黒髪は、赤いネイルを兼ねるがゆえ


「その悪趣味な爪は何を狙ってそうしてるの?」


 私が真剣にマニキュアを塗っていると、妹の美佳が心底嫌そうに尋ねてきたので、渋々顔を上げた。上げた視線の先には、シンナー臭に顔をしかめた可愛くない妹がいて、再び視線を指先に戻してから口を開いた。


「なにが?」

「なにが? じゃないよ、おねーちゃん。臭い、とにかく臭い。だから止めて欲しいの、それ。でもそう言っても素直に止めてくれないでしょ?」


 だから、それ塗る理由を聞いて、それを完膚なきまでに論破して止めさせてやろうと思って。



 嗚呼、なんて憎たらしい妹。姉の精一杯のお洒落も邪魔するのか、お前は。


 大体、ネイルケアくらい自由にする権利はあるはずだ。ここは私の部屋でもあるんだから。


 いつもこいつはこうやって難癖つけては、姉の邪魔をしたがるのだ。正直、手先がさほど器用でない私は、ムラなく綺麗に塗るのに、とても神経を使う。その神経を逆撫でされては、上手くいくものもいかなくなるというものだ。


 そもそも、そんな仲の悪い姉妹に一部屋しか与えない両親もどうかしているというもの。いい加減、一人暮らしでも始めようかしら。なんて考えていたら無視されたと思ったのか、不機嫌そうな、おねーちゃんてば、という声が聞こえた。


「で、なんでよりにもよって真っ赤っかなの。趣味悪いよ?」

「うるっさいな、まだ化粧もしないお子様にはわかんないでしょうけど。これも大人の女の身嗜みよ。爪にまで気を遣わないといけないんだから」


 あんたみたいなお子様と違ってね、と馬鹿みたいに念を押したのは、生意気な妹の物言いに対して不快に思ったからだ。決して、悔しいからだとか、負け惜しみだとかじゃない。


「わかってないのはおねーちゃんの方でしょ」


 再び、自分の爪に赤い塗料を塗り付けていく私へと、余裕に満ちた声が投げ掛けられた。


 目を合わせたら負ける、と直感が悟り、顔は上げずに黒目だけ動かして一瞥した。


 挑戦的に細められた眼に苛立ちが募る。しくじった、すでに乗せられてしまっていた。


「おねーちゃんの努力の結晶の化粧も、お金かけた明るい髪の色も、その真っ赤な爪も。私のそのままの黒髪や何も塗ってない爪に競べて劣るの。なぜだか、わかる?」


 さらりとわざとらしく、揺らされた髪はしなやかに真っ黒で、シャンプーの匂いしかしない。その香りは、彼が嫌いだった私の安い香水みたいに、いやらしく鼻に残りはしないのだ。


「私のこれは、彼に望まれてるものだから」


 おねーちゃんも、はやく新しい男捕まえる為の努力をしたいんだろうけど、それじゃ逆効果だよ。



 怒りで手が震えて赤いマニキュアは狭いキャンバスをはみ出てしまった。


 別にそんな理由で、妹に男盗られて、それが悔しくて新しい男を作ろうなんて、惨めで必死な理由で爪塗ったり、髪染めたり、化粧したりしてんじゃないわよ。


 そもそも、黒髪信仰なんてしてる男にろくな奴なんかいやしないわ。あんな男、盗られたって悔しくも悲しくもないのよ、私は。


「ただ」

「ただ?」

「ただ、もう二度と、あんたなんかと似てるなんて言われたくないから」


 髪も顔も爪も。真っ黒なあんたと訣別するための仮装よ。


「そもそも、服でも何でもおねーちゃんのお古は嫌なんて言ってた癖に、結局お古の男で満足してるんでしょ? どうせあんたも、もう二年したら真っ赤な爪してるわよ、ほら」


 だから、この使いかけのマニキュアもあげるね?



 そう言って赤い液体が入った小瓶を差し出して笑えば、顔を真っ赤にした美佳は


「死んじまえ!」


と瓶を叩き落とし、部屋を飛び出していった。



 蓋の閉まりきっていない瓶は床に音をたてて落ち、中身を床と絨毯に零した。ますますシンナー臭が広がり、鼻の奥を刺激する。


 マニキュアは零れると大変なのに。でも、急いで対処できるような冷静さは欠いていて。



 私は勝利の虚しさと一緒に、不細工にはみ出た薬指の赤を、除光液で拭い去った。


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