第6話 商人は縦穴を降りて行く。

「聖女様を聖堂騎士団の陣地へ。彼女の安否については、聖堂騎士団の外部に漏れないよう念を押しておいてください。俺はもう少し、この穴を調べてみます」


 ターシャが這い上がってきたということは、イズマも穴に落ちている可能性がある。日数から考えると、ターシャが生きていただけでも奇跡だ。イズマが生存している可能性は低いはずだが、水攻めの前に安否を確認しておきたい。


「わかった。ターシャを預けたら儂もすぐ戻る」

「よろしくお願いします」


 右腕を鉤爪付きロープのように変形させ、穴へと伸ばす。

 とっかかりを掴むと、伸ばした右腕をさらに長く伸ばし、縦穴を降りていく。

 魔導水銀の義手の伸長限界はおよそ三〇ヤード、右腕が伸びきってしまう前に肩の近くに新しい鉤爪を作って壁面を捉え、伸び切った右腕を縮める。新しい右手を起点に再び右腕を伸ばし、さらに降りていく。

 穴の深さはおよそ二〇〇ヤード。縦穴の底へとたどり着くと、奇怪な空間が広がっていた。

 水攻めのためにせき止められた水が、どこからから流れ込んでいるようだ。空間の底は薄く冠水している。奥の方には有機的にねじくれた四角錐型の頭を持った怪人の巨像、四本の四角錐に囲まれた祭壇のようなものが見える。

 神殿のようだ。

 四角錐の怪人は、ガレスが契約したという異形の神の像だろう。南方神話や壁画などに出てくる邪神の姿そのものだった。祭壇の周囲には、異形の神と同じねじれた四角錐の頭から、タコのように触手を生やした、おぞましい生き物の骸がいくつも転がっている。

 異形の神の眷属の骸らしい。死んでからそう経っていないようだ。

 祭壇の上に、イズマの姿があった。

 右足がない。


「イズマ殿!」


 声をあげて駆け寄ると、イズマはうっすらと瞼を開けた。トレードマークの仮面がない。

 やはり女だったようだ。その素顔は、浅黒い肌をした女のものだった。


「……ターシャ、か?」


 相当に衰弱しているようだ、掠れた声、焦点の合わない目でイズマは言った。


「いや、マティアル勅許会社のバラドだ。迎えにきた。もう心配ない」


 そう言った瞬間、背後から変な音がした。

 巨大な肉の塊のようなものが水面に落ちる音。

 振り向くと、釣鐘型をした黒い粘土の塊のようなものが浅瀬に落ちていた。高さは二メートルほど、音もなくヌルヌルと形を変えて、ねじくれた四角錐頭、八本の触手で蜘蛛のように這う異形の怪物に変わる。

 異形の神の眷属。

 近くに死体がいくつか転がっているが、また新しく湧いてでてきたらしい。


「……逃げ、ろ」


 掠れた声でイズマは言った。そうしたいところだが、さすがにイズマを置いてはいけない。


「一匹くらいならどうにかするさ」


 腰に引っ掛けていた丸盾型の魔導回路、リブラ・レキシマを手首にはめる。懐のカードホルダーから二枚のカードを取り出し、裏側の二つのスロットに押し込んだ。

 一枚は赤い天使の姿を浮き彫りにした金のカード、もう一枚は赤い悪魔の姿を浮き彫りにした銀のカードだ。

 頭の中に声が響いた。

 太く、力強い男の声。


異空符いくうふミカエル、異空符サタン、確認。天秤回路リブラ起動可能】


 異空符というのは、異空体いくうたいと呼ばれる異界の生物を召喚するのに用いる古代練金文明の異物だ。極めて扱いにくい代物で、完全に使いこなせる術者は当代には存在しないと言われている。

 天秤回路リブラは、異空体から魔力だけを引き出すことのできる魔導回路だ。聖属性の力を持つ異空体と、魔属性の力を持つ異空体の力を同時に引き出し、必要に応じて併用、あるいは相殺することで反動を抑え、高出力と安全性を両立する仕組みとなっている。

 丸盾型の魔導回路を前方に突き出し、グリップに付いた安全装置のトリガーを引く。


天秤回路リブラ起動。異空鎧いくうがい聖魔焔せいまえん展開】


 二枚のカードを中心に、丸盾は金と銀の光の粒子に変わる。粒子は薄い衣のように俺の体にまとわりつくと、瞬く間に厚みを増し、重厚巨大な黄金の鎧と白銀の盾と剣を形作る。鎧というよりは、人が入れる騎士型ゴーレムと言ったほうが近いだろうか。頭は竜に似た意匠で、背中には二枚の翼。太い尻尾も生えている。盾は左右に一枚ずつ。固定はされておらず、肩の近くに浮いていた。

 異空鎧いくうがい聖魔焔せいまえん

 異空体の魔力を擬似物質化して構築した鎧だ。内部には擬似物質から成る魔導回路が大量に組み込まれており、異空体の魔力を様々な形に変換して行使することができる。

 聖魔焔という名は異空体ミカエルと異空体サタンの聖焔、魔焔という属性から導かれたもので、使う異空符次第で聖魔水、聖魔焔水、などと変化する。

 八本腕の怪物は頭の四角錐を鞭のようにしならせ、聖魔焔に叩きつけてくる。大木を叩きつけられたような一撃だったが、聖魔焔の盾が勝手に動いて受け止めた。

 突進してくる怪物の四角錐頭めがけて、聖魔焔は銀の剣を突き出す。速度はそこそこだが無駄のない動作、ギリギリまで引きつけての突きは、怪人の頭の真ん中を正確に撃ち貫いた。

 自動反撃オートカウンター

 俺ではなく、聖魔焔に組み込まれた魔導回路が周辺状況を認識し、繰り出した一撃だ。

 とはいえ敵も最強格の魔物。頭を貫かれても、それだけで絶命はしなかった。貫かれた傷口から、黒い酸を霧のように吹き出す。

 あとで聞いた話だが、イズマの足を腐らせて破壊したのはこの黒い酸だったらしい。

 だが、異空鎧には通用しない。ダメージは皆無だ。

 怪人は八本の触手の六本を大きく広げ、聖魔焔を抱きすくめるようにとらえた。そのまま恐ろしい力で聖魔焔を引き裂きにかかる。だが、聖魔焔は揺るがない。天秤回路リブラが【接触】というメッセージと怪人の手の接触部位を伝えてきたが、それだけだった。

 異空鎧の制御は思考で行う。

 異空体サタンの力を解放。


【異空体サタン。魔黒焔シャドウフレア螺旋衝スパイラルバンカー、解放】

 

 怪人の首に刺さったままの刀身から黒い魔焔が生じる。怪人の体内に狂気めいた圧力と熱量を撒き散らし、渦を巻く。

 地下空洞の空気が震撼し、衝撃波が駆け抜ける。

 黒焔が、怪人を呑み込んだ。

 それで、終わりだ。

 渦巻く黒焔は異形の体を一瞬で破砕し、焼き尽くして灰へと変えた。

 危険な生き物はもういないようだ。銀の剣を降ろして、イズマの方を振り仰ぐ。


「大丈夫か?」


 勢い余って火の粉や熱風を地下全域に撒き散らしてしまった。

 聖魔焔の姿を見上げたイズマは、あっけにとられたような表情でつぶやく。


「それは、一体」

「異空鎧って言ってね。ヴェルクトの装備の試作品の一つさ」

「試作品? その力なら十分」

「対魔王用としてはだいぶ課題が多くてね。ごく限られた奴にしか扱えない上、一日に十分くらいしか使えない」


 連続使用は十分程度が限度、再使用にはほぼ一日の冷却時間が必要となる。軍事作戦や一回勝負ならいいが、魔王討伐隊のような少人数パーティーには向かない装備だ。

 納得してくれたようだ。イズマは「そうか」と呟くと、そのまま意識を失った。体力の限界だろう。抱き上げようとした時。


 どん。


 邪悪な神殿に、不穏な揺れが走った。

 邪神像近くの壁面が破れ、怒涛のように水が流れ込んできた。

 水攻めのためにせき止められていた水だろう。すでに流入は始まっていたが、水の重さに本格的に地盤が破れ、流れ込んできたようだ。螺旋衝スパイラルバンカーの衝撃もよくなかったのかもしれない。

 イズマを抱き上げる、異空鎧は内部に擬似金属繊維でできた筋肉筒シリンダーを多数備えている。イズマを持ち上げる程度は造作もない。

 縦穴までもどり、聖魔焔の背中の翼を広げる。翼の下部、そして鎧の各部に仕込まれたノズルから熱風を吹き出し、空中に舞い上がる。深さはあるが狭い穴だ。壁面ギリギリをかすめるように急加速、地上へ飛び出した。

 ターシャとイズマはボーゼンと聖堂騎士団の治療、念のため持ってきていたエリクサー投与の甲斐あって、命をとりとめた。


「何があったか聞かせてくれ」


 聖堂騎士団陣地の天幕の中、俺はターシャとイズマに尋ねた。片足をなくしたイズマはベッドの上だが、聖堂騎士団のバケツ型兜を借りて顔を隠している。仮面生活に慣れてしまって素顔は落ち着かないらしい。


「メイシンとアスラが裏切ったのさ」


 ターシャは吐き捨てた。


「ガレスを倒した直後、アスラがヴェルクトの首の後ろあたりを切りつけた。そうしたらヴェルクトが動かなくなった。私はメイシンに刺されて、イズマはガレスに深手を負わされてて、動ける状態じゃなかった」

「そこに、何かが干渉してきた」


 イズマが話を引き取った。


「なにか?」

「はっきりしたことはわからないが、異形の神に関わるものだったようだ。メイシンたちとアレイスタへの憎しみにかられた僕に目をつけたようだ。僕とターシャをあの空間、ガレスが地下に設けていた地下祭壇に引きずり込み、取引を持ちかけてきた。復讐する力を与えてやるから、ガレスの後継者となれ、とな」

「断ったのか」


 受けていたなら、地下で死にかけてはいなかっただろう。


「ああ、その途端、異形の神の眷属らしい生き物に襲われた」

「あれか」

「どうにか倒しはしたが、祭壇から地上に戻るルートが見つからず、足が腐って落ちた。挙句、どこかから水が流れ込み始めた。破れかぶれでターシャが縦穴を登り、そこにお前がきてくれた」


 破れかぶれで登ろうとする距離でも、登れてしまう距離でもないと思うんだが。


「すまない」


 イズマが詫びた。


「あんたが謝ることはない」

「いや」


 イズマは首を横に振った。


「取引を断ったことだ。異形の神は僕に言った。次の魔王になれば、ヴェルクトを蘇らせる方法を教えると。僕はそれも拒んでしまった」

「ヴェルクトを……蘇らせる?」


 さすがにあり得まい。仮にあったとしても異形の神のいうことだ。例の眷属のようなおぞましい怪物となって蘇るとか、せいぜいそんな話だろう。そうは思ったが、即「バカバカしい」と切り捨てることもできなかった。


「どう思います? ボーゼン先生」

「全くあり得ん、とは言い切れぬな。話を聞く限り、勇者殿の死に方は普通の人間とは違っておる。遺体が今に至っても腐敗しておらぬという点も気にかかる……まずは、勇者殿が何をされたか、メイシンとアスラが勇者殿に何をしたのか、それをさぐりだすべきであろう」

「そうですね」


 なんにせよ、メイシンとアスラの二人を捕まえ、ヴェルクトの遺体を取り戻す必要があるだろう。蘇生の可否はわからないとしても、ヴェルクトの遺体をアレイスタの政治の道具として利用させてやるわけには行かない。


「やるかい?」


 ターシャは剣呑な顔で言った。また魔女みたいな目になっていた。地下祭壇から這い出してきた時も、メイシンたちへの憎しみを支えに長い縦穴を這い上がってきたらしい。地下では虫やネズミの類も生き延びるために口にしたそうだ。


「ああ」


 俺は首肯した。


「だが、奴らを八つ裂きにすることより、ヴェルクトを蘇らせる手段を探し出すことが優先だ」


 異形の神の言葉の真偽を探ること、メイシンとアスラがヴェルクトに何をしたのかを探ること、まずはそれが優先だ。


「わかってるさ、もちろん」


 ターシャは凄みのある笑顔で言った。


「怒りに取り憑かれた鬼婆グーラーみたいなことを言うつもりはないよ」


 鬼婆それっぽい顔だと思ったが、口にはしないでおくことにした。

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