第10話 団欒
クローゼはフランツ王から采配を受け取ったのち、いったん官舎へ引き上げた。
夕刻の食事を用意していた愛妻のシルビアは、彼が帰ってくるとねぎらいのあいさつをするとともに配膳を手伝わせた。
「それで陛下の御用はどうなったのでしょうか。まああなたに用兵以外の仕事はまわってこないでしょうけれども」
さすがにシルビアは察しがいい。フランツ王がエルフ神の御心を尋ねてきたのだから、直後の呼び出しは兵事であることに疑いはない。
だが、家庭を守るだけの女性ではそこまで頭が回らないだろう。クローゼの才覚や力量を本人以上によく知っているのである。
「詳しい内容は明かせないが、今回の任務はなかなかに難しい。私に遂行できるかどうかわからないな」
「まあ、あなたが弱気になるなんて幾年ぶりかしら。出世のことだとすれば、あなたはもう宰相にでもなるくらいしか残されておりませんわね。ということは栄達より左遷の心配をなさっておいでですか」
クローゼに配膳の指示を出しながら、シルビアは鍋からお椀に汁を注いでいく。
「もしも、だけど。戦場に行って、戦わずに帰ってきたらお前はどう思うか」
「そうですわねえ。勝てはしないものの兵を損ねていないのですから、懲罰の対象にはならないのではなくて。もしあなたを懲罰したいのでしたら、敵よりも少数の兵を率いて大軍に無傷で勝ってこい、くらいの難題を持ちかけるのではなくて」
そのとおりだ。本当に懲罰を与えて左遷させようと思うのなら、ただ勝つだけでは駄目だ。
クローゼはたいていの戦場で神速の占いを用いて勝利している。ただ勝ち負けだけを論点にしても彼の勝ちは揺るがない。それほど大陸で他を圧倒するほどの占いなのだ。
ではエルフ神はクローゼになにを期待して今回の試練を与えたのだろうか。どう考えてもいったんの降格は免れない。
兵を挙げながら戦果もなく帰ってくるだけ。
まあ戦っていくらかの打撃を与えることもできなくはないが、兵を損ねないという大前提があるため、戦いは極力控えねばならない。
戦えばどうしても損害は発生してしまうからだ。
「戦わないのであれば、安心してあなたの帰りを待てますわね。今まででいちばん心配せずに済みます。戦えば偶発的にでもあなたに万一のことがあるかもしれません。でも今回は兵を率いても戦わないのですからね」
その言葉に、いつもシルビアに心配をかけていたことを思い知らされた。
クローゼとしては負けることなど考えずに神速の占いで敵を圧倒してきた。しかし待つ身となればクローゼが必ず帰ってくるとは思えないのかもしれない。
どれだけ自信を持っても、相手がいる以上絶対はありえないはずだ。
「では、今回は
「遊びじゃないんだぞ。戦わないから遠足のようなものだが。だからと言って気を緩めると怪我しやすいからな」
「そうですわね。どんなに包丁を使い慣れていても、油断すると指を切りますからね」
「そういう意味では団体行動としての
「それじゃああなた、子どもたちを呼んできてくださいな。夕ご飯に致しますからね」
そういうとシルビアはエプロンを取り外して綺麗に
「まあ、あなたはエルフ神の御心と王命に従うのですから、身を滅ぼすことはないでしょう。言われたとおり出征して、戦場でにらみあって、引き上げてくればよいのです。そうすれば、たとえ一時の憂き目を見ても、再び指揮を執る機会はやってくるはずですわ。功を焦らないことです」
「君の言うことはいちいち正論だな」
フランツ王がクローゼの結婚相手としてシルビアを紹介したとき、彼女がこれほどまでに聡明だとは気づかなかった。
しかし結婚してからは驚くことばかりだった。
高官の娘であれば料理や洗濯、掃除なども下女にやらせるものと思っていたら、すべてひとりでこなしてしまう。しかも作る料理は格別で、クローゼもすっかり胃袋を掴まれてしまった。
「戦うべきでないというあなたの主張とも相違ないのですから、心置きなく任務についてくださいね。私たちはあなたの無事な帰還をただ待つことしかできないのですから」
優しい微笑みを浮かべながらシルビアは左目をかるくウインクさせた。
この魅力には勝てないな。必ず生きて帰ってこなければ。そして軍を全うして帰ってこなければならない。
たとえ一時前線を離れたとしても、家族のために時間を使うのもけっして悪くはないはずだ。
だが、国王が心変わりするかもしれない。明日にでも先輩将軍を訪ねてみるか。
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