第12話 就職

 

「おせわになりました」

「いえいえ。また体調が悪くなったら、いつでもどうぞ」

「はい。ありがとうございます」

 

 三日後、リョウは無事にチュフレブ総合病院を退院して住み込みで働いてもいいと言ってくれたユオグレイブの町、東にある民宿カーベルトに向かうことにした。

 ノインが迎えに来てくれて、二人と二匹で町の東に向かって歩き出す。

 

「町の東はユオグレイブの町が大きくなる前から住んでいる人が多い、ちょっと古い建物ばっかりなんだ。いわゆる下町だね」

「へー」

「町の外にある【獣人国パルテ】と【神林国ハルフレム】の居住特区の方が多分新しいくらい。どっちも野菜を育てるのが好きな国だから、下町の人とも仲がいいんだよ。カーベルトはお弁当の販売もしているから、たまに居住特区の人たちからオードブルの予約も入るんだ。ボクたまに配達手伝うんだよ」

「へー!」

 

 もう「へー」しか言えなくなっている。

 元の世界でもアルバイト経験があるわけではない、働くこと自体が初めてなのだ。

 今まで動けなかった分の焦りもあり、どうしても肩に力が入ってしまう。

 

「……なんとなく大きい建物が多いね?」

「うん。学生寮や職員寮が多いんだ。あっちに銭湯もあるよ」

「銭湯! こっちの世界にもあるんだ」

「カーベルトにも大風呂あるよ」

「わあ、お風呂久しぶり……。病院はシャワーしかなかったから」

「リョウお姉さんお風呂で倒れたら大変だもんね」

「あう……」

「あ! あれだよ! 民宿カーベルト!」

 

 ノインが走り出す。

 彼が指差したのは三階建ての大きな建物。

 一階は観音開きの扉。

 冒険者らしき風体の人々が入っていく。

 

「一階は丸々食堂なんだ。民宿って銘打ってるけど今はほとんど下宿先として提供してるから、泊まり客はほとんどいないんだよ」

「そうなんだ」

「こっちこっち。リータさーん! リョウさんを連れてきたよー」

「はいよ! 今行く!」

 

 食堂は大盛況だ。

 厨房にいたスタイルのいい、そばかす美人が鍋を振りながらノインに返事をする。

 鍋の中身を皿に盛ると「炒飯注文の客! とっとと持っていきな!」と叫ぶ。

 すると客がテーブルから立ち上がって、カウンターに料金を支払って持って行く。

 人手が足らないとは聞いていたが、聞きしに勝る。

 

「アンタがリョウだね。アタシはリータ。この民宿カーベルトの主人だよ。さっそくだけど、料理が作れるのなら厨房を手伝っておくれ。味は気にしなくていい。あいつら注文の品を食えりゃいいんだから」

「え、ええ……!?」

「はいはーい、リョウさんの料理、最初の注文はボクー! オムライス食べたーい」

「オムライスだってさ。よろしくね!」

「え、あ、は、は、はいっ」

 

 いきなり始まる勤務に戸惑いながらも、満席の食堂を見てしまうと余程切羽詰まっているのだろう。

 ノインに注文ももらってしまったし、色々考えてしまうリョウにはむしろ飛び込んでしまった方がいいかもしれない。

 

「これ使いな!」

「は、はい、ありがとうございます」

 

 リータに放り投げられたエプロンを着て、勝手もわからない厨房でなんとか作り始めたオムライス。

 カウンターに座ってニコニコしているノインには、「んもー」という困り顔を向けるしかない。

 しかし、冷蔵庫やコンロはあるのでなんとかやれそうである。

 ありがたい。冷蔵庫やコンロも【機雷国シドレス】の技術だろう。

 冷蔵庫からケチャップと卵を取り出し、卵は溶き卵にしておく。

 皿に取り分けた白米でケチャップライスを作り、オムレツを作ってケチャップライスの上にかぶせる。

 カウンターで待っていたノインにスプーンとともに差し出して、オムライスにケチャップで猫を描いてみた。

 

「わーーー……なにこれ?」

「ね、猫さん」

「猫!? 絵を描いたの!? オムライスに!? すごい!!」

「え、え?」

 

 思わぬ反応。

 ノインの反応に「なんだなんだ」「新入りがなんか始めたらしいぞ」と客の冒険者がわらわら近づいて覗き込んできた。

 

(あれ、余計なことをしてしまった……?)

 

 そう気づいた時にはもう遅い。

 

「へー、面白いな! 嬢ちゃん、俺にもオムライス一個」

「俺も!」

「俺もオムライスをくれ!」

「なあ、絵はリクエストできるのか?」

「は、はい。オムライス、三つかしこまりました。えっと、絵は事前におっしゃってくだされば、描けそうなものなら……」

「「「おお〜」」」

 

 やってしまったと思ったが、あんなに期待の目で見られてはやらないわけにはいかない。

 頑張ると決めたのだからと、お客さんたちに望まれるままオムライスを作ってケチャップで絵を描いた。

 初めのうちは緊張で死にそうになる。

 しかし、ゴツいおじさんたちが「ネコチャン」「ワンチャン」「キツネ」「タヌキ」と同じものばかりリクエストしてくるので、夕方近くなるとすっかり慣れてしまった。

 

「ふぅ、お疲れさん」

「は、はい」

「夕飯は下宿している子たちにだけ出しているから、忙しいのはここまでだよ。いやぁ、本当に助かったよ。アンタの召喚魔たちもすごいしね!」

「え?」

「なんだい、気づいてなかったのかい? 途中からタヌキの子が洗い物をやってくれたり、キツネの子が配膳してくれたりしてくれたんだよ」

「え」

 

 全然気づいていなかった。

 しかし、確かに途中からお皿が自然に目の前に出てきたり、洗い物が減っていったりしていた。

 目の前でおあげとおかきが得意げに手をあげるので、頭を撫でて「そうだったんだね。ありがとう」と声をかける。

 

「さてと、さっきは忙しくて話もろくにできなかったね。改めて――アタシはリータ。この民宿カーベルトの女主人だよ」

「あ、ええと、初めまして。リョウ加賀深かがみと申します。狐がおあげ、狸がおかきです」

「よろしくね。さて、じゃあさっそくアンタの部屋を決めようか。一階と二階の鍵が空いている部屋は空き部屋だよ。好きな部屋を自分の部屋にしておくれ。朝は仕込みがあるけど忙しいのは昼時だから、十一時から三時まで手伝ってくれたらいい。それ以外の時間は自由にしててくれていいよ。ドラゴニクセルの日とイグディアの日は一日休みだ」

「は、はい」

 

 ドラゴニクセルの日とイグディアの日とは、この世界の曜日のことだ。

 シドレスの日、ハルフレムの日、ミスリルの日、シルクアースの日、ミスティオードの日、パルテの日、ドラゴニクセルの日、イグディアの日の八日間で一週間。

 それが四回繰り返されて一ヶ月となる。

 さらにアラムの月、ユグドラシルの月、モルゲンの月、オリゲルの月、アシュラオウの月、エニスの月、タナトスの月、クラッセの月、パルテの月、ガングニルの月、カリバーンの月、イグディアの月と十二ヶ月の月が巡ると一年となり、これらの月の名前になっているのは八異世界の伝承存在。

 こうして八異世界を幼少期から当たり前のように教えられるのがこの世界、『エーデルラーム』。

 もちろん、伝承存在は他にも数多くある。

 月の名前になっているのは、その中でも特に有名なものだそうだ。

 

「お給料は時給だよ。家賃と食事代は差し引かせてもらうけど、一時間二千ラーム払うからね」

「そんなにいただけるんですか?」

「そんなに? そうかい? いや、でも少ないくらいだよ。忙しかっただろう?」

「は、はい。でも、元の世界の時給って張り出されているのを見る限り九百円とか高くて千円とか……」

「はあ!? そんなに低いのかい!? だ、大丈夫なのかい? アンタの元の世界」

「え」

 

 なにはともあれ、リータさんに案内されて、空き部屋をいくつか教えてもらう。

 寝坊しても困るし、お風呂に近い一階の部屋を選ぼうとしたら「女の子なんだからせめて二階におし」と釘を刺されてしまった。

 仕方なく、二階の階段前の部屋をお借りすることにする。

 家賃は月三千ラームと格安。

 二時間働けば払えてしまう。

 

「そんなにお安くていいんですか?」

「ああ、いいのいいの。元々宿としては一泊千ラームだったんだけど、手が回らなくてね。それでも空けっぱなしにすると部屋がダメになっちまうから、住んでもらって勝手に掃除とか手入れをしてもらえる方が助かるんだ」

「は、はあ」

「部屋の中にはシャワーとトイレ、簡易キッチンと冷蔵庫がついている。でも掃除と食事は自分でなんとかしておくれよ。ゴミは外に集積所があるから小まめに出すようにね。食事は食堂でも構わないけど、アタシが作ったもんを食べたいときはお代を貰うよ」

「はい」

「あと、アンタももしお客になにか作ってほしいって頼まれた時は必ずお代をもらっておくれ。相手が材料を持ってきたとしてもだ。でないとアタシまでタダ働きを要求されかねない。材料を持ち込まれたとしても、最低でも五百ラームはもらうこと! いいね?」

「は、はい!」

「他にもわからないことがあったらアタシに聞きな。客にされた要求でよくわからないこともアタシにまず聞くこと。アンタ若いし黒髪だから、部屋に来いとか言う馬鹿が出そうだけどそういうのは全部断る! 体を触られたら蹴っ飛ばしな。断れないとわかるとどんどん調子に乗るからね」

「……うっ、は、はい」

 

 それはできるかわからない。

 しかし、異世界の人とはそういうものなのかもしれない。

 脳裏にあの金髪のお尋ね者からされた口づけがよぎる。

 すぐ、頭の中からかき消したけれども。

 

「あとは、他に困ったことがあればノインとレイオンさんに相談しな。あの二人は自由騎士団フリーナイツだから、町の貴族に絡まれたとしても助けてくれる」

「貴族、ですか」

「そうさ。この町の貴族はほとんどが腐ってる。アタシの両親を殺したゴロツキどもも、元を正せば貴族に雇われてたんだ」

「っ!?」

 

 確か、ノインはリータの両親は地上げ屋に殺されたと言っていた。

 その地上げ屋はすでに捕まっているらしいが、裏には貴族がいたということなのか。

 聞いていた以上に貴族が腐敗しているようだ。

 

「でも、自由騎士団フリーナイツは貴族相手には無敵だからね。特にレイオンさんは剣聖様だ。アンタの召喚魔は珍しいみたいだし、絡まれたらノインとレイオンさんの名前を出すといいよ」

「は、はい。わかりました……あの、ノインくんは結構、私のことを話しているんですか?」

「そうだね。アンタが異世界から来て、珍しい召喚魔に懐かれてて危なっかしい、って話は聞いているよ」

「う……」

 

 それはだいたい正解である。

 

「体調もまた悪くなったら我慢せずすぐ言うんだよ。具合が悪いまま働かれちゃあ、こっちが困るからね」

「は、はい。わかりました」

「よし。それじゃあ部屋も決まったし、夕飯を作っちゃおうかね。アンタの食事代は給料から天引きだから、好きなだけお食べよ」

「は、はい。じゃあ、あの、いただきます」

 

 確かに、いい加減お腹が減った。

 昼頃から立ちっぱなしの動きっぱなし。

 緊張もしっぱなしである。

 食堂へ降りる階段で、リータがそういえば、と振り返った。

 

「おちびちゃんたちも食べるのかい?」

「コーン!」

「ぽこぽこー!」

「ははは! いい返事だね。アンタたちも手伝ってくれたから、お給料から天引きにしておくよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 二匹にも気を遣ってくれる。

 リータはとても優しい人のようだ。

 ノインもいるし、ホッと息を吐き出す。

 自分が思っていた以上に緊張していたのだとわかる。

 

(これからここで生きていくんだ。働いて……)

 

 お金を貯めて、まずはノインに服のお金を返して。

 

(……そして……いつか……あの夜に私をこの世界に呼んだあの人を――探しに行けたいいな……)

 

 助けて、と言われたのだ。

 彼は約束通り、あの冷たい家からリョウを助けてくれた。

 召喚されたその日は生きるか死ぬかで、恐ろしい目に遭ったけれど。

 リョウが約束を違えていい理由にはならないと思う。

 彼は約束を守ってくれたのだから。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る