第11話 魔族は王都に潜り込む。

 ヤクシャ家襲撃事件から数日後、マティアル法王国で足の再生処置を受けたイズマは栗毛の天馬を駆ってアレイスタ入りした。

 マティアル教の巡礼用つば広帽と法衣で変装し、剣を仕込んだ杖を手に王都に潜り込む。

 巡礼帽を深く被って雑踏を進んでいくと、高い馬の嘶きとざわめき、女の悲鳴が響いた。


「誰か! 誰か助けてっ!」


 事故のようだ。

 視線をやると、妙な方向に首が折れ曲がった幼児とそれに取りすがる母親、幼児を跳ね飛ばしたらしい貴族の馬車が目に入った。大路の端のほうだ。御者がしくじって、路肩の歩行者に突っ込んだのだろう。

 足を止めたイズマは、少し躊躇した。イズマに回復魔法の心得はないが、法王国を出発した時に勅許会社から提供されたエリクサーがある。助けられるかもしれない。だが、人通りの多い往来だ。イズマが魔族であると気づくものが出るかもしれない。

 この場は立ち去るのが上策だろう。

 そう判断したのだが、足が動かない。

 理屈では立ち去るべきとわかっていても、持って生まれた性格がそれを許さない。

 そんな自分に嘆息した時、一人の少女が母子の側に歩みよった。マティアル教の修道女のようだ。ターシャと同じ僧服を纏った黒髪の娘。歳は十五くらいだろうか、優しげな面差しは、どことなくだが勇者に似ている。


「私が診ます!」


 母親の返事を待たず、少女は倒れた幼児のそばに跪く。それを追う形で数人の修道士たちが駆け寄ってきた。


「アナ様!」


 それが少女の名前らしい。少女は修道士たちには目を向けず、じっと子供の姿を観察し続けている。


「助からないでしょう」


 修道士の一人が言った。


「いえ」


 修道士の声にそう応じた少女は折れた幼児の頚椎の位置を戻す。変色した細い首に触れ、癒しの力を注ぐ。

 白い光が生じた。

 だが、幼児が息を吹き返すことはなかった。


「息がありません。天命だったのです。参りましょう」


 修道士たちは少女を立ち上がらせようとする。少女の行動を面倒がっている気配が見える。幼児よりも幼児を跳ね飛ばした貴族の馬車の方に、焦ったような、媚びるような目をチラチラと向けている。

 だが少女は意に介さない。


「まだです」


 幼児の上に小さな胸に手を当て、何度も圧迫していく。外から心臓を刺激し、蘇生しようとしているようだ。

 それでも幼児が息を吹き返すことはない。

 母親の嗚咽が聞こえた。

 やはり、動かないわけには行かないようだ。

 愚行であるとはわかっているが、放ってはおけなかった。


(すまないな)


 胸の中でバラドたちに詫び、足を踏み出した。

 

「これをお使いください」


 少女に歩み寄ったイズマは、懐から小さな薬瓶を取り出して見せた。


「なんですか?」


 少女は怪訝な顔をする。


「エリクサーです。これを使えば蘇生できるかもしれません」

「不敬な!」


 少女の取り巻きの修道士が声をあげた。


「旅僧風情が准聖女じゅんせいじょ様に直に口を効くなど」


 准聖女。

 聖女に準じるもの。

 次期聖女の候補者を示す称号だった。


「黙っていてください」


 居丈高に騒ぎ立てる修道士達にピシャリと言って、准聖女はイズマを見上げた。


「どうすればいいですか?」

「口を開けさせてください」

「はい」


 薬瓶を開け、白く輝く薬液を幼児の口元に注ぐ。その効果は劇的だった。程なく幼児の鼓動と呼吸が戻る。


「良かった!」


 准聖女は喜びの声をあげる。


「念のため、治療院に連れていったほうがいいでしょう。申し訳ありませんが、急ぎますのでこちらで」


 目立ちすぎている。さっさと退散するにこしたことはない。

 だが、間に合わなかった。


「待て!」


 横合いから太い声が飛んできた。

 野次馬たちをかき分けて、青い鎧を纏った兵士たちが姿を見せた。王都の治安を司る王都衛士隊のパトロール小隊。気配には気づいていたが、子供の容体を見ている間は身動きできなかった。

 

「事故を検分する。関係者は全員衛士隊の詰所に同行しろ」


 隊長格らしき大柄な男が言った。七フィートに近い長身に筋肉質の肉体を持つ、凶暴な雰囲気の男だった。背中には金の装飾がされた大剣を背負っている。


「衛士様」


 准聖女は顔をあげる。


「子供が怪我をしています。先に治療院に運ぶわけには行きませんか?」

「なんだテメェ?」


 大柄な男は、高圧的な表情で准聖女をねめつけた。


(エンダイム弟か)


 イズマは元魔王軍幹部。人族側の有力人物についての情報は持っている。おそらく王都衛士隊の副隊長、エンダイム弟だろう。持って生まれた恵まれた体に、野獣めいた戦闘センスの持ち主。粗暴な性格から勇者パーティーのメンバー候補からは外されたが、大剣使いとしての戦闘力は人族最強格としてそれなりに危険視されていた。


「マティアル教の准聖女アナスタシアです。事故の検分には協力しますが、先にこの子を」

「うるせえよ」


 エンダイム弟は、手に持った鞭で准聖女の横腹を打擲ちょうちゃくした。遠慮も呵責もない、粗野な暴力衝動をむき出しにした一撃だった。准聖女は息を詰まらせ、悲鳴もあげずにその場にうずくまった。


「白昼の往来で騒ぎを起こして准聖女様もクソもあるかボケが!」


 修道士たちは青ざめ、跪く。


「お、お許しください! 准聖女は年少ゆえ、ものの道理を心得ておらぬのでございます!」


 慌てふためいた修道士たちはその場に這いつくばった。言われもしないのに小さな金の包みまで差し出す。エンダイム弟はふんと鼻を鳴らすと、連れていた衛士に顎をしゃくった。衛士が包みを受け取ると、エンダイム弟は倒れた准聖女に唾を吐く。


「これに懲りたら、准聖女なんて半端な肩書きをふりかざすのはやめとくんだな。女とガキを連れていけ」


 衛士たちが母子に手をのばす。

 幼児の首へ伸びた手を、イズマは杖で打ち払った。


「ああ?」


 チンピラめいた声をあげるエンダイム弟、その後方を、幼児をはねた貴族の馬車が進んでいく。


「あちらは検分しないのか? はねたのはあの馬車だ」

「バカか、ターミカシュ公爵家の馬車を検分なんざするわきゃねぇだろうが」

「咎めないと?」

「何を咎めるってんだよ。貴族が平民を轢き潰して咎められるなんて話聞いたことねぇよ」

「なるほど」


 イズマはつぶやいた。


「そういう国か、ここも」


 魔王国もそういう国だった。魔族がレストン族と呼ばれていた頃はそうではなかったが、魔王ガレスの狂気に引きずられるように、そういう国に成り果てていた。

 そんな国だったから、イズマは魔王国を捨てた。

 アレイスタという国は魔王がいなくてもそういう国のようだ。

 倒錯した安堵を感じ、イズマは口元を緩めた。

 魔王ガレスの怒りは、全てが間違ったものではなかった。少なくともアレイスタという国家への憎しみは、大義と正当性を持ちえるものだ。

 それを再確認できたことへの安堵だった。


「ぁ? なんだ?」


 エンダイム弟が、イズマをねめつける。

 イズマは笑う。


「嬉しいよ。魔族ぼくらが憎んだ人族は、ちゃんと腐ってる」

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