第42話 諦め
アーネは部屋に戻る途中、待機していたリリーとも顔を合わせはしなかった。しばらく一人にしてほしいとだけ伝え、食事もいらないと言い、リリーの返事も聞かず自室へと戻った。どうしても今は誰とも会いたくなくて鍵もかけた。
こうなる事は始めから分かっていた。それを承知で議会に乱入したのは自分自身だ。化け物と囁かれ気味の悪い物を見るような視線を投げつけられる事は今に始まった事ではない。
そう分かってはいても、心が痛むのはどうしようもなかった。兄に迷惑がいかないよう臣下として恭順の意も示した。自分のせいで兄まで悪く言われたくなかったからだ。
アーネは11年前、ウルマ軍を撃退して城に戻った後、自分が何と言われていたかを知っていた。それまで仲の良かった侍女がアーネを見て怯えていたのもなぜなのか理解していた。過ぎた力はただ恐怖しか与えない事を。周囲の反応はまだ6歳の子供の心に深い傷跡を残した。それが今また呼び覚まされこうして逃げて来てしまったのだ。
(大丈夫…私はもう小さな子供じゃないもの……)
言い聞かせるように心の中で呟いていると、カタンと窓が開いた音がした。反射的に音のした方へゆるゆると顔を向ける。
そこに居たのは先程逃げるようにして離れたエドの姿だった。エドが入ってきた庭に続く大きな窓からは、ちらりとだが飛び去った竜の尻尾が見えた。あれはジークだろうか。
「勝手に入ってごめん。アーネ、大丈夫?」
「……」
今のアーネには、なぜ相棒でもないエドをジークが連れてきたのか考える余裕はなかった。エドに近付かれて、思わず後退りをしてしまう。それに気付いたのかエドは歩みを止めた。
「竜が連れて来てくれたんだ。きっとアーネを心配してたんだね。怪我は?どこか痛めてたりしない?」
「………大丈夫」
「良かった…本当に良かった」
心から安堵しているエドとは逆にアーネは大いに戸惑っていた。幼い頃に向けられた冷たい視線がどうしても頭をよぎる。
エドはあんな光景を見た後でも自分を気味悪がっていないのだろうか。アーネの心の奥深く残されているのは人に拒絶される恐怖だけであった。
「アーネ…近くに行ってもいい?」
優しく甘さを含んだいつものエドの声。今までと何ら変わらないその様子が今はとても怖かった。答える代わりにアーネはまた一歩後退った。
誰かに縋りたい気持ちなど当の昔に消えている。幼い時に、アーネが縋った人まで悪く言われていた事も知っているのだ。嫌われるのも怖いが迷惑もかけたくない。
「アーネ?」
「…………」
「安心して、俺はアーネの味方だ。何があっても傍に居ると誓う」
「………」
そんなアーネの恐怖心など見透かしたようにエドは語りかけてくる。エドの寂しそうな顔は昔見たクロードの表情によく似ていた。
「大丈夫だよ、アーネ。クロード様も父も兄も…皆アーネの事が大好きだ」
本当は皆に嫌われたくない…そう思うアーネの心すら見透かされているようだった。
「今度こそ必ず君を守りぬく」
力強いエドの言葉がアーネの頭に響くように染み渡る。そっと伸ばされたエドの手につい身体が強張ると、苦笑するエドの顔が見えた。
エドはアーネの反応を見るようにそっと優しく抱きしめた。アーネを怖がらせないよう頭を撫で、大丈夫だと何度も繰り返し伝えた。
撫でられるたび、優しい言葉が紡がれるたび、アーネの心は次第に落ち着いていった。エドの腕の中は広くて温かくて安心できた。ここは安全なのだとなぜか素直にそう思えた。
安心する反面、昔から心に残っている言葉が浮かんできた。それは何度も何度も聞いた言葉であった。
「…私は……剣であり…盾でなければいけない…」
「誰かがそう言ったの?」
アーネが無意識に呟いた小さな声をエドは聞き逃さなかった。
「……この魔力は…国のためにあれと…」
「教えて、誰から言われたの?」
「…昔……風を使って議会を盗み聞きしたの…」
あんなの人ではない、化け物だと罵るたくさんの声、必死に擁護してくれる兄達……あの時を鮮明に思い出しアーネの視界がじわりと滲んだ。アーネ自身も無意識に涙が込み上げてきた。
「アーネはいつからか泣かなくなったよね。転んで足を擦りむいた時も我慢してたっけ」
エドは懐かしむように話しながらアーネの頬を撫でた。確かにウルマの事が起きる前からあまり泣く方ではなかったように思う。
「俺に頼ってほしくて…君だけの騎士になりたいと思ったんだ」
「…エド…」
「アーネ、愛してる。必ず俺が守るから」
優しく微笑んだエドは、涙が次々と溢れているアーネの目元に唇を寄せた。あやすように頭を撫でながら、最初は右目、次に左目と唇を落としていく。
柔らかな唇の感触に驚き、泣き顔のままエドを見上げれば照れくさそうに微笑まれた。
「そんな顔をされると離れがたいなぁ。俺が必ず守るから待ってて」
「……」
アーネはぎゅっとエドの服を握り、こくりと頷いた。今なら不思議とエドの言葉は素直に信じる事が出来た。エドに嫌われていないと分かり思わず甘えるように胸に顔を埋める。
「…どうしよう…嬉しすぎる……いや、そうじゃない! アーネ、とっっても嬉しいけど、クロード様の援護に行ってくるから後でじっくり話をしよう」
「…話?」
エドが嬉しさとこの場を離れなければいけないもどかしさとで一人で百面相をしているが、それに気付くほど今のアーネに余裕はない。
自分の処遇について教えてくれるのだろうと思いエドから離れる。いつもと変わらないエドの態度が嬉しくつい笑顔がこぼれた。先程はあんなに怖かったのに不思議だ。
「ありがとう…いってらっしゃい。待ってるから」
「………すぐ戻るから」
どう見ても微妙なすれ違いがあるがそれを指摘出来る者はここにはいない。頼りになる友へと向けた笑顔、愛しい人に向けた蕩けるような笑顔……会話だけが成立しているだけにどちらも気付くことはない。
それでもエドは、その笑顔を守るために行動に移るのであった。
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