第10話 密偵長は動き出す。

 ラクシャ家当主ミスラーがヤクシャ家襲撃の報告を受けたのはバラドたちの襲撃から半日後のことだった。

 ラクシャ家は密偵七家の筆頭、王の耳と呼ばれる一族だ。主に国内情勢を監視し、不正や反乱などを未然に防ぐ、いわゆる公安部門を司る存在である。ヤクシャ家を含めた他の密偵一族の統括者でもあった。

 ヤクシャ家へ赴き、事件現場の検証を終えたミスラーは襲撃事件に関する箝口令を敷き、アスラは当面急病としておくように指示を出すと、アレイスタ王ダーレスへの報告に出向いた。

 ダーレス王の執務室に続く回廊で王太子アスールと行き会う。派手な赤毛に豪奢な衣装を纏った三十手前の美丈夫だ。弟のメイシンと同じ魔導騎士だが、王太子という立場から前線に出ることはなく、王都にほど近いマングラール地方の領主を勤めている。

 対するミスラーは三十代半ば、黒髪に長身、大蛇パイソンを思わせる冷めた目としなやかな長身の持ち主である。

 ダーレス王と話をしていたのだろう。回廊に跪いて行き過ぎるのを待っていると、アスール王太子はミスラーの前で足を止めた。


「何かあったか? 地獄耳」

「私は、王の耳にございますので」

「余に聞かせる声はないということか」


 アスールは高慢な調子でいい、笑った。


「申し訳ございません」

「まぁよかろう。これからも励めよ」

「はっ」


 アスールは立ち去っていく。

 再び立ち上がり、ダーレス王の執務室に足を踏み入れる。執務室にはダーレス王とその侍従たちの他、メイシン王子の姿があった。普段通りに人払いを願ったが、ダーレス王はメイシン王子に「残れ」と言った。

 ダーレス王が告げる。


「魔王討伐の功績により、王太子はメイシンに変えることとした。正式な発表は国葬の際に行うが、今日よりそのように心得よ」

「はっ」


 ミスラーは冷静に応じる。

 魔王討伐が成功した時点で予見できた流れだ。ダーレス王とアスール王子は相性がよくない。長子相続の慣習からアスール王子を継嗣に定めてはいたものの、近年は意見の対立が増え、関係は悪化の一途にあった。

 いずれにせよ、ミスラーが口を出すような話ではない。当初の予定通りヤクシャ家の襲撃、アスラの失踪を報告する。

 ダーレス王とメイシン王太子は厳しい表情を見せた。


「襲撃者の正体はわからぬのか?」

「詳細は不明です。ヤクシャ家の者からの聞き取りによると、強力な魔術師が関与しているようです」

「魔王軍の報復の可能性は?」


 ダーレス王は重ねて問う。


「現状では判断できません」

「わかった。この件の調査はお前に一任する。隠密裏に、最優先で調査を進めよ」

「かしこまりました。別件となりますが、ターミカシュ公爵領にて大規模な水害が発生した模様です」

「聞いておらぬな」


 ダーレス王は眉根を寄せた。


「ターミカシュ公爵は出入りの商会よりまいないを取り、治水工事の手抜きを許していた模様です。水害の存在そのものを揉み消そうとしているものと思われますが、そのために災害対応が追いついておりません。早急に対応が必要です」

「そうか、後日公爵本人から話を聞くとしよう。下がって良い」

「はっ」


 執務室を後にしたミスラーがラクシャ家へと戻ると、部下たちはすでに最初の報告をまとめていた。


「王都の北方で、襲撃犯のものと思われる馬車の目撃情報が得られました」

 呪われた教会の礼拝堂で、俺とボーゼンはターシャの話を聞いた。

 ちぎれたアスラの骸は拷問倉庫ごとボーゼンの重力魔法で圧縮し、地面に埋めて片付けた。


「首の後ろの文字か」


 ヴェルクトの首の痣のことは、俺も知っている。くるくると丸く縮れた糸のような線だったが、実は魔術文字の一種で、emeth(エメス)と記されていた。

 その左端のeの文字を切れというのが、メイシンがアスラに与えた命令だった。

 俺にはどうも要領を得ない話だったが、ボーゼンには思うところがあったようだ、ふむ、と声をあげた。


「ゴーレムの制御に用いる文字じゃな」

「ゴーレム?」


 古代錬金文明が使役していた人型魔法生物。


emethエメスというのは、魔術文字で真理を意味する。先頭のeを削るとmethメス、死を意味する言葉に変わり、ゴーレムは機能を停止する。浅く切られただけで事切れてしまったのはそのせいじゃろう。勇者殿の正体がゴーレムであれば、じゃが」

「あいつが、ゴーレム?」


 バカな、と言いかけたが、思い当たる節はあった。

 ヴェルクトは成長が遅かった。出会った頃には十歳くらいと思っていたが、出会って十年すぎてもせいぜい十六、七にしか見えない姿だった。自分の体重よりも大きな武器を平気で振り回し、どれだけ動き回っても息を切らすこともない。魔力も無尽蔵と言っていいようなバケモノぶりだ。それにヴェルクトの遺体は、今に至っても腐敗していないらしい。世間一般でいう石巨人ゴーレムのイメージとは違うが、普通の生物とは言い難い存在であるのは間違いないだろう。髪の毛が桃色というのも、あるいはその辺の関係かもしれない。


emethエメスの件が事実であれば、異形の神の言葉、あながち嘘ではないかもしれぬな」

「蘇生ができる?」

「通常のゴーレムであればeの字を書き直すだけで良い。勇者殿も同じ方法で蘇生できるかは検討が必要じゃが」

「本人を取り戻さないといけませんね」


 蘇生の方法を検討するにも、ヴェルクト本人がいなければ限界がある。だが、ヴェルクトの遺体はアレイスタの宮殿内の霊廟に安置されている。ヤクシャ家のような殴り込みは通用しないだろう。転移魔法で直接飛び込んで遺体を回収できれば簡単だが、転移よけが施されている。


「国葬に潜り込むしかないか」


 国葬の来賓に紛れ込んで転移除けを解除、ヴェルクトの遺体を回収して、ボーゼンの転移で離脱、と言った作戦になるだろうか。


「策はあるのかい?」

「ヴェルクトが勇者になる前の知り合いに大物がいる。事情を話せば力に……」


 そこまで言ったとき、教会に一羽の鳩が入ってきた。トーレル伝書鳩。帰巣本能ではなく魔術的に登録された人に向かって飛ぶ性質を持つ鳥だ。手を伸ばすと、伝書鳩は俺の手首の上に舞い降りた。足首には、通信文書を入れる小さな缶がついている。

 缶を取り外すと、伝書鳩は再び羽ばたいて、主人の元へと帰って行った。缶の中には二通の書状が小さくたたまれて入っていた。


「なんだい?」

「知り合いからだ。嗅ぎつけられたらしい。アレイスタの密偵団がこっちに向かってる」


 場所を移したほうがいいだろう。

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