第8話 商人は殴り込む。
メイシンたちの凱旋から数日後、俺とボーゼン、ターシャはアレイスタ王都に入った。イズマも同行したがったが、さすがに目立ちすぎる上、片足を失った状態だ。まず法王都で治療に専念してもらうことにした。
アレイスタ王都の勅許会社の支店を訪ね、王都の状況を確認する。
アレイスタ王都の支店長を任せているのはラシュディという男だ。歳は六十代半ばだが、大柄で筋骨たくましい白髪頭の豪傑。前職は勅許会社傘下の傭兵団、
「勇者ヴェルクトの棺は現在フェスメル大霊廟に安置されています」
「アレイスタ王族の霊廟じゃないか」
ラシュディの言葉に、ターシャは目を丸くした。
「勇者様の遺体とはいえ、よく
「メイシン王子の婚約者ということで、特例的に安置をしているんだそうで」
「婚約者?」
初耳だ。
「魔王討伐の旅の途中で恋に落ち、結婚を誓ったという話になっているようです。一ヶ月後の国葬と同時に、メイシン王子と勇者様の冥婚を行うと発表されてます」
冥婚というのは、婚約関係にあった男女の一方が死んだ時に行われる儀式だ。死者が生き返ったりはしないが、家同士の姻戚関係は成立する。政略結婚向けのシステムだが、今回は勇者という存在を王族に組み入れることで、王家の権威を拡大することが目的だろう。
「反吐が出るね。死体まで利用しようってのかい」
ターシャが吐き捨てた。
俺ともしてもメイシンとヴェルクトの冥婚など認められない。すぐに大霊廟へ乗り込み、ヴェルクトの遺体を奪還したいところだが、今は我慢のしどころだ。アレイスタ王宮の大霊廟となると流石に一筋縄ではいかない。
ヴェルクトの遺体を奪い返せば、王都には滞在できなくなる。
先にメイシン、アスラの身柄を抑え、ヴェルクトに何をしたかを吐かせておきたい。
王宮に戻ったメイシンには手を出しづらい、まずはアスラにターゲットを絞った。
アスラはアレイスタ王家に仕える密偵七家の第七位ヤクシャ家の当主で、密偵であると同時に貴族でもあり、王都に屋敷を構えていた。
所在のわかりやすい密偵など、網に引っかかった魚のようなものだ。
ボーゼンの魔法とアレイスタ王都支店の情報網を駆使してアスラの動向や屋敷の警備状況などを確認、襲撃計画を練る。
アレイスタ王都支店は、商売の拠点と言うよりはアレイスタを中心にした国際情勢を把握するための出先機関という色合いが強く、諜報活動や防諜活動、戦闘力に長けた人材を集中的に配置してある。この手の活動はお手のものだ。
アスラが当主を務めるヤクシャ家は武闘派の密偵一族。宵闇に慣れた連中に夜襲を仕掛けてもメリットは少ない。夜明け時を選び、ヤクシャ家の邸宅の前に馬車を乗りつけた。
逃亡を封じるため、ボーゼンが屋敷の周囲に禁足結界を展開し、ヤクシャ邸を通常空間から切り離す。人の出入りは勿論、物音や声、視覚情報すらも遮断してしまう大結界だ。外部からは中の様子はもちろん、結界があることすらも認識させない。
そこから転移魔法で敷地内に乗り込む。
面子は俺、ターシャ、ボーゼン。一応身元を隠すため、顔には黒い包帯を巻き、黒いローブをまとった。
ヤクシャ家は武闘派。侵入者への反応はさすがに早かった。
「庭園に侵入者! 出会え出会え!」
屋敷の物見台にいた衛士が高い声を上げる。見張りの存在は把握していたが、わざと見逃しておいた。禁足結界のおかげで外部に聞かれる心配はないし、俺たちは隠密作戦向きじゃない、正面から殴り込んで、敵の戦力を庭に引き出していく作戦だ。
屋敷内で不意に出くわすより、まとめて襲ってきてもらった方が楽だ。
屋敷の中から男が二十人ほど飛び出してくる。
ヤクシャ斥候団。
魔王軍との戦いでは諜報活動や破壊工作などで活躍した精鋭集団だが、今回は相手が悪かった。
「
ボーゼンが地面を杖で突く。
老賢者の足元から黒い旋風が吹き荒れ、斥候団の男たちを呑み込む。
黒い風に触れたものすべてに強い引力を帯びさせ、地面に叩き伏せて圧砕する魔法。本格的に行使すると生き物が地面の染みになったりするらしいが、今回は加減をしている。男たちは地べたに這わされ、動けなくなる程度にとどまっていた。
そのままボーゼンの魔法で全員を一箇所に集め、禁足結界で閉じ込める。効果時間は八時間、その間、男たちは身動きが取れない状態になる。解除ができるのはボーゼンと同格の魔術師のみ。
つまり解除不可能。
庭を通り抜け、屋敷の中に足を踏み入れる。
屋敷の内部構造も調査済みだ。まっすぐアスラの寝室を目指す。
「邪魔するよ」
ターシャが大聖女の杖でドアをぶち破り、蹴り開く。扉破りの鈍器にされるとは大聖女も思わなかっただろう。
オリハルコン・アダマンティア合金で杖を作らせて提供した俺も思わなかった。
俺のせいじゃない。
室内にアスラの姿はない。代わりに一人の裸の少女がナイフを構えてターシャに躍りかかってきた。
「やれやれ」
ターシャは小さなため息をつくと、手刀の一撃で少女のナイフを跳ね飛ばす。そこから流麗な動作で少女の顎を掌底で弾き、その意識を跳ね飛ばした。
崩れ落ちた少女の体を抱き止めると、ベッドの上に横たえる。
「ヘドが出るね」
ターシャは呟く。
「頭の中にまで精虫が這い回ってるような手合いは」
頭に精虫が這っている手合い、というのはアスラのことだ。ヤクシャ家を探っているうちにわかったことだが、アスラという男はいわゆる小児性愛趣味者で、密偵候補という名目で十歳前後の少女を買いつけ、性のはけ口としていた。勇者パーティーに参加している間は自重していたようだが、王都に戻ったら歯止めか効かなくなったらしい。
毛並みのいいはずの勇者パーティーにとんでもない害虫が混じっていた者だ。
その脳内精虫男アスラだが、俺の背後を取って、俺の首にナイフを突きつけていた。夜の相手をさせていた少女を囮にし、後方に回り込む作戦だったらしい。一応パンツは履いていた。汗と体液の臭いで胸が悪くなった。
「動くな」
「嫌だね」
短く応じて、俺は右腕を変形させる。直角に折り曲げた肘から、先を丸くした銀の杭を突きだしてアスラの横腹を一撃する。
魔導水銀の義手は思考と同速度で、ノーモーションで動作する。死角から、理解を絶する速度で打ち出された杭がアスラの肋を砕き、よろめかせる。だがアスラも勇者パーティーのメンバーに選ばれるだけの実力者だ。素早く体勢を立て直したかと思うと、ふっと姿を消した。
禁足結界があるから屋敷の外には出られないが、持久戦に持ち込まれると面倒だ。だが、俺にはスキがあると判断してくれたようだ。天井から襲いかかってきてくれた。
安い殺意を纏って躍りかかる半裸の男を見上げ、リブラ・レキシマの起動トリガーを引く。
【
リブラ・レキシマには風属性の異空体、ラファエルとベルゼブルの異空符を入れてある。金銀の粒子に変わったリブラ・レキシマは風属性の鎧、聖魔風に姿を変える。聖魔炎に比べると細身でコンパクト、体の線がそのまま出るシルエットの全身鎧だ。複雑なエングレービングがついた金銀の鎧に緑水晶やエメラルドのような結晶体がいくつも埋め込まれた派手なデザイン。
どう考えても若者向け、十代の少年にしか似合いそうにないデザインだが、羞恥心は横におき、アスラが突き出した短剣の刃を右手で掴んで受け止めた。
密偵の体が空中に静止する。
俺は左手で拳を握り、振りかぶった。
異空鎧を纏っても、俺自身の運動能力はあくまでおっさんなりのものだ。右手でナイフを止めたのは思考速度で動く義手の機能によるもの。ふりかぶっている間にアスラは後方に下がってしまった。
アスラの姿が揺らぎ、四人に増える。
アスラの
四本のナイフを持った四人のアスラが、疾風のように加速した。
構わずに拳を繰り出す。
【異空体ベルゼブル。
左拳に組み込まれた緑の結晶体から、緑の光弾が散弾のように撃ち出される。
ただの光弾じゃなく、一つ一つが小さな羽虫のような姿をした擬似生物群だ。人間には認識できない速度で、緑の光線状の軌跡を描いて飛んだ擬似生物たちが、四人のアスラの全身に突き刺さる。
設定次第では全員をズタズタの肉片にして木っ端微塵に消し飛ばすこともできたが、まだ殺すわけにはいかない。出力はだいぶ絞り、急所も避けた。
吹き飛び、壁に叩きつけられたアスラたちのうち三人が消え、血みどろの一人だけが残る。まだ意識はあるようだ。全身から流血しながら俺の姿を見上げると「きひゃま」と声をあげた。
「こんなにゃことをひて、ただで……」
風切り音と打撲音が聞こえた。
ターシャの大聖女の杖がふりおろされ、アスラの腰骨を砕いた音。
「何か言ったかい? 坊や」
ターシャは顔に巻いた包帯を外すと、凶暴な目で裏切り者を見下ろす。
「あガァ……」
襲撃者の正体に気づいたようだ。アスラは見開いた目に畏怖の色を浮かべ、変な声をあげて悶える。だが、ターシャに容赦はなかった。アスラの体に馬乗りになると、顔の真ん中に拳を叩き込み、その鼻骨をへし折った。
そこから更に、何度も拳を振り下ろす。
打撲音とうめき声が、繰り返し部屋に響く。
「そこまでにしておいてくれ」
アスラはヴェルクト殺しの実行犯だ。
聞き出すことを聞き出す前に殴り殺されては困る。
「ああ」
俺が制止の声を投げると、ターシャは意外とあっさりと手を止めた。目つきが悪鬼のようになっていた。
ヴェルクト殺しとは別にアスラに思うところでもあったのだろうか。
俺もアスラの側に歩み寄り、しゃがみこむ。
アスラは無言で俺に視線を向けた。俺の正体もわかったんだろう、その目の奥に、憎悪の光が見えた。ターシャに殴られるより、商人ずれの俺に見下ろされる方が腹が立つらしい。
構わずにその顎を押し広げ、口の中に手を突っ込む。ターシャに殴られすぎて、ほとんどの歯は折れたりぐずぐずになったりしている。その一番奥、右奥の歯をつまみ、ぶちぶちと引きずりだした。
歯肉と神経を引きちぎられる激痛にアスラはびくびくと痙攣し、白目を剥いた。
「ひどいことするね」
ターシャは物騒に笑って言った。
「そういうんじゃない。自決用の毒が……」
ヤクシャ家を含めた密偵七家の人間は、右の奥歯に自決用の毒を入れている。
と、ヤクシャ家出身のカグラが言っていた……んだが……。
「ないな」
毒が出そうな仕掛けは見当たらない。ボロボロの口の中を覗き込んでみたが、やはりそれらしいものはない。
「自分はつけてないのか。カグラにはつけさせておいて」
奥歯に仕掛けがあるから硬いものは食べられない。そんなことを言っていた少女の顔を思い出し、また嫌な気分になった。
気を失ったアスラを引きずり、馬車の中に転移する。そのまま王都を離れ、山間の廃村にあるマティアル教の教会跡地に入った。
呪われし教会。
暗黒時代のマティアル教会が、魔女狩りや異端審問の拷問、処刑場として用いた場所だった。
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