文章四友とは

 いきなりですが、『新唐書』杜審言伝には次のような記述があります。

  少與李嶠、崔融、蘇味道為文章四友,世號「崔、李、蘇、杜」。


 初唐の時代、文章四友と呼ばれた文人たちがいました。構成人員は以下のとおりです。生没年も算用数字で書いておきます。順番もわかりやすいようにここでは年齢順にしておきます。


1.李嶠りきょう(645-714)

2.杜審言としんげん(646?-708)

3.蘇味道そみどう(648-705)

4.崔融さいゆう(653-706)


 彼らには文章四友としての逸話などは特にありません。しかし、全員が武后期に官吏として活躍した文人たちなのです。

 当時の官位に詩文の才能が関わっていたことは言うまでもありません。

 中でも、李嶠と蘇味道は正三品(官吏が昇任する恐らく最高職)・同鳳閣鸞台平章事(宰相)を複数回経験しており、崔融も正四品下(大臣相当)まで上り詰めています。杜審言は幾度か左遷を喰らっているのでそこまで官位は上がりませんでした(杜審言は死後、李嶠の願い出により著作郎(従五品上)を授けられているので、弊創作の中では十分に高い方)。


 彼らはその役職上、職場での関わりがあったのではないかと考えられます。

 七〇〇年頃には、一時的に杜審言(左遷中)以外の三人が同じ部署に所属していたこともありました。世間狭い。


(以下おまけ情報)

 また、杜審言と三人は個々にプライベートな関わりもあったようです。

 李嶠の詩の中には、杜審言からの贈答詩への返答詩がかなりの量見受けられます(なぜか杜審言からのものは全て散逸している)。

 蘇味道が官吏登用試験の面接官をしていた際、受験した杜審言は自分の回答の出来を自賛して「味道は僕の答案を見て、恥ずかしくて死んでしまうのさ」と大口を叩いていたことがあります。この際、なぜか蘇味道を諱で呼んでいます。

 崔融に関しては、生前から長文詩を贈り合うなど年齢差を感じさせない交友関係があり、崔融の死後、杜審言は喪に服したという逸話が残されています。



【参考文献】(wiki sourceで読んでごめん)

・『舊唐書』

・『新唐書』

なお、現代語訳は『唐代の詩人―その伝記』による(参考文献のページ参照)。

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