第15話 准聖女は聖句を唱える。

 王都のはずれへと転移した准聖女アナは、脱出してきた勅許会社の従業員たちと一緒にラシュディを待っていた。従業員たちには戻っていいと言われていたが、最後にもう一度謝っておこうと思った。

 その選択が、准聖女アナの運命を決定づける。


(なんだろう)


 青空に、白く光るものが見える。鳥かと思ったが、違う。

 もっと大きくて、怖いもの。そんな気がした。

 王都の方向から、まっすぐに飛んでくる。


「何かくるぞ」


 アナは知らなかったが、アレイスタ王都支店は傭兵団九尾ナインテイルの引退者を中心とする『引退した危険人物リタイアメント・デンジャラス』の集団である。空から来る『何か』を素早く察知し、戦闘態勢をとった。だが『何か』は彼らの理解を絶する速度で急加速し、従業員たちに襲いかかった。

 血煙が舞い、一人の従業員が膝をつく。

 一閃した斧槍ハルバードによって片方の足首を深く切り裂かれていた。

 低空に静止した『何か』は、光の翼を広げてアナと従業員たちに向き直る。白い鎧をまとい、四枚の光の翼を生やした戦士。先に支店長ラシュディを屋根から下水に叩き落とした白い戦士だ。


「逃げなさい!」


 アナのそばにいた五十くらいの女の従業員が叫ぶ。

 だが、遅かった。

 女の声を聞いた一瞬後、アナは女と一緒に斧槍ハルバードで串刺しにされていた。

 常軌を逸した速度。

 刺されたと気づいたのは、斧槍ハルバードの穂先が背中まで抜けたあとだった。


「貴様!」


 小剣ショートソードを手にして斬りかかった中年の従業員に、白い戦士は斧槍ハルバードに突き刺さったままの女とアナの体を叩きつける。その勢いでアナの体は斧槍ハルバードから抜け落ち、地面に叩きつけられ、転がった。腹の穴から、濃い色の血がどろどろと広がっていくのが見える。激痛の中で、准聖女は血を吐いた。

 目の前には、さっきの女従業員が倒れている。アナと同じように、血だまりの中に横たわっている。


(手当て、しないと……)


 女に向けて、准聖女は手を伸ばそうとする。

 だが、体が動かない。

 動くには、血が足りない。

 生きるにも、血が足りない。

 意識を繋ぎ止めようとしたが、どうすることもできない。

 白い戦士は淡々と従業員たちを斬り伏せ、白い鎧を血に染めていく。

 准聖女はこときれた。

 必死で地面に爪を立てながらも、なすすべもなく。


【そして『彼女』が目を覚ます】


 光をなくした准聖女の目に、奇妙な光が浮いた。

 生命の光。

 アナという少女の目ではない。もっと静かで、もっと冷めたものの目。

 人とは違う、何かの目。

 その目の前に、白い戦士が再び舞い降りる。まだ倒れたままの准聖女の頭を叩き割る角度で、斧槍ハルバードを振り下ろさんとする。

 その背中を、巨漢の足が蹴り飛ばす。

 白い戦士の後ろから放った回し蹴りは、相手の延髄を正確に捉えたが、ダメージを与えるには至らなかった。それでも注意は引けたようだ。准聖女を撃ち殺そうとしていた斧槍ハルバードは振り下ろされることなく、白い戦士は地面の近くを滑るようにして移動し、下水まみれの老兵に向き直る。

 

「団長!」


 従業員たちが声をあげる。団長というのはラシュディが傭兵団長をしていた頃の名残の呼称だ。


「待たせたな! 動ける奴は全員離れろ! こいつは俺が抑える!」


 白い戦士が再び動く。

 血まみれの斧槍ハルバードと、汚水まみれの鉄拳がぶつかりあい、雷鳴のような金属音を間断なく響かせる。


(ああ、ちくしょう。ダメだなこりゃ)


 暴風雨のように振るわれる斧槍ハルバードと、神速の剛拳で撃ち合いながら、老兵は「勝てない」と悟った。今のところは互角にやれているが、このまま戦い続ければ、勝つのは白い戦士だろう。

 人間としては常識はずれの体力をもつラシュディだが、人間である以上、全力で拳を振るえる時間には限度がある。だが、白い戦士が斧槍ハルバードを振るい続ける時間には際限がないようだった。白い戦士の斧槍ハルバードの勢いは、何合撃ち合っても衰えることがない。


(仕方がねぇ)


 振り下ろされた斧槍ハルバードが老兵の右の鎖骨のあたりを捉え、食い込んだ。

 そこにタイミングを合わせて踏み込んだ豪傑は肩口から血しぶきを吹きながら白い戦士の顔面を掴み、足を絡めて押し倒す。浮遊能力のせいか、白い戦士は空中で反転するようなおかしな挙動を取るが、問答無用、力ずくで地面に叩きつけた。

 内懐からオリハルコン・アダマンティア合金のナイフを抜き、鎧の首の継ぎ目へと叩き込んだ。

 鎧の中で、何かが血を吐く音がした。

 ナイフをひねり、首の中をぐりぐりとかき回す。びくびくと痙攣した白い戦士は、そのまま動かなくなった。


「……ちくしょうめ、歳だなやっぱり」


 失血による悪寒と目眩に毒づきながら、老兵は地面に転がる。

 正体はわからずじまいだが、まともに戦って、勝てる相手ではなかった。


 相打ちが精一杯だ。


 そのまま力尽きかけたラシュディの顔を、小さな顔が覗き込む。

 准聖女の顔だった。腹の槍傷は綺麗にふさがっている。


「だめですよ? 命を無駄遣いしたら。もうちょっと切り下げられてたら終わりじゃないですか」


 准聖女は血を溢れさせる肩口に白い指でつつくようにした。その指先が淡く光を放つと、肩の傷が塞がり、悪寒が引いていく。

 強力な治癒魔法だった。


「あんた以外には、加減をしてるように見えたんでな」


 白い戦士は圧倒的な力で従業員たちを蹂躙していたが、即死させられたのはアナの側にいた女の事務員だけだった。他の従業員はそれなりの深手を負わされていたものの、一撃で殺された者はいなかった。


「皆殺しじゃなくて、痛めつけて捕縛しろと命令されてるように思ってね。だから一発食らってみた。その瞬間だけ、こいつは手を止める」


 その一呼吸に賭けた。


「デタラメです」

「殺し合いなんてデタラメなもんさ。で、あんたは誰だ」


 アナの体で話しているが、アナとは違う。


「わかりますか?」

「あの准聖女じゃないってことはわかる」

「今はまだ、内緒です」


 准聖女は悪戯っぽく笑うと、ふっと空を見上げた。


「また来ましたね」

「なんだと?」


 視線をあげると、空に、三人の白い戦士が浮いていた。


「新手だと? 冗談じゃねぇぞ」


 一体倒すだけでも精根尽き果てている。

 さらには、動かなくなっていた最初の白い戦士までもが、血を吐く音を立てながら動き出そうとする。

 慄然とした老兵に、準聖女は微笑んだ。


「大丈夫です。止め方はわかりましたから」


 准聖女は立ち上がろうとする白い戦士に手のひらを向けると、柔らかい口調でこう囁いた。


「貴方の身が、健やかならんことを」


 聖句。

 マティアル教の治療院などで、診察後の決まり文句のようになっている祝福の言葉だ。

 魔法でもなんでもない、ただ健康を祈るだけの文句。

 だがその言葉が紡がれた瞬間、白い戦士はびくんと痙攣し、動かなくなった。白い鎧の隙間から、赤黒い血が溢れ出し、地面に広がっていく。


「おやすみなさい、どうか安らかに」


 いたわるような調子で言った准聖女は空の三騎を見上げて両手を広げる。

 微笑みながら、歌うように言葉を紡ぐ。


「健やかなれ、幸いあれ、いたわりあれ、人の身を蝕むものよ去れ。害毒よ去れ、傷病よ去れ、人の子よ忘るるなかれ、その身のうちには光ぞある。病毒阻む光ぞある」


 これもまた、ただの聖句だ。だが、柔らかく澄んだ神聖さと、霊威を帯びた声だった。目に見えない、清浄な気配があたりを満たし、傷つき倒れていた従業員たちの傷を癒やしてゆく。

 空中の三騎が、ふっと反転する。

 王都の方角へと高速で舞い戻っていった。


「なんだ?……ありがたすぎたのか?」


 退散してくれたのはいいが、理由がわからない。准聖女の神聖さに恐れ入って退散したようにも見えたが、流石にそんな殊勝な連中にも思えなかった。


「そういうことなら嬉しいんですけれど、もっとダメな、ひどい話です」


 そう告げた准聖女はゆっくり立ち上がると、動かなくなった白い戦士の兜に手をかけた。


「うーん、ええと、あれ?」

「外したいのか」

「お願いできますか?」

「その前に従業員の手当てをできないか?」


 大部分はさっきの聖句で治癒したようだが、傷が深いものも少なくない。


「そうですね、そっちを先です」


 准聖女の力を借り、負傷者の手当てをする。

 准聖女の治癒力のおかげもあって、最終的な死者は一名ですんだ。准聖女のそばにいて、准聖女と一緒に串刺しにされたセレスという事務員だ。

 九尾ナインテイル時代からのラシュディの部下でもある。


「セレスさんが殺されたのは、私の側にいたせいだと思います。多分、治癒魔法を使えそうな人間だけは優先的に殺すように命令されてて、それで、私の側にいたセレスさんが巻き添えに……ごめんなさい」

「気にしないでいい。俺たちの大半は傭兵あがりでな、王都で働く危険性は承知の上で、相応の給料をもらってここにいた」


 ラシュディは淡々と言い、話題を変えた。


「治癒魔法の使い手が狙われるってのは? あいつらは聖句に弱いのか?」

「聖句というより、免疫力が上がるとまずいんです。多分」

「多分か」

「まだ目で確かめてませんから。なんとなくはわかってるんですけど……鎧、外してもらっていいですか?」

「わかった」


 従業員たちの手を借り、白い戦士の鎧を外していく。


「なんだこいつは!」


 従業員たちはざわめき、慄然とした声をあげた。

 白い戦士の鎧の中にあったのは、人から皮膚を剥がしたような姿をした奇怪な骸だった。

 まず、目を引くのは心臓だ。

 二つある。

 本来の心臓らしきものの上に、小さな心臓が生えていた。筋肉も本来の筋肉組織の上に、薄い皮膜状の筋肉組織が縫い付けられ、二重構造となっている。背中の側には、もはやなんの臓器かもわからないような器官がいくつも繋がっていた。首の部分に、太い首輪のようなものが埋め込まれている。


「なんなんだ、こいつは」

「細かいことはわかりませんけれど、たぶん、合成獣キマイラの一種です。普通の人間に、別の何かの組織をつなぎ合わせて作ってあります」

「別の何か?」

「細かいことはわかりません」


 准聖女はのんびりと繰り返す。奇怪な死体を目の前にしても動じた気配はまるでない。やはりアナとは別の何かのようだ。


「で、なんで聖句で死んだ?」

「当たり前のことですけど、生き物っていうのは、ほかの生き物とつなぎ合わせちゃいけないんです。生き物には免疫力っていうものがあって、拒絶反応を起こして、つながれた組織同士で殺しあって死んじゃいます。だから拒絶反応が起きないよう、合成獣キマイラは免疫力を極限まで抑えてあるんです。光といたわり・・・・の聖句には、生き物の免疫力をあげる作用があります。免疫力っていうのは、病気を防いだり、治したりするのには大切な力ですから」

「そういうことか」


 合成獣キマイラは、『病んでいるから生きられる』存在であり『健やか』にしようとすれば、生きられなくなるということだろう。


「なんでわかった?」


 白い鎧の外側から見て、判断できるようなことではないはずだ。


生命いのちの動きを見てたらなんとなく」

「だからなんなんだお前さんは」


 どう考えてもアナではない。もはや人間とも思えない。


「神霊の類か」


 マティアル教に巫女はいないが、南方宗教の巫女の神憑りトランスを思い出した。


「今は内緒です」

「元の准聖女様はどうなったんだ」

「私の中で眠ってます。殺されかけて、魂が解けかけてるから、しばらくは目覚めないと思います」

「しばらくって?」

「この感じだと、多分、一、二年くらいでしょうか。ひとつ、お願いがあるんですが、いいですか?」

「なんだ?」

「私を連れて行ってください」

「目的は何だ?」


 拒否権はないだろう。

 もう一度、あの白い戦士たちが仕掛けてくれば、押さえこめるのはこの妙な准聖女だけだ。


「敵を探してるんです。あなたたちといれば、会えそうな気がして」

「敵ってのは?」


 答えは予想できたが、一応聞いた。准聖女はいたずらっぽく笑って唇に指を当てる。


「今は内緒です」

「そういうと思ったよ」


 ラシュディはため息をつく。

 殺されたセレスの遺体、白い戦士の骸を冷凍コンテナに積み込み、ラシュディたちは王都を後にした。

 目的地は王都の南方、マングラール地方の湖都リッシュ。

 アレイスタの第一王子アスール王子の治める土地だ。

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