第16話  商人は旧友と再会する。

 ラシュディたちが王都を脱出する少し前。

 マングラール地方の領主にして元王太子アスールは湖都リッシュの居城、偉大なる栄光城グレイトグローリーキャッスルの執務室で旧友を迎えていた。

 友の名はバラドと言う。

 ヴェルクトという少女が勇者と呼ばれる少し前、共に旅をし、邪悪なエルダードラゴンを討った仲間だ。アスール王子の竜退治として喧伝されている逸話だが、ヴェルクトの戦闘力とバラドの協力がなければ、勝つことはできなかっただろう。

 執務室を訪れたバラドは、三人の男女を伴っていた。

 聖女ターシャ。

 魔剣士イズマ。

 大賢者ボーゼン。

 ボーゼンはともかく、ターシャとイズマは勇者と共に命を落としたと発表されていた二人だ。きな臭いものを感じた。


「説明しろ、商人」


 執務室の机越しに問いかけるアスール王子に、商人バラドはメイシン王子と密偵アスラの裏切りを語った。


「その話に、間違いはないな?」

「私とイズマが証人です」


 聖女ターシャが涼やかな口調で言った。勇者となったヴェルクトが時々書いてよこした手紙では、荒っぽい女傑と言った印象だったが、実際に顔を合わせて話してみると、なかなかに聖女らしい聖女である。

 アスール王子が女傑ターシャの猫かぶりに気づくのはもう少々先のこととなる。


「それほどまでの狂愚きょうぐであったか」


 怒りがふつふつとこみ上げた。

 メイシンに王太子の座を奪われたことには、さしたる怒りは感じていなかった。

 ダーレス王は小人物だ。

 大器たる自分よりも、メイシンという小粒な王子に安心感を覚えるのは当然のこと。器量の小ささに納得こそすれ、怒りなどは感じていなかった。

 だが、勇者殺しとなれば、話はまるで変わってくる。


「猿どもが」


 アスール王子は拳を握りしめた。


余の友ヴェルクトを、己が都合で祭り上げた挙句、己が都合で手にかけたか! はらわたも脳髄も腐れきった猿どもが!」


 アスール王子はヴェルクトという奇妙な少女を友として慈しんでいた。アレイスタの宝剣アガトス・ダイモーンをヴェルクトに提供したのも、元はと言えばアスール王子の意思である。バラドがアガトス・ダイモーンを『公式な勇者の剣』としておくことへの抵抗がなかったのも、アスール王子がアガトス・ダイモーンに込めた友情を理解していたことが大きい。


「どう動くつもりだ? 商人?」


 アスール王子は、物騒な顔で口角を上げた。


「今度という今度は、余も愛想が尽きたわ。王都の猿どもが、もはやただでは済まさぬぞ」


 ダーレス王もいずれは死ぬ。新たな王太子となった弟メイシンも大器とは言いがたい。マングラールをゆるりと治め、民を安んじ、殖産を起こし、王道楽土を築いてゆけば、天下は自然と転がってくる。救国者気取りで兵を起こし、血を流すこともない。

 そのように考えていたが、考えが甘すぎた。

 あまりにも、下劣の度が過ぎる。

「まずは、こちらをご覧ください」

 

 激昂気味のアスール王子をなだめるように、俺は書類を差し出した。呪われた教会に飛んできた伝書鳩が持ってきた書状の二枚目だ。伝書鳩で運ぶ都合か、箇条書きとなっている。内容は以下の通り。


1、アレイスタ王ダーレスは密偵七家に勇者ヴェルクトの身元の調査を命じた。

2、密偵七家はヴェルクトが最初に現れたローデス王都の廃墟を調査し、そこでゴーレムの研究施設と古代練金文明の書物を発見した。

3、密偵七家は王立魔導騎士学校に調査協力を仰いだ。

4、施設の分析、書物の解読により、ローデスでは『光の獣』と呼称される特殊な魔法生物の研究が行われていたことが判明した。

5、『光の獣』とはゴーレムや人造人間ホムンクルス合成獣キマイラなどの技術を用いた生物兵器であり、当時練金文明と対立していた大聖女マティアルに対抗することを目的に開発された。

6、ローデスで創造された『光の獣』にはエメス回路と呼称される脆弱な魔導回路が意図的に組み込まれている。首の後ろのemethという魔術文字から頭のeという文字を削ることで仮死状態に陥る。緊急停止用として、eの文字を削るための首輪と併用して運用される予定だったものと推測される。

7、魔族の襲撃によって首輪がないまま覚醒した『光の獣』が、勇者ヴェルクトである。

8、現在勇者ヴェルクトはエメス回路の破損によって仮死状態にある。エメス回路の修復により蘇生は可能と思われるが、修復方法は不明。

9、勇者ヴェルクトの正体、エメス回路に関する調査報告は、密偵七家、王立魔導学校よりダーレス王に伝えられた。よってメイシン王子、アスラの行動は、ダーレス王の命によるものと推定される。

10、『光の獣』に関する資料は現在王立魔導騎士学校の管理下にある。


 書類に目を通したアスール王子は眉を顰め「どこからの情報だ」と言った。国家機密レベルの情報だ。出元が気になるのは当たり前だろう。


「名は明かせませんが、信頼できる人物です。いずれは本人から名乗りでるでしょう」


 アスール王子はやや不満そうに「ふん」と鼻を鳴らしたものの、それ以上の追求はしなかった。


「して、どう動く?」

「アスール殿下の家中に紛れて国葬に潜入、転移よけの結界を破壊した上でヴェルクトの遺体を回収、大賢者ボーゼンの転移魔術で離脱、と、考えているのですが」

「まずはそのあたりか。その後は何とする? ヴェルクトを救って、それで終わりか?」

「それでは終わらないでしょう」


 済ませるつもりもない。


「ヴェルクトを救出した後は、メイシンとアスラの裏切りを公表します。国際社会におけるダーレス王、メイシン王子の権威と信頼は地に落ちるでしょう」

「どう公表する? 余が糾弾しても良いが、あいにく猿どもに王太子の座を取り上げられていてな。余が声をあげても、負け犬の遠吠えと言われかねん」


 アスール王子は業腹そうに言った。


「王太子の座を?」

「ああ、今の王太子はメイシンだ。公式な発表は国葬でやる」

「そうですか」


 予想はできた展開だが、ダーレス王の愚物ぶりに呆れた。


「アスール王子を負け犬と呼ぶ者はいないでしょう。ダーレス王が失策を重ねたにすぎません。アレイスタが望む王は、メイシンではなくアスール国王だ」


 追従の類ではなく、事実だ。王太子という立場から前線に立つことはなかったが、長い戦争で疲弊するアレイスタを支えつづけたのはアスール王子だ。

 人族連合最強国であったアレイスタは魔王軍に最も敵視された国家でもある。前線に近い土地は戦火に焼かれ、後方の土地も戦費や徴兵といった負担に苦しみ続けていた。護国の美名のもと、それらを顧みなかったのがダーレス王であり、手を差しのべたのがアスール王子だった。勅許会社うちから投資と協力を引き出したアスール王子は前線における難民の支援や受け入れ、都市の復興、後方における飢饉や疫病対策などで精力的に動き回り、今ではアレイスタ随一の求心力をもつ存在となった。アスール王子の存在がなければ、アレイスタという国はとうに崩壊し、滅んでいただろう。民衆や、中央に切り捨てられた中小諸侯からの人気は極めて高い。挙兵でもすれば相当数の諸侯が従うはずだ。メイシン王子も一応の人気はあるが、立ち位置としては勇者ヴェルクトの添え物であり、国民からの人気や信頼度では、アスール王子には及ばない。廃太子は愚策もいいところだ。


「当たり前のことを言っても世辞にはならん」


 鼻を鳴らすアスール王子だが、やや機嫌は直ったようだ。口元が緩んでいた。


「勇者への裏切りに対する糾弾は、まずマティアル教会より行います。勇者への背信、私への背信、人族への背信の咎でメイシン王子とアスラの破門状を出し、ダーレス王に両者の処断と自身の退位を要求します」


 ターシャが聖女の口調で言った。アスラの方はもう土の中だが、形式上は無視できない。


「あの教皇に、そこまで強硬な対応ができるものか?」


 疑わしげにいうアスール王子。

 マティアル教会の最高権力者である教皇は、弱気な日和見主義者として知られている。


「メイシン王子は勇者だけでなく、マティアルの聖女である私をも葬ろうとしました。さらには私が魔王に殺されたと虚言を述べ、魔王城ごと水に沈めようとしました。そこまでされては、教会としても強硬に出ないわけには参りません」


 補足するとターシャは「教皇がビビろうがグズろうがケツを蹴り倒して破門状を出させる」と言っていた。


「なるほど」


 アスール王子は首肯した。


「ダーレスが処断と退位を拒めば?」


 少しもったいぶってから、俺はこう答えた。


「ダーレス王自身を破門、更に、王都への物流を全て遮断する用意があります」


 現在のアレイスタの物流拠点は、そのほとんどが勅許会社の影響下にある。全てというのは流石にハッタリだが、塩や穀類などの物資に限れば、その動きは封じ込められる。


「やはりその手の仕込みをしていたか、商人」


 アスール王子はさすがに渋い顔をした。


「ヴェルクトを守るためです。アスール殿下とは違い、ダーレス王は喉元に切っ先が当たっていないと、人の話を聞けない方ですので」


 悪びれずに言って、アスール王子の目を見る。


「これは、無関係の民草を苦しめる策です。ダーレス王が飢えるのは王都で一番最後となるでしょう。そうなった場合には、アスール殿下。貴方が王都に進軍してください。王都を制圧し、ダーレス王を退位に追い込み、王座に就いてください。人族のために戦った勇者を裏切り、教会に破門された王に付き従ってまで、今のマングラール公に抗う者と言えば、せいぜいターミカシュ公爵くらいでしょう。あれは、殿下の治世では生きられない手合いですから」

「余を相手に、民草を人質にとるか、商人」

「殿下でなければ通用しませんので」


 ダーレス相手では通じない交渉だ。

 高慢で誇り高く、理想の高いアスール王子だからこそ持ちかけられる話だった。

 アスール王子は部屋の戸棚に目をやる。

 そこには、年季の入った銀の杯がある。


「余の母の話は、覚えているな?」

「ええ」


 ヴェルクトが勇者になると決める直前、アスール王子自身が聞かせてくれた。

 アスール王子の母親は、夫に銀の毒杯を与えられて死んだ。

 ダーレス王の酷薄さに警戒しろという警告だ。


「それを知って、余に、ダーレスを退位させろというのだな?」

「ええ」


 退位だけでは済むまい。

 アスール王子はダーレス王に毒杯を与えるだろう。

 そこまで含めて、俺の描いた筋書きだ。


「悪党め」


 小さくつぶやいたアスール王子は沈黙し、わずかな間瞑目した。

 そして、刮目した。


「あえて覇王にはなるまいと思ったのだがな。余ほどの器となれば、やはり相応の天命があるということか」


 苦笑するように呟いて、俺の目を見た。


「いいだろう、商人。その悪辣な筋書き、余が買い取り、演じようではないか」

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