趙貞固

 不遇の才人にして方外十友の一員、趙貞固についてざっくりとまとめます。



○基本情報

趙元ちょうげん/趙元亮ちょうげんりょう(六五八~六九七)

字は貞固ていこ。河間(瀛州?)の人である。

伝は『新唐書』陳子昂伝に附されるのみで詳細不明。

方外十友の一員。陳子昂ちんすごう盧蔵用ろぞうようと仲がいい。

趙貞固が亡くなった後に宋之問そうしもんが陳子昂と盧蔵用に宛て「亡くなった趙貞固と夢で会った」旨の詩を贈ったことから、この四人は方外十友の中でも特に長い付き合いであったことが窺える。宋之問の原文は散逸しているが、返答詩である陳子昂「同宋參軍之問夢趙六贈盧陳二子之作」及び盧蔵用「宋主簿鳴皋夢趙六予未及報而陳子云亡今追為此詩答宋兼貽平昔遊舊」は『全唐詩』に収められている。

また、趙貞固の碑文は陳子昂が執筆している(「昭夷子趙氏碑」)。

陳子昂は「贈趙六貞固二首」に於いても趙貞固の才能を高く評価しているが、趙貞固自身の作品は残っていない。



○人物像と生涯

趙貞固は若くして志略を負い弁論を好んでいた。二七歳のころ洛陽に遊学する。高邁な精神の才人であったにも関わらず、皇帝に見出されることはなかった。

豳州宜祿県の尉(地方官)に甘んじた趙貞固は、薬を採り琴を弾き隠者のような生活をした。隠逸の志を抱きながらも叶わないまま亡くなる。四九歳。

ちなみに趙貞固の死因は痟疾(糖尿病等)。大酒飲みってこと…???

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る