第一話 旅立ちの前に

 わたしがどうして一万光年も離れた星に留学することになったのか。それを説明しなくてはいけないだろう。


 わたしは東谷錬とうやれん。十九歳で、地球連邦の日本自治区に住む、それほど特別ではない大学生だった。

 昔から言葉を覚えるのが早くて、五歳くらいで大人なみの語彙力を身に着けていたらしい。

 小学校に入るころには、英語はもちろん街中でお洒落な店の看板にあるフランス語、カレー屋にそれっぽく書かれているヒンディー語なんかを見ると「あれは何語?」と聞いて、教科書をねだる変な子供になっていた。


 当然、そんなことをしてると学校では浮く。小二の時、なんて新鮮で面白い言語なんだとアラビア語の辞書を学校に持ち込んで、せっせとクルアーンを翻訳していたら盛大に無視されるようになったのも、いまでは懐かしい。

 

 中学高校と、英語の成績だけはつねに学年トップだったけれど、国語は大の苦手だった。他人の考えていることがわかるわけないじゃん、の精神を地で行っていたわたしは、当然六年間でまともな友達付き合いなんて経験しなかった。青春? 恋愛? わたしの辞書にはない言葉だ。広辞苑には載ってるけど。


 わたしが生まれる前は、まだ人類はこの世に自分たちしかいないなんていうおかしな妄想をしていたらしいけれど、宇宙人エイリアンは――この言葉は、人類中心主義的でふさわしくないと言われている――実際にやってきた。

 

 べつに侵略なんてされなかった。ちょっと山奥に行ったら、変な動物が群れをつくっていた、じゃあ滅ぼそう! なんて考える人間がいないのと同じで、恒星間を渡り歩けるような文明がそんな軽はずみな精神をしているはずがないのだ。


 彼らは紳士的だった。しょうもないことで争い合っていた人類に、真顔で「何やってんの君たち」と言ってくれたのだ。くれた、というかガチで引いてたのかもしれない。

 月と同じ大きさの宇宙船を目の前にして、彼らに逆らうことを選んだのは、死んでも治らないタイプのバカたちだけだった。


 そんなこんなで、銀河系だけでも何千という知的生命体がいることがわかった。そしてその中で、人類はけっこう遅れていることも。

 人類と同じような生まれ方をし、同じような精神構造をして、同じような社会を作っている種族は、Ⅱ型種族と呼ばれている。サルファークはその中ではトップレベルに進んだ文明を擁していて、遠く離れた太陽系にもたびたびやってきては、人類との交流を行っている。


「ところで、人類の方もわれわれの世界にやってきてはくれないか。相互理解のためには、実際に行き来するのも大事だと思う」


 彼らがそんなことを言ったのは、人類がようやく一つにまとまって、地球とかいうちっぽけな庭で満足することをやめた、それくらいの時期だった。

 

 「異星種族との関係改善のための交換留学生募集」は、それを受けた地球連邦政府が、定員百名という留学生の枠を設けたために作られた。わたしがそれに応募したのは、日本じゃスワヒリ語の勉強が満足にできないということで、大学の留学フォームを覗いていた時だった。


「へぇ……アラカディスク、サルファーク、キャキャラ、ファロース、デッガ・センメム等の二十種族に対して、一種族につき五名の留学生を送り出す……もっとも遠いのはペルセウス腕の外側にあるサルファークの領域……面白そう」


 とりあえず、わたしは三か月かけて希望する留学先に選んだ五つの候補の言語を覚えた。いくつかの言語は、そもそも音を使わなかったり、口が複数あるのが前提だったりして、わたしでも習得が難しかった。


 そうして書類選考をなんとか通ったけれど、数十万人を超える候補者を四度の面接で数百人まで削るということを聞いて、ああこれは無理だなと思っていた。

 

 一次面接では、なぜ留学したいのかとか、人類の代表としての責任感がどうのこうのとかをしつこく聞かれた。当然ながら、わたしはろくでもないことばかり口走った。動機を聞かれた時など、「面白そうだったので……」とか言ってしまい、面接官からの目線が実に痛かった。


「今回の留学に際して、どのような準備をしてきましたか?」


 との質問があって、わたしはちょっと調子に乗った。まわりの候補者はわたしをなめ腐っているだろうから、ここで少々度肝を抜いてやろうと思ったのだ。

 「相手の文化を学びました」とか、「人類のことをより知ってもらうために云々」とか言うほかの候補者を内心鼻で笑いつつ、わたしは言った。


「むこうの言葉は全部覚えてきました」


 「は?」という感じが部屋全体に充満して、わたしは自分が崩れゆく灰になったような気分になった。やがてもういいやという諦観の念が湧き出てきて、わたしは恥を感じる機能を一時的に捨て去ることにした。


『希望した種族の言語はすべて話せます』


 という文章を、五つの言語すべてで言った。面接官も候補者も、ぽかんとして見ていたが、やがてひとりの面接官が立ちあがってこう言った。


「きみ、あとで残りなさい」


 ああ、終わったんやなって……と、般若心経を心の中で唱えていたら、どうやらそういうことではなかった。

 いろいろ質問攻めにあったあと帰され、しばらくすると一次選考通過の旨が伝えられた。なんて僥倖ぎょうこう。と思って、それ以後の選考はかなり真面目に、何日も対策を練って受けた。


「……T5139S…………ある」


 最終選考の後、どうやら通過したらしいことを知って、わたしは目をぱちぱちさせた。

 なんであれ、わたしは、人類史上最も長い距離を旅することのできる一人に選ばれたのだった。

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