趙貞固
不遇の才人にして方外十友の一員、趙貞固についてざっくりとまとめます。
○基本情報
字は
伝は『新唐書』陳子昂伝に附されるのみで詳細不明。
方外十友の一員。
趙貞固が亡くなった後に
また、趙貞固の碑文は陳子昂が執筆している(「昭夷子趙氏碑」)。
陳子昂は「贈趙六貞固二首」に於いても趙貞固の才能を高く評価しているが、趙貞固自身の作品は残っていない。
○人物像と生涯
趙貞固は若くして志略を負い弁論を好んでいた。二七歳のころ洛陽に遊学する。高邁な精神の才人であったにも関わらず、皇帝に見出されることはなかった。
豳州宜祿県の尉(地方官)に甘んじた趙貞固は、薬を採り琴を弾き隠者のような生活をした。隠逸の志を抱きながらも叶わないまま亡くなる。四九歳。
ちなみに趙貞固の死因は痟疾(糖尿病等)。大酒飲みってこと…???
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