第4話 勇者は冷たくなっていく。

 ゴーマ城での決戦の少し前、仮面の魔族イズマはヴェルクトにある話をした。

 魔族とは、本来人族だったという話だ。もともとはアレイスタの南方に住んでいたレストン族という遊牧民族であり、それがアレイスタの勢力拡大によってさらに南方の大密林へと追いやられた。

 南方大密林は獰猛な魔物や毒虫、疫病などが蔓延する緑の地獄として今も恐れられる死の領域であった。

 当時のレストン族の若きリーダーが、のちの魔王ガレスだった。自らも熱病に浮かされながら大密林を彷徨ったガレスは、緑の地獄の深奥で得体の知れぬ神に出会った。

 今の人間の文明とも、かつて存在した古代錬金文明とも違う異形の文明の異形の神。

 異形の神はレストン族の守護と引き換えにガレスの妻子の心臓を要求した。ガレスはレストン族のため、血の涙を流しつつ妻子を手にかけた。それに満足した異形の神はレストン族に莫大な魔力と、魔獣を従える力を授けた。

 それが魔王と、魔族のはじまりだった。

 惨劇の中で生まれた魔王ガレスは、それゆえ最初から狂っていた。レストン族のために妻子を手にかけた自分への憎悪、そうせざるを得ない状況を作った人族とアレイスタ、そしてレストン族への憎しみに狂っていた。

 狂わなければいられないほどの悲しみから生まれた存在だった。

 ガレスはそれ故に同朋である魔族さえ力と恐怖で支配した。アレイスタをはじめとする人族への復讐のための道具として魔族を統治し、強大だが、呪われた帝国を築き上げていった。人族の血のみならず、同胞である魔族の血すら、異形の神への供物として捧げ続けながら。

 憎しみに狂い果てたガレスを諫めようとし続けたイズマだが、言葉は届かず殺されかけ、魔王軍を脱走したのだという。そしてガレスを止めるためヴェルクトのもとへやってきた。

 説得は叶わない。たとえ人族が滅んでも、ガレスの狂気は止まらない。世界のすべてを異形の神に捧げるまで、あるいはガレス自身が滅ぶまで、止まることはないだろう。ならば人族の尖兵である勇者ヴェルクトでなく、レストン族の同胞である自分の手でガレスを止める。世界を覆う悪夢を終わらせる。それがイズマの望みだった。

 無論、容易な願いではない。ことの元凶のような言われ方をしたアレイスタのアスラはイズマの語る歴史を真っ向から否定し、ガレス討伐後の魔族との講和についても否定的だった。

 ターシャも現実主義的であり、これまでの経緯を考えると人族と魔族の融和は難しい、虐殺や略奪、暴行などを防ぐくらいが限界だろう、といった見解だった。

 メイシン王子は心情は理解できるといい、アレイスタ国王に融和を説くとは言ったが、どこか冷めた目をしていた。悩んだヴェルクトはバラドにも相談の手紙を書いたが、ゴーマ城の決戦には間に合わなかった。

 そして決戦前夜、メイシンはヴェルクトに結婚を申し込み、ヴェルクトはそれを断った。


「ごめんなさい」


 他の返事は思いつかなかった。

 ヴェルクトに政治はわからない。

 戦うこと、あとは金儲けくらいしか知らない。メイシンの妻になってアレイスタの王家に加わることなどできるはずがない。


「そうですか」


 メイシンは微笑んだ。だが本当の感情は見えなかった。


「この戦いが終わったら、どうなさるのです?」

「バラドのところに帰ります」


 魔王を倒したら勇者は廃業。勅許会社に入れてもらって働くつもりでいた。人族と魔族の未来についても、バラドならいい方法を思いついてくれるかもしれない。


「残念です」


 メイシンは淡々と言う。


「ごめんなさい」


 ヴェルクトはもう一度謝ったが、メイシンは「いえ」と言っただけだった。

 ヴェルクトがメイシンの求婚の意味を知ったのはその翌日、魔王ガレスを滅ぼした直後のことだった。

 ゴーマ城の玉座の間。

 魔王ガレスとの戦いの最終局面。

 ガレスは異形の神に授けられた力を暴走させ、全身から歪んだ四角錐のような器官を生やした黒い雲丹ウニの怪物のような姿に成り果てた。もはや一片の理性もない、ただ底なしの憎悪と狂気を黒い瘴気に変えて撒き散らす、世界そのものを腐食する毒の塊のような存在だった。

 触れたものすべてを侵し、呪い、狂わせるおぞましい力の渦の中、ヴェルクトは一人佇んでいた。

 他の四人はターシャが張った聖霊魔法の障壁の向こうに隠れている。瘴気にやられることはないだろうが、援護は期待できないだろう。ヴェルクトを守ってくれているのはヴァイス・レキシマの刀身から生じ、ヴェルクトの全身を覆う白い炎のような力場『聖焔』。ヴァイス・レキシマの魔導回路に魔力を通すことで発生し、毒や呪詛と言った悪しきものを焼き尽くす。

 魔導回路にさらに強く魔力を通し、『聖焔』でヴァイス・レキシマの刀身を覆う。

 長く分厚い刀身を床と水平に構え、後方に振りかぶった。

 竜騎剣術、斬影ざんえい

 参謀デギスに殺された竜騎士ラヴァナスが勇者ヴェルクトに手ほどきした竜騎剣術の基本形。鼻から息を吸い、口から息を吐き、踏み込んで斬る。一呼吸の間に余分な力みや迷いを吐き捨てて脱力、神速にして無心の一刀を放つ。

 基礎の基礎、しかし単純ゆえに極めるのは難しい。そういうわざだった。

 鼻から息を吸い、止めて、静かに唇の隙間から吐き出す。力みや緊張と一緒に息を吐き、踏み込んだ。

 分厚い瘴気の圧力に抗い、振り切りつつ『聖炎』を纏った刃を振るう。底のない憎悪から生じた重い闇を切り裂き、異形となり果てたガレスのの部分を捉える。

 一息に、断ち割った。

 断末魔の声はなかったが代わりに静寂が訪れた。

 嵐のような悪意の波動が静まり、黒い瘴気が消えていく。

 闇が去った後には、もう、何も残っていなかった。


「終わったようだね」


 障壁を解除したターシャが言った。全員無事というわけではない。ここまでの戦いで、イズマはガレスに大きく腹をえぐられ、深手を負っていた。出血はまだ止まっていない。


「だいじょうぶ?」

「ああ」


 仮面の下から、イズマは穏やかに言った。


「……ごめんなさい」


 結局自分がガレスを斬り伏せてしまった。

 イズマの望みはガレスを自分の手で止めることだった。


「いや、これで良かった。ありがとう」

「おしゃべりは後だよ」


 いつもの調子で言いながら、ターシャはえぐられたイズマのお腹に回復魔法をかけ始める。 

 その背中を、細い刃が刺し貫いた。

 メイシンのレイピア。

 メイシンが、ターシャを刺した。


 えっ?


 混乱する勇者の首筋に、ちくりと痛みが走る。

 体から力が抜ける。


 なに?


 足に力が入らない。

 手に力が入らない。

 心臓が動かない。


「メイシン! アスラ!」


 イズマが声を上げる。

 事態がのみこめないが、背後にいたアスラに何かされたようだ。

 視線を動かせない。

 目の焦点が合わない。


「……なんのつもりだい……ヴェルクトに何をしたんだい!」


 ターシャの苦しげな声が聞こえた。


「魔王討伐の仕上げです」


 メイシンは静かに応じた。


「勇者というのは、魔王という病巣を取り除くための刃。施術が終われば、刃は国家という鞘に収まらなくてはなりません。鞘に収まらず、勝手に動き回るような刃が存在してはなりません」

「……甘ったれんじゃ、ないよ!」


 口から血を吐きながら、ターシャは吼えた。


「これまでずっと、あの子に依存してきたくせに、魔王が死んだから消えて欲しいだって? どれだけ恥知らずなことを言ってるかわかってんのかい!」

「生きる機会は与えました。私は勇者に求婚しました。私の妻になるならば、勇者はアレイスタの新たな権威となることができる。魔王を討った勇者を王家に迎えれば、覇権国としてのアレイスタの立場はより盤石なものとなる。機会は与えたのです。ですが、勇者は私の妻として生きることを拒んだ。私という鞘に収まることを拒んだ。そのために、勇者はここで死ぬのです。お二人にもここで死んでいただきます。あなたたちは魔王との戦いで勇敢に戦い、息絶えました」


 動かない体の中、ヴェルクトは後悔した。

 魔王という脅威がなくなれば、勇者はもう必要ない。

 旧来の権力者にとっては自らを脅かす新たな権威、新興勢力でしかない。権力争いを制して覇王になりたいのでもなければ、さっさと姿をくらましてしまえ。

 バラドもターシャも、そう助言してくれていた。大切な時に、それを忘れてしまっていた。魔王を倒したらアレイスタの王子であるメイシンと、アレイスタの密偵であるアスラには警戒しなければいけなかった。それなのに、メイシンの求婚の意味に気づけず、馬鹿正直にバラドのところに帰るなどと言ってしまった。うまくはぐらかしておけば、この場で、魔王との戦いで疲弊しきったところで仕掛けられるようなことはなかったはずだ。

 だが、気づくのが遅すぎた。

 どうすることもできないまま、勇者は冷たくなっていく。

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