第19話 ヨハンの素性

 ゲルハルトは兵の運用に欠かせない練兵を終えると、クローゼのもとへ赴いて話を聞くことにした。ヨハンという敵の占い師の情報が得られるのではないかと思ったからだ。

 それに後方で才能を持て余している名将の暮らしぶりも見ておきたかった。


 雨が強く降り続く中、クローゼ邸を訪れると彼の妻シルビアが出迎えてくれた。

「まあ、ゲルハルト様。このような雨の中、よくお越しくださいました。夫を呼んでまいりますわね。それでは先にリビングへご案内致します」


 シルビアの楚々とした態度は敵を作らない女性の鑑だろう。わが娘は軍人とは結婚しなかったので、才能を認めて子どものように接しているクローゼと妻シルビアも息子夫婦のように感じていた。

 実の子を軍人にしたくはなかったし、婿にも軍人を選ばなかった。

 一種の代替行為ではあるが、クローゼとシルビアは「軍人となった子ども夫婦」のようだった。


 リビングのソファに腰を下ろして、部屋を出ていくシルビアを眺めた。

 幾度も訪れているクローゼ家を改めて見ると、チリひとつ落ちていない。家政婦も雇ってはいるものの、食事も掃除も洗濯も、基本的にはシルビアが一手に担っていた。食材の買い出しも自ら行なうほど家庭的であり、持つべき妻はかくあるべしと、まさにお手本となるうる女性だ。


 しばらくするとクローゼがリビングにやってきた。

「ゲルハルト閣下、雨の中ご足労いただき恐縮です」

「かまわんよ。貴公に聞きたいこともあるのでな」

 失礼しますとクローゼがゲルハルトの向かいのソファに座った。

「お越しくださったご用はだいたい察しがつきます。ブロンクト公国のヨハンのことでしょう」


「なんだ、知っていたのか。ということは間諜から連絡があったのか」

「はい。と言ってもまだ生年月日と交友関係くらいしかわかっておりませんが」

 耳にした言葉に違和感を覚えた。


「生時はわからなかったのか。今どき珍しいな。戸籍に関してはどの国も役所で生年月日時の登録が義務付けられているはずだが」

「それを考えるとどうやら嫡出子ではないか、孤児だった可能性がありますね」

「非嫡出子か孤児か。どちらも役所に届け出ていない理由にはなるが」

 なるほどな。それでいてクローゼに匹敵する占いを修得するとは、明らかに偉才と呼べる人物だ。


「フィリップ将軍とは古くからの付き合いとされているらしいですね」

「懐刀というわけか。フィリップもけっして悪い将軍ではない。クローゼ、お前がいなければ彼が大陸一の将軍であっても驚かないからな」

「いえ、実績のうえではゲルハルト閣下のほうがよりよい将軍でしょう。フィリップはまだ占いに迷いがあります。またどうも二心を抱くところがあるようです。アルスの神の神託とは別に、己の占断にも自信を持っていて、しばしば神託を無視するときがあるのだとか」


 フィリップが野心を抱いたとしても無理のない話だ。彼ほどの才幹と占いをもってすれば、公国ひとつ率いるに足る実力を有している。あれでよく軍事蜂起して政権を転覆させないものだと呆れてもいるのだが。


「手のうちを知っているフィリップはこの際置いておくとしよう。問題はヨハンだ。そやつがどのような占いを用いるのかがわからなければ戦いようがないからな」


 そのときシルビアが紅茶を運んできた。ローテーブルの上にカップとティーポットを並べて、ミルクと砂糖を置いた。そして一礼するとリビングを後にした。

「いい香りのする紅茶だな。まずそれを口にしてから話すとしようか」

「シルビアは紅茶には目がないんですよ。お呼ばれしたお宅や料理店などでよい茶葉を聞き出してきますからね。うちの倉庫はまるで紅茶店のようなありさまですよ」

「まあ室内がこれだけ清潔なら、倉庫が少しくらい雑然としていても許せそうなものだがな」

「あいつはそれを知っていてやっているんですよ」

 彼の苦笑いに頬が緩む。


 クローゼがティーポットからそれぞれのカップに紅茶を注いだ。そして自分のカップにミルクと砂糖を入れてかき回す。

「ゲルハルト閣下はストレートでしたよね」

「これだけの紅茶はまずそのまま飲みたいところだな」

「まあもう一杯ずつ飲めるくらいの量は入っているみたいですからね」

 たちのぼる湯気に鼻を寄せて香りを楽しんだ。

 爽やかで馥郁たる紅茶の香りが漂ってくる。

 ひと口紅茶をすすると口の中が香気に満たされる。これは絶品だな。


「それでは話の続きをしましょうか。ヨハンの話の続きです」

 クローゼはミルクティーをローテーブルに置いて話を続けた。

「ヨハンはおそらく孤児です」

「なぜそうだと思うのだ」

「もし非嫡出子だったとしたら、それなりの家系ということになり、父親も結婚相手でないことが想定されます。だから父親が誰であろうと、出生届は出されるので生時は書き込まれているはずです」


「つまり生時がないのは、生まれた時間がわからないから、か。待てよ。とすれば生年月日自体が怪しくならないか」

「ご名答です」

「誰かに拾われたり施設に預けられたりしたら、生時は定かではないですし、そもそも生年月日自体が怪しくなるのです」



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