第22話 惑うゲルハルト
翌七月一日八時、ゲルハルトは王国軍を率いてブロンクト公国との国境を侵した。ただちに布陣するとともに占いを立てる。
「エルフ神にミロス王国軍の進退をゲルハルトが伺う。ミロス暦三百五年七月一日八時ちょうど、ブロンクト公国領リューガ山麓において、いずれに進むべきか退くべきかまたはとどまるべきか」
サイコロを振ったゲルハルトは「南へ攻撃するべし」の卦を得た。
しかし通例より一時間早くやってきたので、ブロンクト公国軍が到着する一時間後の卦は変わっているかもしれない。だがクローゼの言うとおり、先に布陣して卦を得ることはできた。
公国軍をただ待つばかりとなるが、下手に兵を動かすと疲れがたまるだけなので、布陣したまま兵に休息を与える。斥候さえしっかりと出していれば不意を突かれることはまずない。
「さて、敵のヨハンなる占い師の実力を拝見しようか。クローゼ並みの神速との噂は本当かどうか」
斥候から公国軍の接近を知らされたゲルハルトは、きわめて慎重に動くため敵の到来直前にもう一度占いを立てる。サイコロを振って解釈事典から「防御するべし」の卦が得られた。
一時間のうちで卦が変わる。だから占う場所と時間から直接占わないと正しい卦が得られないのだ。クローゼはなぜ前もって占うように助言してきたのか。
すると戦場に公国軍が到着した。兵は四隊に分かれており、その中央に司令部が所在しているようだ。
公国軍は戦場に到着すると布陣もせずにそのままひと息に攻撃を仕掛けてきた。
「敵も進軍中に卦を得ていたのか。この進撃はおそらく、攻撃するべしだろうな」
さて、一時間前の卦と先ほどの卦。どちらを採用するべきか。
クローゼの進言では先に得た卦を用いるべきなのだが、敵が先手を打ってきたことでどうしてもこちらが受け身にまわらざるをえない。
もしゲルハルトに余裕があれば、公国軍が戦場に現れたところへ攻撃を仕掛けることもできただろう。それが一時間前の卦が本来意味していた戦況だったはずだ。
しかしすでに敵に先手をとられた以上、まずは防御に徹して反撃の卦が出るまで粘る方針に定めた。
防御の厚い兵を前面に配置し、魔法と弓矢で牽制する。
そして機を見てドラゴン族に咆哮をあげさせた。
敵はフェアリー族の〈鼓舞〉の魔法で恐怖を克服させているようだ。これではドラゴン族はあまりあてにならないだろう。
そこにひとりのドラゴン族の戦士が王国軍に向かって飛来し、咆哮をひとつあげた。ゲルハルトが率いてきたドラゴン族はその戦士とともに戦場を後にして飛び去った。
公国軍はドラゴン族をあまり信用しておらず、連れてきたのもひとりだけ。
だがそう思わせてひとりで多数を連れて飛び去ったのは、欺瞞ではないのか。
〈遠見〉の魔法で敵部隊をひとつずつ確認していくと、やはりドラゴン族の一隊が存在していた。
これはしてやられた。
ドラゴン族は同族とは戦わないが、敵に同族がいなければ勇猛な兵士として大陸随一の攻撃力を誇る。ドラゴン族の部隊を残すためにわざとひとり差し向けてきたのだろう。
なかなかどうして、老練な手並みといわざるをえない。
公国軍は前進を続けて、弓矢と〈火炎〉の魔法の有効範囲ぎりぎりに布陣した。これで時間を稼げれば、次の卦が得られるまで状況は変わらないはずだ。
公国軍は距離をとったまま動かない。
おそらく「とどまるべし」との卦を得たのだろう。
開戦から三十分経ち、次の占いが立てられるようになった。ただちにサイコロを振ると「防御するべし」の卦を得た。これは当分にらみ合いが続きそうだ。
すると公国軍に変化が起こった。一隊ずつ突出しては引き返す動作を繰り出してきたのだ。
積極的に攻めようとする意志はなく、どうやら王国軍の動きを誘うための行動と思われた。
しかし突出してくる部隊に意識を集中して牽制しなければならないため、労力を割かねばならない。これも敵の占い師ヨハンの術中なのではないか。
自分から動けないのならことさらスキを作って相手を誘い出そう。
その発想はこれまでの公国軍には見られなかった。そしてそれは仕掛けられた王国軍に精神的なダメージを与えるにはじゅうぶんな陽動である。
目の前に餌をちらつかされて、ただ黙って敵の動きを見守るほかない。血気盛んな兵たちは「早く敵を倒させろ」と不満の声をあげている。
敵司令部を〈遠見〉の魔法で観察していたが、この動きに出る前にはサイコロを振るなどの占う素振りは見せていない。フィリップだけでなくそばにいるおそらくヨハンと思われる人物も占ってはいないようだ。
困ったことになったな。
もし敵がクローゼのように、場所と時刻さえわかれば計算で卦が立てられるのだとすれば、兆候を見せずに策に打って出られる。なぜ公国軍がクローゼに敗れ続けたのか。
翻ると、神速というだけでなく、占った素振りを見せないからではなかろうか。クローゼと同じように一度に三つの卦を得ているのかもしれない。
それなら今回の陽動は計算できる。
するとヨハンと思しき人物が、書記官になにかを伝えているようだ。どうやら次の卦が得られたらしい。
どうやらこちらとは別の時間に占いを立てているようで、それがこちらの機先を制する用兵につながっている可能性がある。
であればこちらも〇分、三十分と限らずに卦を立てるべきなのかもしれない。
しかし、ゲルハルトは定刻にしか占ったことがないので、それ以外に占って正しい卦が得られるとは思えなかった。
もしかするとそれがゲルハルトを攻略するための、ヨハンの神速の占いなのかもしれなかった。
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