第29話 変化
アーネは意気揚々と歩いていた。向かう先は、王都警備隊の鍛練場である。ようやくクロードからの許可もおり、エドと手合わせをする事になっているのだ。
本日の装いは、モスグリーンのシンプルなシャツに黒のズボンだ。髪はまた高い位置に一つに結んでいる。リリーには、『凛々しいですけど可愛さがないですっ』と嘆かれた。手合わせするのに可愛さなどいらないだろうに。
待ち合わせ時間より早く来てしまったのでエドを待つ間、鍛練に来ていた数人の隊員とおしゃべりをしていた。王都警備隊の多くの人とはもうすっかり顔見知りとなっているのだ。
「アーネちゃん、この間の差し入れすっごい美味しかったよ」
「ミートパイ、あれすっげぇ旨かった!」
「喜んで貰えて良かったです。頑張った甲斐がありました」
例の差し入れは好評だったようで、あれが美味しいこれも良かったなど感想を教えてくれた。そうして、わいわい楽しく話していると、突然お腹に手を回されて後ろに引っ張られた。
「わっ!?」
「お待たせ。手合わせはあっちの隅でやろう」
「エド!? 急にビックリするでしょ!」
首だけで振り返るように見上げれば、犯人はエドだったようだ。後ろから抱きしめるような体勢だったがすぐにくるりと向きを変えられてしまった。
「今日は新しいお菓子も準備したから」
「ちょっと聞いてる?」
エドは隊員の事はスルーして、アーネの背を押しその場を離れていく。アーネは、さっきの隊員達に何とか振り返りながら手を振って謝っておいた。強引なエドの態度に苦笑されているのが申し訳ない。
「エド、ちゃんと挨拶しなきゃダメだよ」
「俺は心が狭いもんでね」
「何の話し?」
よく分からない返しをされて聞き返すもはぐらかすように笑顔で躱された。木剣を渡されてしまっては、追求する間がなくなってしまう。
まだ痣が完全に消えていないと言う事で今日は軽い撃ち合いだけをする事になった。消えていないと言っても痛みは全くない。強く押すとちょっと違和感がある程度なので、アーネとしては本気の手合わせがしたいのだが、エドは心配してくれているのだろう。
何度か撃ち合うも明らかにいつもより手加減されているのが分かる。助け出された時、エドの本気を見たがあのくらい遠慮なく手合わせしたいのに。あれだと全く勝てる気はしないが強者との手合わせは勉強になるのだ。弱肉強食の考えは、フローベリア仕込みだろうか。
そうして軽い撃ち合いを続けるもいつもより短い時間で切り上げとなった。まだ動き足りないアーネだったが、エドはさっさと木剣を片付けてしまう。
「アーネ、そんなにむくれないでよ」
「むくれてないもん…」
「ほら、お菓子食べに行こう」
エドに宥められながらお茶会をする応接室へと移動する。アーネの不満はありありと顔に出ていたようだ。
応接室に近付けば、いつものように紅茶を準備した使用人が入れ替わりで出ていく所だった。
(あれ…いつもと席が違う)
今日は椅子が隣同士になっていた。いつもは向かい合わせなのだが、使用人が間違えたのかもしれない。ティーセットも並べられてるし、別にこのままでもいいかと特に気にせず席に着いた。
「ん~冷たくて美味し~」
今日のアイスはチョコレート味だった。軽くしか動いていないのであっさりした物よりアーネの好みに寄せたエドのちょっとした気遣いである。そのおかげか先程の不満も忘れ、アーネは幸せそうにアイスを頬張った。
アイスを食べ終わると、いつものように可愛い一口サイズのお菓子達に目がいく。可愛くて美味しそうなお菓子に目を輝かせていると、これまたいつものようにエドがお菓子を差し出してきた。
「はい、どーぞ」
「今日は手痺れてないから大丈夫だよ?」
「少しは疲れているだろう?」
「全然。エドが物凄く手加減してたから疲れてもないよ」
「……(もう少し強目に撃ち込めば良かったか)」
「エド?」
有無を言わさない笑顔のエドにプレシャーを感じる。しかも無理矢理口許に差し出してくるのでアーネは渋々そのまま食べるしかなかった。
「美味しい? 次はどれにしようか?」
「あの…本当に自分で食べるから」
「あぁこれとか好きそうだよね。新しく準備したんだけど、マカロンって言って色んな種類があるんだ。これはラズベリーかな」
「お、美味しそう……」
見た目も可愛いお菓子を差し出され、誘惑に負けて普通に食べてしまった。一口で頬張るには、少し大きかったのでほっぺが膨らんでしまう。四苦八苦しながらもぐもぐと咀嚼する間、エドは微笑ましそうに笑みを浮かべながらこちらを見ていた。ゴクンと飲み込んだ後、エドに話しかける。
「ねぇ、本当に自分で食べれるから。エドは全然食べてないじゃない」
「じゃ、アーネが選んで」
「えぇー…。じゃ、いくつか皿に取り分けるから…」
「ん…」
「………」
口を開けて食べさせてくれとばかりに催促された。何だか今日のエドは変だ。手合わせで手加減された腹いせついでに、アーネはマカロンをエドの口に突っ込んでやった。しかし、アーネとは違い一口でも余裕そうに食べている。むっとしているとまたもやエドがマカロンを差し出してきた。
「じゃ、次はアーネだね。次はちゃんと半分ずつ食べるんだよ」
「……」
これはもう何を言っても聞いてもらえなさそうだ。ニコニコと楽しそうなのが何だか腹立たしいが、仕方ないと諦めて食べさせてもらう事にした。今までのお茶会でも食べさせて貰っていたので抵抗はない。差し出された白いマカロンをはむっと半分だけ齧る。
ほんのりバニラビーンズが効いたマカロンは甘さ控えめでとても美味しい。マカロンを堪能していると目の前であり得ない事が起こった。
残り半分をエドが食べてしまったのだ。アーネの食べかけなのも気にせずもぐもぐと咀嚼している。飲み込んだ後、味わうように唇を舐める仕草が妙に色っぽい。
「バニラ味かな。これも美味しいね」
「…なっ……」
「半分こにすれば一緒に味わえるよね」
「……っっ!!」
今日のエドはやっぱり変だ。いつもよりニコニコしてるし、言ってる事とやってる事が絶対おかしい。そう口にしたいが驚きすぎて声が出ず口をパクパクさせるだけだけしか出来ない。何か顔が熱くなってきたし、妙に恥ずかしいのは何でだ。
「次はどれにする?」
そんなアーネを見て、エドは楽しそうに笑っている。アーネが混乱しているのもお構いなしで、流れるようにサラサラの金髪をそっと一房すくった。
「アーネの髪、キラキラしてて綺麗だよね」
(ひぃっ、人の髪をすくって……キ、キスしたっ!)
もはやアーネは言葉が出なかった。心臓が早鐘のようにうるさく鳴っている。このままでは心臓発作になると変な方向に解釈したアーネは、何とか声を振り絞った。
「の、残りは部屋に持って帰るからっ!」
どもりながらもそう口にし、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。そうして強制的にお茶会を終わらせたが、アーネにとっては刺激の強すぎる出来事に部屋までどうやって帰ったのかは記憶にないのであった。
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