第12話 魔族は友の名を騙る。

「気味が悪ぃんだよ!」


 冷笑するイズマに向けて、エンダイム弟は鞭を一閃した。先端から火が出るような痛烈な一撃。イズマはそれを、最低限の動きで外す。

 一つの不運がイズマを襲った。

 エンダイム弟の鞭をかわした刹那、一陣の強風が吹き抜けて、巡礼帽の角度がわずかにずれた。

 巡礼帽の下の顔は包帯で覆ってあるが、目元までは隠せない。かつてはレストン族、今日では魔族のトレードマークである紫の目を、エンダイム弟は見逃さなかった。


「魔族、だと?」

「ああ」


 エンダイム弟は野獣のような男だ。誤魔化しはきかないだろう。目元を隠す代わりに視線を上げ、笑って見せた。


「腐った人族の天敵さ」


 うそぶくイズマを見下ろし、エンダイム弟もまた凶暴に笑み、口角をあげた。


「面白ぇ! 一度殺してみたかったんだよ。魔族ってやつを」


 狂犬のような台詞を吐き、エンダイム弟は背中の大剣を抜き放つ。各部に黄金のエングレーブが施された豪奢な得物だ。

 黄金剣ゴルト・ゴーファー。

 アレイスタの名家であるエンダイム家に伝わる名剣だ。大陸五剣として別格扱いのホルス・レイやアガトス・ダイモーンなどには風格において一歩劣るが、一撃の破壊力においては随一とも言われている。

 ゴルト・ゴーファーの魔導回路に魔力が流し込まれ、分厚い刀身が金色の炎を纏う。


「オオオラアアァッ!」


 荒々しい声とともに、炎の軌跡を描いてイズマを襲う黄金剣。人間性はさておき、太刀筋は見事だ。立ち塞がるもの全てを一刀で斬り伏せ、打ち砕いてきた百戦錬磨の剣。

 実績に裏打ちされた傲岸な剛剣と言ったところだろうか。

 だがイズマは勇者ヴェルクトと戦い続けてきた魔剣士だ。

 体格と才覚に任せた天稟だけの剣など通用しない。

 ゴルト・ゴーファーの刀身を右手で掴み、受けとめる。仕込み杖を抜けば一瞬で斬り伏せられる程度の相手と見切っていたが、嗜虐的な感情が湧いていた。

 善良な修道女を殴りつけ、怪我をした同族の幼な子を手荒に扱おうとするような手合いだ。

 武人として扱ってやることはない。

 目を見開く巨漢を見上げて、イズマは冷笑する。


「いい剣だが、お前には過ぎた玩具だ」


 ゴルト・ゴーファーの黄金の炎は刀身をつかんだイズマの手にも及んでいたが、イズマの体や衣服が燃え上がるようなことはない。見た目は派手に燃えているが、収束率も熱量も低い。魔導回路をうまく扱えていない証拠だ。

 エンダイム弟の顔が青ざめる。必死で黄金剣を押し込もうとしても、細身の魔族の体は微動もしない。剣を戻すことすらできなかった。


「ば、バケモノが!」


 エンダイム弟はゴルト・ゴーファーの魔導回路にさらに強く魔力を注ぐ。黄金の炎が火勢を増し、イズマの全身を飲み込もうとする。

 だがイズマは動かない。黄金剣の刀身をつかんだまま、問う。


「これが全力か?」

「な、なんで焼けない! なんだ! なんなんだテメェは!」

「デギス、魔王軍参謀」


 魔剣士イズマと聖女ターシャは死んだことになっている。当面の間は勇者ヴェルクトを追い詰め、敗れた盟友の名を借りることにした。人族の間でもデギスの名は有名だ。多少の攪乱にはなるだろう。


「し、死んだはずだ!」

「何度だって蘇るさ。人族の傲慢が正されるまで」


 芝居掛かった調子で言いつつイズマは仕込み杖を手放した。ゴルト・ゴーファーの柄を握るエンダイム弟の手に触れる。

 そこから黄金剣の魔導回路に自身の魔力を流し込む。


「魔導回路の使い方を教えてやる」


 黄金の炎が火勢と圧力を増し、炎の渦となる。

 

「ヒッ……」


 エンダイム弟は剣から手を離そうとするが、イズマの手は巨漢の手を捉えて離さない。

 すでに魔導回路の支配権はイズマが掌握している。勢いを増した黄金の炎が巨漢の手を覆い、全身をのみ込んだ。


「あぎゃああああああああっ!」


 恥も外聞も無い絶叫をあげるエンダイム弟。

 殺すつもりはない。その自信と傲慢を砕き、恐怖を植え付けるだけでいい。

 ただの下衆を、武人として死なせてやる慈悲はない。

 手の力を緩めてやると、エンダイム弟は黄金剣を手放して地面を転げ回った。

 手の中に残った黄金の大剣を片手で持ち上げ、振り下ろす。

 魔導回路の炎は使わず、巨漢の眼前をかすめるように一閃した豪剣は、その風圧だけでエンダイム弟の五体を覆った炎を吹き散らした。


「これに懲りたら、半端な業前で戦士の真似事をするのはやめておくことだ。おまえはただ、体が大きいだけの孺子こぞうだ」


 用が済んだ黄金剣を空に向かって投げ上げ、地面に転がしていた仕込み杖を拾う。黄金剣が巨漢の眼前に突き刺さるのと同時に、イズマは仕込み杖を納刀した・・・・

 黄金剣が中程から両断され、地面に落ちる。


(凄まじいな)


 自分でやったことだが、自分の剣の切れ味に驚いた。

 ホルス・レイ・アルタード。

 足の治療を終え、旅装を整える時にバラドの秘書であるグラムが用意してくれた魔導剣。ヴェルクトが使っていた宝剣ホルス・レイを分析、再設計して作られた新造宝剣だ。一言でいうと模造品だが、経年劣化によって本来の力を失っていたホルス・レイの機能を完全に発揮できるように製作されており、現時点での性能であればオリジナルを上回る。

 ホルス・レイ・アルタードの魔導回路の機能は刀身の強度と切断力の向上、思考速度の加速、至近未来の予測の四種。今回使ったのは強度と切断力強化だけだが、凄まじい切れ味になっていた。

 固まる前の飴でも切ったような断面を見せ、黄金剣は断ち切られていた。

 必殺のはずの一刀を片手で止められ、魔導回路の制御を掌握されて火だるまにされ、最後には剣そのものを断ち切られる。

 暴力性と傲慢さを下支えしていたものを根こそぎ引き裂かれたエンダイム弟は、人喰いの獣に追い詰められた子供のように震えあがり、悲鳴をあげて逃げ出した。

 斬りふせるのは簡単だが、放っておいた。

 改心するとは思わないが、戦士としてはもう使いものになるまい。まっとうな修道女の前で、偽修道女が人斬りをやるのも気が引けた。

 巡礼帽子をかぶりなおし、へたり込んでいる准聖女たちに目を向ける。准聖女はあっけにとられた顔を、取り巻きの聖職者たちは震え上がった顔をしていた。


「巻き込んでしまい申し訳ありません。あとのことはお願いします。それと、ご覧の通り、私は偽修道女です。マティアルとはなんの関わりもありません」

「……ぁ、はい。い、いえっ! ありがとうございましたっ」


 だいぶ混乱しているようだ。准聖女は細い首を上下左右にブンブンと振った。頰のあたりがやや赤いが、それより首の方が心配になった。


「では。首をお大事になさってください」


 立ち去ろうとしたイズマの視界に、一人の男の姿が映る。帽子をかぶった大柄な男だ。何かアピールするようにイズマに手を振っている。イズマが視線を向けると、耳元で『イズマさんだな。社長から話は聞いてる。ついてきてくれ』という男の声がした。

 戦場の囁きウォーウィスパー

 離れた相手の耳元に声を飛ばす戦場用の簡易魔法。

 踵を返した男の後を追って歩き出す。まだ衛士隊の人間は残っているが、エンダイム弟の敗北で戦意を失ったようだ。あえて追ってくるような気配はなかった。

 だが、衛士隊とは別の尾行者がいた。

 密偵七家とやらだろう。

 アレイスタ王家に仕え、各地に監視網をはりめぐらせる密偵一族。王都にも多くの密偵を配置し、来訪者や自国民を監視し続けているらしい。

 謎の男は密偵七家より上手を行っているようだ。男を追っていくうちに、追手の気配は消えていた。飲食店が軒を連ねる横丁に足を踏み入れた男は、屋台のテーブル席に腰を据え、太い声で「こっちだ」と言った。

 イズマが歩み寄ると、男は帽子を取る。白髪頭に髭面、大柄で筋骨たくましい巨漢の老人だった。


「マティアル勅許会社、アレイスタ王都支店長のラシュディだ」

「イズマだ。手間をかけさせて申し訳ない。社長はどこに?」

「細かい所在はわからないが、あんたが来たらマングラール湖都の支店に向かうようにって伝言されてる。この分だと、近いうちに俺たちもそっちに夜逃げする羽目になりそうだがね」

「何か問題が?」

「あんただよ。あの子供にうちのエリクサーを使っただろ? 現状エリクサーの製薬技術を持ってるのはうちだけだ。しかもデギスなんて名乗った。うちと参謀デギスが繋がっているって話ができちまう」


 言われてみればその通りだった。

 自分自身が魔族として追われるだけならばいいが、勅許会社を巻き込む形になってしまった。


「すまない」

「まぁ、あの状況じゃあ仕方がないがね」


 ラシュディは男っぽく笑った。


「うまいやり方とは言えないが、見てるぶんには痛快だった」

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