第9話 聖女は密偵を拷問する。
目を覚ますと、アスラは空の倉庫の真ん中に滑車と鎖で吊るされていた。
口には自殺防止用猿轡。後ろ手に縛られた状態で手首に鎖をかけられ、それが天井の滑車に引っ掛けられている。足も鎖でくくられ、足の鎖の先には荷物を吊るのに用いるリングが付いていた。
アスラの前には、金髪に青い目をした三十歳ほどの女の姿。尼僧服の上に黒い上衣を纏っていた。
聖女ターシャ。
吊り上げられたアスラの姿を見上げたターシャは、その口元に凶悪な笑みを浮かべた。
「目が覚めたようだね。早速始めようか」
ターシャは足元にあったリールに手をかけ、そのロックを外した。リールの鎖は滑車を介してアスラの手首につながり、その体を吊り下げている。ロックが外れたことでアスラの体は地面に向かって落下した。だが、地面に触れる少し前で鎖が張り詰めて静止した。勢いを急に止められた結果、手首に手枷が深く食い込み、全身に強い衝撃が襲いかかる。手首と両肩、砕けた骨盤に激痛が走る。
アスラは声にならない絶叫を上げた。
「滑車の拷問って言ってね、百年くらい前、暗黒時代のマティアル教が異端審問やら魔女狩りやらに使ってた。今やった通り、鎖で天井まで吊り上げて落とす。で、地面に落ちる前に鎖が伸びきって止まる。落下の勢いが手首や両肩の関節にかかって折れたり脱臼したりするって寸法さ。あんたの場合は骨盤もいってるから腰にも響くだろうね。吐かなければ足に重りをつけて衝撃を強めていく。だいたいそう言う流れさ。白状したくなったらこっちのクリスタルに向かって頭の中で語りかけとくれ。舌を噛まれちゃ困るから、猿轡は外さないよ。ま、歯の方も全部抜いてあるがね」
そう言いながら、ターシャはアスラの足のリングに鎖つきの鉄球を一つ引っ掛ける。
「まずは十ポンドからだ。聞きたいことはあんたたちがヴェルクトに何をしたかだ。なぜヴェルクトは、あんたにちょっと切られただけで死んだんだい?」
答えるつもりはない。答えられるはずがない。答えれば、アレイスタを裏切ることになる。
最愛の妹を失って得た栄光が、水の泡になってしまう。
「次行こうか」
ターシャはためらいなくリールのロックを外す。重りによって負荷を強められた体が空中で静止させられる。全身におぞましい衝撃、激痛が走り、アスラは目を剥いた。だが、アスラも密偵だ。この程度の苦痛で屈しはしない。
「二〇ポンド」
重りが増やされ、再び天井近くへ吊り上げられる。すぐに、床の近くまで落とされた。
右の肩が脱臼した。
砕けた骨盤が耐え難い痛みを放ち、アスラは悶絶した。
「さすがだね。これくらいじゃあまだまだ吐かないか。どんどん行こう」
ターシャはまた重りを増やし、アスラの体を吊り上げた。左の肩が脱臼し、アスラが失禁し、嗚咽するようになっても構わずに重りを増やし、吊りあげ、落とし続ける。
死ぬことすら許されなかった。
感覚が麻痺すれば回復魔法をかけられ、衰弱すれば漏斗でポーションを流し込まれ、錯乱しても、正気に戻される。
一日は、耐え抜いた。
だが、それ以上は耐えられなかった。
『……大したことは、知らない……メイシン王子の指示通りに、勇者の首の後ろを切った、それだだ……』
思念会話用のクリスタルを通して、アスラは言った。
「具体的な指示の内容は?」
『勇者の首の後ろに、細い痣がある』
「知ってるよ」
『その痣は、emeth(エメス)という魔術文字だそうだ。その左端にあるeの文字を切れと言われ、切った。それだけだ、それ以上のことは、知らない……」
「なるほどね」
ターシャは冷めた調子のまま言った。
『もう全部! 全部話した。話した……話した……本当、だから、もう……許して、許してください!』
淀んだ目、失禁した汚物にまみれながら、アスラは懇願した。
「信じるよ。あんたはもう、洗いざらい白状した」
微笑んだターシャは、フックの重しを増やし始めた。
○
○
○
○
○
三百ポンド。
四百ポンド。
五百ポンド。
アスラの顔が激痛に歪み、絶望の色に染まっていく。
『やめろ! なにをする! もう話した! やめてくれ!』
「わかってるよ。だから拷問はもう終わり。ここから先は、処刑の時間さ」
血と涙で濡れたアスラの顔を覗き込み、ターシャは残忍に言った。
「実は私も、あんたたちを笑えないのさ。私も魔王討伐が終わったら、あんたを潰すつもりでいてね」
『私が何をした! お前やマティアル教に不利益を与えるようなことは何も!』
「聞いたんだよ。あんたが、カグラに何をしてたかってことを」
『な、何を言って……』
「否定してもいいさ。私は全部、カグラ本人から聞いてるし、カグラの言葉を信じてる。私はあの子から告解を受けたのさ。十になる前から、あんたに犯されてたって話をね。苦しんでたよ。自分は、心も体も汚れ切ってるって。口やケツの穴まで欲望のはけ口にされてた自分が、勇者さまのそばにいていいのか、友達みたいな関係でいていいのかってね」
勇者ヴェルクトの最初の仲間の一人、ヤクシャ家の密偵カグラは、年の離れた兄であるアスラから性的虐待を受けていた。その心に初めて踏み込み、初めての友人となったのが、ヴェルクトという少女だった。だが、邪欲によって傷ついたカグラの心は、自分がヴェルクトの友人であることを肯定できなかった。
「私はあの子を救えなかった。心の傷が癒える前に、あの子は友達のために死んじまった。あの子が最後、なんて言ったか教えてあげるよ。嬉しいって言ったのさ。ヤクシャ家のためじゃなく、ヴェルクトのために、友達のために死ねて幸せだって言ったんだ。そんなどうしようもないことが、幸福と思えちまうくらいになってたんだよ。だってのに、あんたはヴェルクトまで手にかけた。カグラが大切に思っていたものまで、あの子が死んでまで守ろうとしたものまで踏みにじった。だから私は、あんたを殺す。あの子への償いとして、あんたを殺す」
ターシャはリールを巻き上げる。
『……許して、許してくれ、もう落とさないでくれ、謝る! なんでもする! だから』
「大丈夫さ。もう落とさないよ」
ターシャは嗤う。
「この重さで吊り落としをやったら体がちぎれて即死だからね。最後はこのまま、死ぬまで放置する。重石でゆっくりと関節が壊れて、体を引き裂かれていく痛みを感じながら、時間をかけて死んどくれ」
『待って! 待ってくれ! 助けて! 殺さないで! 嫌だ! 待って!』
命乞いの思念を音にするクリスタルを止め、ターシャは木箱の上に腰を降ろした。
「反省しなくていい。見ていてやるから、惨めに、もがいて死んどくれ」
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