出すのは確実だ。

 幸い敵が軍列の再編に必要な空間を生み出している。

 これほどまでに苛烈な攻撃を行ないながら、なぜ王国軍の再編を阻止しないのか。そこが不気味な点である。


 敵の包囲下にある前衛部隊はゲルハルトとの連絡を断たれ、次々と降伏して公国領へと連れ出されている。

 敵の魔法使いがドラゴン族の部隊の後に続いてエルフ兵をフェアリー族固有の〈困惑〉の魔法で混乱させていく。これではにわかに統制は回復しない。

 そこを公国軍に突かれて前衛部隊は根こそぎゲルハルトの指揮が届かない状態にまで追い込まれていく。

 このままではまずいなと思いながらも、防御の卦が出ている以上反撃する機会を得られていない。


 いったいいつまで敵の猛攻に耐えればよいのだろうか。

 エルフ神はわれを見放したのか。ゲルハルトは無力感にさいなまれていた。

 戦闘が始まってからちょうど一時間。三度占う時刻となった。さっそく懐からサイコロを取り出す。


「エルフ神にミロス王国軍の進退をゲルハルトが伺う。ミロス暦三百五年七月一日十時ちょうど、ブロンクト公国領リューガ山麓において、いずれに進むべきか退くべきかまたはとどまるべきか」


 出た卦を解釈事典で見ると「とどまるべし」だった。

 これほどまでに損害を出しながら、それでもなおエルフ神はとどまれとおっしゃるのか。ゲルハルトはエルフ神の気まぐれに天を仰ぐばかりだ。


 とどまるべしだったが、敵の攻勢を邪魔することは占いの世界では認められている。さしあたり分断されそうな前衛部隊に合流を呼びかけつつ、敵のドラゴン族部隊を背後から脅かすことにした。

 これでドラゴン族が危機感を覚えれば攻勢を阻止できるかもしれない。

 今のままでは攻勢に出たとしてもたいした損害は与えられない公算が高い。

 反撃の好機が到来したら、すぐさま公国軍に打撃を与えて反転離脱を試みるのがよかろう。そのためにはなんとしてでも攻勢または退却の卦が出てほしいところだったのだが。


「占いとて万能ではない。エルフ神は戦場のすべてを知りえないのだから」

 ゲルハルトはそうつぶやくと、場所を帰るべく兵を動かした。

 全軍を西に振り向けることでドラゴン族の圧迫から脱し、新たな卦が得られる条件を整えるためだ。


 占いは場所と時刻が変わらなければ再び占うことは禁止されている。

 新たな卦が欲しければ時間が進むことに期待するか、戦場を変えるしかない。

 そして現状ではその場にとどまっていては兵の損失が軽視できない。

 そこで戦場を変えることを選択したのだ。場所さえ変わればエルフ神を軽視したことにはならない。


 多少の損害は出しつつも、なんとか全軍を西へ進めて公国軍の追撃をかわそうとした。

 この動きはおそらく敵の占い師ヨハンの計算には入っていないだろう。

 もし入っていればそこに兵を向かわせて逃げ場を塞いだはずだ。


 そこまでの万能性がないのだとしたら、クローゼならあのヨハンに対抗できるだろう。彼の神速の占いをもってすれば、公国軍を策動の兆候すら見せずに完封することが期待できる。


 ヨハンを甘く見ていたツケは払うとして、西へ戦場を変更したのは王国軍の損失をできうるかぎり軽減する手段となる。

 そして戦場を移動したことで、新たに卦を得る機会を手に入れた。



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