第5話 偽りの愛

 4日後。

 

 俺は桜庭と共にある家を訪れた。

 

 「和宮」と書かれた表札をかけた家の前に現れたのは、中学生にも満たない男の子の幻影だった。


 

 「やっほー、昨日ぶりだね。享葉くん。こちらは昨日話してた君が見える根暗な同業者だよ~ん。」

 

 「よろしくお願いします、お兄さん。」


 「普通初対面の奴にそんな紹介するか?そして意地でも名前は呼ばんのな。」


 「フフ‥そんなに呼ばれたいのなら私の伴侶に見合うように精進することだね。」


 「お前本当どこ目線だよ。」


 桜庭の想定外の紹介の仕方に驚きながらも、目の前に立っている幻影を見つめた。


 …本当にこの子は一度亡くなったのか?

 そう疑ってしまうほど、目の前に立っている少年は大人びていた。


 真っ直ぐに見つめるその瞳には、純粋な光が宿っていた。

 「じゃあ享葉君。早速この者に自己紹介をして差し上げるのだ。」

 

 「今そこふざけるとこじゃねぇだろ。」

 そうして、俺の御使い補佐(桜庭任命&命名)の初仕事は幕を開けた。

 


 彼の名前は和宮 享葉。

 

 この子の過去は何ともやるせない、哀しい物だった。

 



 「えっと、どこから話せばいいんでしょうか?」


 「話しやすいところからでいいよ。」


 

 「・・分かりました。聞いてください。僕が生まれて、死んでいった話を。」





 「僕はお母さんとお父さんの長男に生まれました。

 お父さんはスーパーマーケットの店長で、お母さんはパートで別の職場で働いてたんです。


 僕たちは、すごく仲のいい家族だったんです。

 お母さんとお父さんも仲睦まじくて、僕もそれなりに愛されていたんだと思っていました。

 その間は、とても幸せだったんです。


 でも、あまりその幸せは長くは続きませんでした。

 ある学校の帰り道に、お父さんが知らない女の人と歩いているのを見たんです。

 その時の僕はまだそれがおかしいことだって分からなくて、特に気にしてもいませんでした。


 そして、あるときにポロッとそのことをお父さんに聞いたんです。お母さんの目の前で。

 そしたらお父さんがすごく慌てて、"どこでそれを見た。答えろ。"とすごい形相で怒鳴って来たんです。

 そしたらその、ちょっと怖くなっちゃって、泣き出しちゃったんです。

 

 そうしたら、お母さんが、"大丈夫。怖くないから。ちょっとだけあっちでお父さんと話してくるから、ちょっとだけ待っててね。"って抱きしめてくれて、一回落ち着いたんです。



 でも。


 享葉君が小さく笑う。



 でも違ったんです。

 "あっち"から聞こえてきたのは、酷い怒鳴り声だけでした。

 「…あの子の面倒を責任を持って見るって言ったのは誰よ!」

 「知るか!そもそもあいつを迎え入れるのは反対だったんだ。それをお前がどうしてもって言うから…他人の前で建前でも言う方が良かっただろ…俺があいつを養うことで貰う金なんだから俺が誰にどう使おうと勝手だろうが!」

 

 今まで愛されていると思っていました。

 愛があるんだと信じていました。

 だけど、違いました。


 僕は、ただお金のために飼われているだけで、全部が偽り。

 多分夫婦の仲もそこまで良くなかったんだと思います。



 その後から、段々僕は二人から暴力を受けるようになりました。

 余程ストレスが溜まっていたんでしょうね。

 方法も回数も頻度もどんどんエスカレートしていきました。

 そして、ある日僕は父親にマンションの12階から突き落とされました。

 11歳の時です。」


 

 哀しむでもなく。

 恨み言を言う訳でもなく。


 ただ淡々と、出来事を話すように。




 「それでも、やっぱり僕は殺されたことより、あの生活が全て偽りだったことがショックでした。無条件に注がれていると思っていた愛が、愛じゃなかった。それで、気づいた僕の未練はどうしようもないものなんです。」

 

 

 

 "偽りの愛を、忘れてしまいたい"




 「どうせ無かった愛なら、愛されているという思い込みも、それを裏切られたことも、全部無かったことにしたいというのが、僕の未練でした。」

 真夏の青空に溶けていく、無力な言葉。


 「どうしたらいいんでしょうね。」

 寂しそうに笑いながら呟く。


 「大変だったね。」

 桜庭がそう言いながら享葉君を思い切り抱きしめる。


 

 表に出ていないだけで、世界には闇が幾つも存在する。

 語られず、見られず、隠された闇が。


 

 「忘れたい愛か…」

 「あの子はもうかれこれ30年くらいあそこにいるから早く助けてあげたいけど…」

 「そんなに長い間ここに留まっているのか?」

 うーん、とちょっと考える仕草して答えた。

 「魂の幻影っていうのは基本的に年は取らないからね。肉体が無い訳だし。」

 肉体を持たず、未練とただ死んだという事実だけを残してこの世に囚われた存在。


 俺は本当に、この子を助けることはできるのか…?

 

 

 

 その日の帰り道、俺は桜庭に無意識に問いかけていた。 

 「なぁ桜庭。あの子の未練を解決すれば、あの子はあの世に送られるのか。」

 

 「私も初めてだから分かんないけど、たぶんそうだと思う。7歳の時に一度幻影の子と一緒に遊んでいた時期があったの。男の子なんだけど、ある日突然いなくなっちゃったんだよね。大分前のことだからよく覚えて無いけど、あの世に行ったのかなぁ、とは思ってたの。」


 「そうか。」

 「じゃあ、あの子の未練を解消する方法はなにか考えてるのか?」

 静かに首を横に振る。


 「記憶をなくしたいっていうのは肉体を失ってからじゃかなり厳しいんじゃないかな。直接的には解消できないと思うから、何か別の方法で享葉君に満足してもらうしか無いかな。」

 

 「…そうか。」

 再度、同じ言葉がまろび出る。

 自分でも未練の解消は直接的には無理だと本能的にわかった。

 

 どこまでも広がる青い青い空の下、俺達の言葉は力無く消えて行った。


 

 





 「今日は暑いねー。何か飲みたくなって来るねー。ねー。」

 

 「そうだな。」


 「んー?そこは『これでも飲め』って言って私に冷たい缶ジュースを首筋に押し付けるのが役目でしょ〜?」


 「少女マンガの世界と現実を混同すんな。」



 今日は桜庭と共に近所で開催されていた夏祭りにやってきた。

 …いや、正確には来させられたと言うべきか。


 先程から「暑い」だの「喉乾いた」だの言いながら横目でチラチラこちらを見てくる。

 一応自分の金は持ってきているようだが、俺に奢って貰う気満々のようだ。


 こちらはそんな気は微塵も無いが。

 

 さて、なぜこんなことになったかと言うと……





 「やっほほ〜い。この前夏祭りの屋台500円割引券2枚もらったから一緒に行こーよ!」


 「何で俺が行く必要がある?」


 「気分。」

 

 「何で俺がお前の"気分"に付き合わなきゃならないんだ?」


 「もう!キミはいつでも私の気分に付き合うって言ったでしょ!」


 「んなこと言ってねぇよ!」


 「ダメじゃないか、嘘をついちゃ。おっとそうかそうか。やっぱり素直になれないんだね?これだからキミは…いや、この先は言わないでおこう。」


 「この前にもそんなこと聞いたぞ。同じ手は食わんよ。」


 「ふ~~~ん。そこまでして私を遠ざけたいの?私のこと、嫌いになっちゃった?」


 「あーそういうのいいから。」


 「ということは来るんだね?楽しみにしてるぞ!!」


 「どういうことでだよ!」


 気づけば割引券を握らされ、桜庭は嵐のように去って行った。

 まあ貰った物だし無駄にする気はさらさら無かったから、桜庭に遭わないようにだけ気を付けて行こうなどと考えていた俺が浅はかだったようだ。


 家を出た瞬間に、

 「おっや~???やっぱり来たかったのかな?まぁそうだよねぇー。美人のクラスメイトと夏祭りなんて、全男子高生の夢だもんね~。」


 




 と言う訳だ。

 当然俺はこいつと夏祭りなぞ夢の中でも御免だ。


 ため息を付きながら隣で目を輝かせている桜庭を眺めた。

 

 確かに桜庭は美人だ。

 今だってわざわざ浴衣を着てきていて、それも抜群に似合っている。


 …まぁ、性格を除けば、だが。

 



 「よし、この前のリベンジ!射的で勝負だ!!」


 「ん?勝手に一人でやってくれ。俺は気分じゃない。」


 「ルールは簡単!勝った方に…「この前と同じことになってないか?俺はやらんぞ?」


 「ということは不戦勝で私の勝ちということだね。」


 「めんどいからもうそういうことでいい。」


 「じゃあ、はい。」

 突然手を差し出してきた。


 「?何だ?」


 「賞品。勝った方に負けた方がジュースを奢る。」

 

 「聞いてねぇよ。んなもん無しだ無し。」


 「それは試合を放棄したキミが言うことでは無いと思うがねぇ。」


 「先に説明しろよ。」


 「話を遮ったのはキミだよ?」


 「……分かった分かった。勝負してやるよ。お前のためになぞ一円も使う気になれん。」


 「よくぞ言った!!!じゃあ早速勝負だ!」


 「…………はぁぁぁぁぁ~~~~。」



 そうして、俺は桜庭と射的対決をすることになった。


 

 ー10分後ー


 「お前そんな射的上手かったんだな。完敗だわ。」


 「フフフッ、せいぜい次に備えて精進したまえ。」


 「次なんてねぇよ。」

 

 俺と桜庭の対決は、圧倒的な勝利で終わった。

 ラウントワンでの対決で完全に桜庭のことをなめていた。

 おかげでこんな奴のために230円も払う羽目になった。


 「あ。てかお前この前の勝負の景品俺に渡してないだろ。」


 「前は前、今は今。」


 「お前なぁ。」


 まあ、こんな日も、悪くはないな。






 空に一筋の光が昇り、夜空に爆ぜ、花が咲く。


 「…綺麗だな。」

 無意識にそんな言葉が溢れる。


 「そうだね。」

 花火を見たのも久しぶりだ。


 

 「この4日間ずっと考えてたんだよね。」


 何を考えていたのかは、聞かずとも分かった。


 「享葉君は、"どうせ無かった愛なら、愛されているという思い込みも、それを裏切られたことも、全部無かったことにしたい"って言ってたよね。でも、突き落としたのは父親だった。享葉君は、もし母親に愛されていたって分かったら、それを忘れたいと思うかな?」



 何を言いたいのかは分かった。

 でも。



「それであの後もう少し調べてたんだけど、虐待って言うのは、父親がやっていることに逆らえないで仕方なく加担していた、っていうケースも少なくないらしいの。もしかしたら享葉君の母親もそうかもしれない。もし違ったとしても…ね。だから…」



 ちょっと待て。

 自分で何を言っているのか分かっているのか?

 

 「それを母親に言わせる気か?『本当は享葉を愛していた』と。それで享葉君を騙すと。本当にそれでいいのか?そもそも母親が享葉を愛していたのかもわからないんだ。実際にそれをしてみて、一番傷付く可能性が高いのは享葉君本人だ。しかも本当のことを話すかもわからない。第一見ず知らずの俺達の戯言に付き合ってくれると思うか?」

 分かっている。

 享葉君の未練を解決する方法は無い。


 でも。

 いや、だから。


 それを別の方法で。

 しかも無理やり。

 

 そのやり方は、納得できなかった。



 「でも…それが享葉君にとって…「一番良いとでも言うつもりか?」


 「確かにそれが一番"早くて確実"な方法だろう。最悪母親に演技でもなんでもしてもらって本人に見せつければいい話だからな。でもそれは"享葉君にとって"いいのか?それで享葉君を送れたところで、本当に未練が解決する訳でもない。解ってる。享葉君の未練を解決する方法はない。でも。それじゃあただの俺達の自己満足だ‼‼」


 昂る感情を抑え切れなかった。

 でも。それくらい、桜庭の言っていることに憤りを感じた。

 

 こんな方法で無理やり享葉君を送ったところで、御使いとして本当にいいのか?



 「…………そうだね。」


 何を言うのかと思えば、なんの救いもない返答だった。


 「そうだよ。これは私の考えだけど、御使いの使命は全部自己満足。だって、幻影が送られた後にどうなるのかもわからない。でもそれが御使いにとって"正しい""幻影のためになる"って言う自己満足だけで使命を果たしている。そもそも送られたところで、幻影が救われているのかもわからない。想像してみて。巣から落ちた小鳥がいたとする。それを助けたとするでしょ?助けたところで、小鳥は何も語らない。ただ、鳴くだけ。親から引き離されたことに嘆いているのか、私達が助けたことに感謝しているのか、本能のままに鳴いているのか。私達には、それを理解することはできない。でも、この世界ではそれが"正しい"ことだよね。小鳥の意志に関わらず。同じこと。幻影にとっては、自分があの世に送られたところで自由になるのかもわからない。それでも、ただ私はそれが"幻影のためになる"っていう自己満足で使命を全うする。それしかできないからね。」

 桜庭は一気に話切った。




 言葉が、出なかった。



 「……お前は…それでいいのか…?」


 「それしか、できないからね。」 

 再度、寂しそうに呟く。




 夏の夜空に咲く花は、儚く消えて行った。







 "御使いの力は全部自己満足"

 "あの世に送られたところで自由になるかはわからない"

 "それしかできない"



 何でそんなにショックを受けているんだ?

 自分でも自己満足だと言ったはずだ。

 合っていたじゃないか。




 …ああ、そうか。

 俺は、否定してほしかったんだ。

 桜庭に。

 


 "御使いはちゃんと使命を全うすれば幻影のためになる"

 "決して自己満足なんかじゃない"



 そんな言葉で、安心したかったんだ。

 自分がやっていることが、世界にとって正しいことだって。


 俺も桜庭も、一度も幻影を送ったことはない。


 だから俺は怯えていたんだ。

 自分達が正しくないことをするのが。

 本当に享葉君を送るのは正しいのか。

 本当に気にしていたのは、方法なんかじゃなかったんだ。


 でも桜庭は覚悟を決めたんだ。

 自分が正しいかなんてわからない。

 

 それでも。

 たとえ自己満足でも。

 少しでも幻影が自由に。幸せになれるように使命を果たすことを決めたんだ。


 俺はこの前桜庭になんて言った?

 

 "お前みたいな御使いじゃないが、全力で協力する"


 桜庭は御使い、しかもこの世に残る最後の御使いという重荷を背負っているんだ。

 

 対して俺は、御使いでもなければ背負う重荷も無い。

 本当なら、本来俺の方が気を強くしておかなければならない立場だ。



 こんなことでひよっていたら、絶対に桜庭の役に立てない。


 

 

 「すまない。少し冷静になる時間をくれ。今の俺は、お前の足手まといになるだけだ。」


 「……そっか。うん、いくらでも待つよ。キミが準備を出来るまで。…ふふっ、そんなこと気にしなくてもいいのに。」


 「俺が気にする。俺はお前の足手まといになるためにお前と行動している訳じゃない。待ってくれ。絶対に俺はお前に役立って見せる。」


 「…うん!じゃあ期待してるぞ!補佐君!」


 「………………おう。」


 「返事が小さい!」


 「うるせえよ!」


 

 こうして、俺は再度自分がやろうとしていることに真剣に向き合うことにした。

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