第46話 決着

 残る一人の相談役は、休憩時に孫娘からこってり絞られたらしくあっさり意見を翻したそうだ。あの孫娘は、大層気が強いと聞いていたので、エドの予想通り祖父の元へ殴り込みに行ったのだろう。


 そうして再開した議会ではとんとん拍子に話がまとまり、アーネに何かが課されることはなかった。クロードの手腕で昔の制約まで撤回させる事が出来たらしい。


 議会はお開きとなったが、後処理には何かと面倒があるらしく、クロード達は執務室で雑務に追われたままであった。


 そしてエドは、アーネの元に行くべく王族居住区を歩いていた。ウィル経由でクロードから通行許可証を貰ったのだ。


 忙しいクロードが自分の代わりに様子を見てきてほしいとの事だが、手助けしたお礼という事だろうか。エドとしては、元々庭から忍び込んででも会いに行くつもりだったのでありがたかった。


 片手にトレーを持ちアーネの自室へと向かう。トレーに載っているのは軽食とお菓子、さっぱりした柑橘水だ。アーネを心配するリリーがエドに頼んだものである。


「アーネ? 俺だけど…入っていい?」


 扉をノックするとしばらくした後、鍵を開ける音がしてそっと扉が開いた。あのまま着替えていないのか服はよれよれのままだった。こちらを見上げる青い瞳は、どこか不安そうだ。中へ入り軽食をテーブルへと置くとアーネへと向き直る。


「とりあえず着替えようか。帰ってきたままでしょ、それ。リリーさん呼ぶから待ってて」


 彼女なら近くで待機しているだろうと部屋を出ようとすれば、泣きそうな顔のアーネに引き留められた。エドはそんなアーネの態度に驚いて足を止めた。


「いい! 自分で着替えられる! 誰も呼ばなくていから…」


 そうしてクローゼットから洋服を取り出し、隣の寝室へと駆けていった。そんなアーネを見てやるせない気持ちになる。きっと子供の時に侍女や使用人からも色々言われたのかもしれない。


 しばらくして戻ってきたアーネは、ストライプのシャツにネイビーのパンツ…このまま文官として働けそうな格好であった。


 こういう男装みたいな格好をするから令嬢やご婦人方にまで人気が出るのではないだろうか。もちろん可愛いのだがエドとしては何となく複雑な気持ちであった。


 ソファへ座ったままアーネを手招きし隣に座らせた後、果実水を渡す。渋々という様子でちびちび飲む姿は子猫のようで愛らしい。


「お腹空いてるでしょ。リリーさんが心配して準備してくれたよ」

「……お腹空いてない」

「それならまた半分こしようか?」


 意味深なエドの言葉とプレッシャーを感じる笑顔にアーネは真っ赤になって慌てて食べ始めた。そんなアーネの様子をエドは微笑ましく眺めていた。


 本当にもう何から何まで可愛い過ぎる。じっと見つめ過ぎたせいかますます赤くなっていた。古老の爺のせいでイライラして荒んだ心がとても癒やされる。


 アーネが食べ終わるとエドは部屋の外に控えていたリリーにトレーを渡しに行った。リリーは空のトレーを見てとても喜んだ。先程まで、何度話しかけても扉は閉められたまま返事もなかったのだ。


 部屋へと戻りアーネの隣へと座る。エドは一息ついた後、不安がらせないよう優しく話しかけた。


「アーネ…話をしようか」


 アーネは俯いたまま小さく返事をした。どんな話しになるか不安なのだろう。エドは、安心させるようにアーネの頭を撫でた。


「大丈夫だよ。クロード様の頑張りでアーネには何か課される事は一切ないよ」

「……本当?」


 ようやく顔を上げたアーネはエドを見据えた。青い瞳は、今だ不安そうに揺れている。


「クロード様はもちろんだけど、父や兄、王都警備隊や竜騎士団、大臣達や文官、彼らのご家族…たくさんの人がアーネを支持したんだ。国を救った英雄に不利な事があるはずないよ」

「……兄さんは怒ってない? …おじ様達にも嫌われてない…?」

「どっちも大丈夫。言ったでしょ? 皆アーネが大好きだって」


 微笑んでみせれば青い瞳からは大きな滴がボロボロとこぼれ出す。縋るようにエドの服を掴み泣き声を押し殺していた。


 今までずっとこうして一人で泣いていたのだろうか。エドは胸が締め付けられる思いに駆られた。抱きしめて背中をさすってやれば、アーネは堰を切ったように泣き出してしまった。


 長い付き合いのエドでもこんなアーネの姿は初めてであった。言葉には出さず、ただ抱きしめる。


(大丈夫…もう大丈夫。皆傍にいるよ)


 しばらくアーネは泣き続けた。子供の頃から耐えてきた思いも全て吐き出すように泣いた。


 少し落ち着いた頃にはアーネの目はすっかり赤くなっていた。エドが濡らしたハンカチをまぶたに当てる。気分の方は随分スッキリしたようで、アーネはくすぐったそうに小さな笑みをこぼした。


「あ~…アーネ……落ち着いた事だし話をしようか」

「話? 私の処遇? …何かあるの?」

「いや、そうじゃなくて。俺がアーネの事を愛してるって話」


 いい雰囲気な事もあり、エドの心は少なからず期待を抱いていた。直後に特大の爆弾をくらうとは微塵も思わず…。


「そうだ! 私もエドがシゼーラから戻ってきたら話したい事があったの」

「ん、何?」


 ニコニコと期待に満ちたエドとは違い、アーネは思いつめたような顔をしている。アーネも緊張しているのだろうか。エドがそう思った瞬間、目の前で勢いよく頭を下げられた。


「えっと……ごめんなさいっ!」

「…………は?」

「気持ちは嬉しいけど、エドにはもっといい人がいると思うんだ」


 アーネの言葉の意味がすぐに理解出来ずにエドの頭は真っ白になった。ごめんなさい?それにいい人とは何の事だろう。アーネは、呆然とするエドの様子にも気付かず必死に話し続けた。


「いっぱい甘えちゃってごめん。でも、エドが誰かと結婚しても友達でいてくれると嬉しいな…」

「………」


 アーネから浴びせられる言葉の刃にエドは目を背けたくなった。本人は無意識であろうが、長年想い続けている相手から他の人を薦められるとか、一生友達とか……なんという仕打ちだろうか。


 エドはアーネの腰に手を回し引き寄せるように抱き寄せた。


「……よーく分かった。俺の気持ちは一ミリも伝わってなかったって事だ」

「へっ? あの…何で抱きしめて…」


 逃げようとされるが離してやるつもりは毛頭ない。


──愛してると伝えて微笑みながら『待ってる』なんて言われたら普通期待するではないか!


「俺はアーネだけを愛してるのに他の誰かと結婚しろと?」

「あの……そもそも私は結婚とかお付き合いは誰とも考えていなくて…」

「ふぅん、なんで?」


 耳元で囁くように問いかけ、柔らかな耳朶を甘噛みする。過剰に反応するアーネがとても可愛い。でもやめてなどやらない。


「……わ、私には…制約が…」

「そんなもんクソくらえだ」

「えぇ! っていうか…ち、近い…」

「どれだけアーネの事を愛してるか思い知らせようかと思って」


 怯えたような青い目にエドはニコリと笑いかける。小さな悲鳴が聞こえたが聞こえないふりをした。アーネの顎を持ち上げ、俯きかけた顔を強制的にこちらへと向かせる。


 アーネの柔らかな唇へと己の唇を重ねる。触れるだけの軽い口づけから次第に噛むような口づけへと変えていく。自暴自棄気味になっていて自制が効かないエドは、最終的にアーネが息が出来なくてくたくたになるまで熱く濃厚なキスを続けるのであった。

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