第14話 支店長は突破する。

 早朝、勅許会社王都支店は、王都衛士隊に完全に包囲されていた。

 支店二階事務所の窓からその状況を眺め、支店長ラシュディは首や背中の骨を鳴らす。


「どうしたもんかね」


 事務室の椅子に座った小さな修道女と、窓の外の衛士たちの姿を見比べ、小さくため息をつく。

 修道女の名はアナ。

 先の事故騒ぎに関わっていたマティアル教の准聖女。

 王都衛士隊の動きを察知していたラシュディは事前の計画通り地下通路から職員と資金、書類などを逃がした上で通路を封鎖。自身は転送機能を持つ使い捨て魔導回路で脱出を図ろうとした。

 が、無人になったはずの事務室から物音がする。覗き込んでみたらこの准聖女がバスケットを持って立っていた。王都衛士隊と同じくエリクサーから勅許会社と『参謀デギス』のつながりを疑い、探しにきたらしい。用向きはエリクサーで救われた母子から届けられた謝礼のパンの配達。例の母子はパン屋の家族だったそうだ。一階に誰もいなかったため、二階に誰かいないかと思い、上がって来ていたらしい。強行突入で壊されないように扉に鍵をかけず、準備中の札だけにしておいたことが裏目に出た。

 放り出そうとした時には、建物は王都衛士隊に包囲されていた。このタイミングで出ていったら、間違いなく魔族や勅許会社との関わりを疑われることになるだろう。マティアルの准聖女とは言っても、王都の教会は惰弱だ。アナを守りきれるとは思えなかった。


「ア、アノ、スミマセン、どどどうぞ、私にはお構いなく」


 冷や汗を流しながら目を伏せ、あたふたという准聖女。


「そういうわけにもいかねぇだろうが」


 縛り上げて転がして被害者扱いにできないかとも考えたが、事務所に無関係の修道女が縛り転がされているというのも不自然だ。無関係を装っていると疑われるのが関の山だろう。

 ことの発端である『参謀デギス』こと魔剣士イズマは王都にはもういない。ラシュディが伝えたバラドたちとの合流場所に直行している。

 そうこうしているうちに、衛士隊は包囲を狭めてきた。前に歩み出た衛士隊の隊長、エンダイム兄が高らかな声で告げる。巨漢の弟に比べると小柄で細身、神経質な役人を思わせる男だった。


「アレイスタ王都衛士隊である。魔族との内通の容疑により、この建物を封鎖し、関係者を拘束する。速やかに建物を出て跪け!」


(時間切れか)


 考えている時間はないようだ。ポケットから短い錫杖ワンド型の魔導回路を取り出し、アナに差し出す。


「魔導回路の扱いはわかるか?」

「カンタンナモノデシタラ」


 相変わらずパニック気味のようだ、准聖女は青い顔で、顎をカクカクさせながら言った。


「これに魔力を通してくれ。転移用の魔導回路だ。二人いっぺんとなると距離は飛べないが、まずはこいつで抜け出すしかない」

「ワカリマシタ!」


 妙な勢いで言いながら、准聖女は受け取った魔導回路に魔力を通す。准聖女というだけあって、魔力の扱いは綺麗だった。錫杖ワンド型魔導回路が青みがかった光を放つ。


「よし、そこのボタンを押せ」

「ハイ!」


 カチリ、という音とともに魔導回路が励起する。

 准聖女の姿がかき消えた。


「やれやれ」


 一人その場に残ったラシュディは大きな手で白髪頭を掻く。二人同時に転移して逃げる、というのは嘘だ。魔導回路は最初から一人用で、事前に端末を設置しておいた集合場所に転移するよう設定してある。一人で逃げろと言っても遠慮するだろうと考え、騙くらかしたのだ。

 衛士隊が突入を開始する。

 支店はすでにもぬけの殻だ。「誰もいません!」という声と、部屋の扉を開け閉めする音が聞こえ、足音が近づいてくる。それを待つ間に、ラシュディは左右の拳に黒い布のバンテージを巻いた。


「よし」


 左右の拳骨を打ち合わせるのと同時に、事務室の扉が開け放たれた。


「いたぞ!」

「支店長のラシュディだな!」

「壁に両手をつけ!」


 三人の衛士が飛び込んできて、そんな声をあげた。


「どうも」


 ラシュディは衛士たちに向けて足を踏み出す。バンテージで固めた両腕には力を入れず、ゆるく垂らしたままである。老齢ではあるが、ラシュディは巌のような巨漢だ。その迫力に、衛士たちはたじろぐ。


「動くなと言っている! 両手を壁につけ!」


 構わずに、さらに一歩。

 そのプレッシャーに耐えかねた衛士たちは、捕り物に使う鉄棒を手にラシュディに襲いかかった。

 鈍く、重い打撲音が響く。

 三人の衛士が、事務所の床に倒れ伏す。

 ラシュディの、三度の左の拳撃けんげきの結果だった。


「少しゆるいか」


 やや納得の行かない顔でバンテージをいじりつつ、老いた豪傑は事務室をでる。そこで、次の衛士たちに行きあう。一人は小隊長クラスのようだ。鎧に赤い羽飾りがついていた。


「かかれ!」


 小隊長の号令を受け、六人の衛士が動いた。だが、六人の衛士は六人とも、黒いバンテージに巻かれた剛拳の一撃で鎧を変形させられ、叩き伏せられる。いかに剛拳と言えど、鉄の鎧を上回る強度は持っていない。拳に巻いた魔術絹布のバンテージの作用だ。インパクトの瞬間に魔力を通すことで、骨と肉の拳に鉄槌以上の強度を与える。

 黒い拳のラシュディ。

 今では忘れられかけているが、四十年ほど前には伝説だった男の二つ名。


「なっ……」


 愕然とした声をあげる小隊長に、ラシュディはとぼけた笑みを浮かべて見せた。


「お引き取り願えませんかね? 大人しく引き上げてくれりゃあ、怪我人を増やさずに済む」

「ほざけ!」


 小隊長は剣を抜き撃つ。王都衛士衛隊小隊長と言えば、叩きあげの腕利きである。稲妻を思わせる強烈な一閃だった。だがその切っ先が届く前に、ラシュディは小隊長の内懐に滑り込み、相手の顔面に鉄拳をめり込ませていた。

 体ごと吹っき飛ばされた小隊長は壁に叩きつけられ、動かなくなる。


「だから言ったでしょうに」


 ラシュディは腰に手を当てて伸びをし、再び歩き出す。群がる衛士たちをことごとく叩き伏せて、支店の一階まで降りた。だがさすがに先方も一筋縄ではないようだ。支店を取り囲む衛士たちの多くは弓矢の類を手にしていた。


「年寄りに飛び道具とは卑怯なり……っと。あったあった」


 逃げ遅れた時のために床板の下に残しておいた手投げ魔導弾の箱を引っ張り出し、バリバリと蓋を引きはがす。右手のバンテージを外し、中に入っていた松ぼっくり大のクリスタルの塊を窓から投げた。手投げ用魔導弾は四種類、それぞれ衝撃波インパルス暗闇ダークネス静寂サイレンス騒音ラウドネスの四種の魔法が組み込まれている。豪傑の強肩から次々と投じられた魔導弾は支店を包囲する衛士たちを衝撃波で吹き飛ばし、闇に沈めて大混乱に陥れ、静寂と騒音によって指揮系統をひき割いていく。


「こんなところかね」


 そろそろ潮時だろう。パニック状態に陥った衛士隊を尻目にラシュディは支社の階段をのぼる。屋上に出ると、助走をつけて隣の商店の屋根の上へと飛び移った。

 そこから更に隣の屋根、また隣の屋根と飛び移り、支店を離れていく。

 地上が大混乱になっただけに、上に注意を向ける者はいない。当初の夜逃げ計画通り、ラシュディは支店を離れていく。

 だが、妙な視線を感じた。

 王都マティアル教会の屋根の上で、ラシュディは足を止め、空を仰いだ。

 視線の先に、人影があった。

 白い全身鎧、手には斧槍ハルバード。背中に四枚の光の翼を生やし、上空に浮いている。フルフェイスの兜で顔は見えないが、こちらを追跡していたようだ。足を止めたラシュディに合わせて静止した白い人影は予備動作なしで、ふっと加速した。斧槍ハルバードを振りかざし、攻城弓バリスタを思わせる勢いで老兵に襲いかかる。左の魔術絹布に魔力を通し、ラシュディは斧槍の刃を拳で迎え撃つ。

 鋼を砕く豪拳は、斧槍ハルバードの一撃を真っ向から受け止め、静止させた。

 だが、足場が悪すぎた。ラシュディの巨体は教会の屋根板ごと吹き飛んで宙を舞う。そのまま弧を描いて落ち、教会の地面のタイルを突き破って地下へと落下した。

 視界が暗転し、水音が響く。異臭が鼻をついた。

 下水道であった。


「ああくそ、ひでえなこりゃ」


 落下でぶつけた肩や腰を動かし、唸りつつ上空を見上げる。追撃をかけてくるかと思ったが、白い戦士は空中に静止したまま動かない。汚水まみれの老兵に興味をなくしたように、すっと移動を開始した。

 従業員たちとの合流地点の方角だ。


(まさか)


 偶然かもしれないが、従業員たちを狙っているとするとまずい。一度撃ち合っただけだが、途方も無いバケモノだとわかった。支店のメンバーはそれなりの腕利き揃いだが、それでも太刀打ちするのは難しいだろう。


「ちくしょうめ」


 下水の壁に爪を立て、汚物まみれで地上に這い上がる。何事かと集まってきていた教会の聖職者たちに「毎度どうも」と片手を挙げて見せた後、猛然と走り出した。

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