第二話 ワープとドロイドと

 ワープの体験は、正直いって言語に絶した。ワープ……いわゆるスペース・オペラでは必ずと言っていいほど使われるこの技術は、人類のかなり上を行く文明が全精力を注いでようやくたどり着けるものらしい。

 

 太陽系から実に一万百四十光年離れた場所にあるサルファーク文明が採用しているのは、直訳すると「時空泡歪曲式」ワープだという。ジンさんに聞いてみたところ、「非常に簡易的な説明になりますが」と前置いてから教えてくれた。


「時間と空間は、いわばゴムのようなものなのです。縦に引っ張れば横幅が縮み、横に引っ張れば縦に短くなる――この性質を利用して、移動に必要な時間を驚異的に短縮するのが、いわゆる歪曲式のワープになります」


「あれ? でも、それだと距離が延びちゃいませんか?」


「その通りです。その問題を解決するために、『泡』と呼ばれるねじ曲がった領域を――」


 ジンさんはそれきり黙ってしまった。


「あの……大丈夫ですか?」

「失礼しました。どうやらこれ以上はお伝え出来ないようです」


 まあ、そういうこともあるだろう。わたしたちだって、原始人にスマホを渡してもろくな結果にならないことくらいはわかる。いや、今のたとえはなんか違うかもしれない。小学生に計算問題の答えを教えるようなもの、のほうが近いかな。


 ところで、わたしの最初のワープは、サルファークへの留学生に決定したことが通知されてから、いろいろと準備したり検査したりで三か月が経ってから行われた。

 わたしを含めた五人――彼らについては、いずれ話そう――は、ニューヨークにある在地球サルファーク大使館の広大な敷地に降り立った小型の宇宙船――小型と言っても、野球場くらいはあった――に乗り込んで、はじめて地球外に出た。


「地球は青かった」


 どんどんと離れていく地球こきょうを見て、わたしがロシア語でそうひとりごちると、ジンさんはいつもの冷静な声で言った。このときわたしたちはまだ、日本語で会話していた。


「ユーリィ・ガガーリン氏の引用ですね。西暦一九六一年、人類史上初めての宇宙飛行を行った人物と記憶しています」

「よく知って……ご存じで……すね」

「基本的な教養に関する知識はすべて搭載されています。シェイクスピアを二百十一の言語で朗読できますし、コミカライズすることもできます」

「それは、すごいですね」


 人類もAIに関してはここ数十年で一気に進歩させたが、ジンさんに比べたら月とスッポンならぬ量子コンピューターと真空管計算機だ。そういえば、ひとつ気になることがあったので、思い切って聞いてみた。


「ジンさんって、その、感情とかってあるんですか?」


 なんだかすごい失礼な言い方になっちゃったぞ。と、いつものように後悔していると、ジンさんはきっぱり答えた。


「あります。ただし、制限もありますが」

「制限、ですか?」

「わたしはこれまで収集された人類の生物学的データから、コミュニケーションに必要な部分を選択的に抽出して設計されました。人類の行動理念を、わたしは理解できます。社会性と暴力性が非常に複雑に絡み合うことで、欲求と理性の均衡を保つようにできているのですね」

 

 そうなんだ。という感想である。当の人間だって自分の脳みそがどうなってるのかわかってないのに、この人たちには筒抜けらしい。なんだかぞっとする話だが、その遅れはこれから取り戻していけばいいだろう。


「わたしは人類の持つ積極性の中で、主に生存本能に基づいている部分を大幅に制限されています。ですから、『食べたい』、『寝たい』といった本能的欲求に基づく願望はありません。ですが、社会的欲求――誰かに認められ、必要とされたいという欲求は備えています」

「つまり……?」

「わたしはいま、とても、ということです。わたしの創造主は、人類のコミュニケーションを補助し、サルファークとの友好関係を築く助けとなれ、とわたしに命じました。わたしは、そのとおりに働けています。だから、とてもうれしいのです」


 このとき、わたしはちょっと恥ずかしくなった。わたしはジンさんを「造り物」として見ようと努力していたのだ。どれだけ人間に似ていても、それはただそうやって作られただけで、実際にはただの真似人形……そんなふうに考えようとしていた。

 

 ジンさんは人間じゃないのだ。人間に似せて作られたロボットでもない。人間とコミュニケーションをとるために作られた、いわば翻訳機なのだ。そして、自分の仕事に誇りを持っている。

 

「あの……すいません、失礼なことを」

「失礼なこと、とはなんでしょう。わたしは何も不快に感じていませんよ?」


 ジンさんは、本気なのかそうじゃないのかわからない真顔で答えた。人間相手でも難しいのに、異文明印のアンドロイドでは、感情なんて読み取れるわけがない。どうやら、このひとのことをもっと知らないといけなさそうだ。

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