張易之左遷組とは

 いきなりですが、宋之問の作に「至端州驛見杜五審言沈三佺期閻五朝隱王二無競題壁慨然成詠」という詩があります。


 張易之左遷組というのは正式な呼称ではなく、私が勝手に呼んでいるものです。その由来については次に述べるとして、構成人員は以下のとおりです。

 なお、生没年()と上記の詩が作られた七〇五年当時の年齢〈〉も記載しておきます。算用数字で。


1.杜審言としんげん(646?-708)〈59歳〉

2.閻朝隠えんちょういん(不明-713?)〈?歳〉

3.王無競おうむきょう(652-705)〈53歳〉

4.沈佺期しんせんき(656?-713)〈49歳〉

5.宋之問そうしもん(656?-712)〈49歳〉


 神竜元年(七〇五)先代皇帝武則天の寵臣・張易之が反乱により処刑される際、彼をパトロンとしていた詩人たちが連座して流されるという事件がありました。

 この詩はその際、端州の宿場の壁に書きつけられた杜審言・沈佺期・閻朝隠・王無競の詩を見た宋之問が詠んだ詩です。なお、これに関する宋之問以外の詩は全て散逸しています。


 これだけ、これだけなんですが。

 個々を見ていくとまあまあ交流はあるのですが、この五人を繋ぐ史実的な記述はこれだけです。

 しかし、同じパトロンの元に集ったに過ぎない五人が、別々の流刑地に赴くにあたり同じ場所に詩を書きつけていくのなんて、ロマンじゃありませんか。

 激動の武后期が終わり、移り変わる時代の中で運命を共にした彼らは、きっとただの同僚に止まらなかったのでしょう。


 ……まあ、宋之問はこの流刑のあと半年程度で洛陽に逃げ帰りますし、王無競は流刑地に向かう道中で賊を騙った皇帝の配下に殺害されてしまうのですが。


【参考文献】

・李攀竜 撰, 前野直彬 注解『唐詩選 上』(岩波書店、2000年)

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