盧蔵用

 陳子昂第一の称揚者にして方外十友の一員、盧蔵用についてざっくりとまとめます。



○基本情報

盧蔵用ろぞうよう(六六四~七一三)

字は子潜しせん。幽州范陽県の人である。

門閥貴族・范陽盧氏の出身。

方外十友の一員。陳子昂ちんすごう趙貞固ちょうていこと仲がいい。陳子昂の親友を自称している。

陳子昂が亡くなった後にその伝記と私集、序文を作ったことで有名。陳子昂の文学思想の最大理解者であり称揚者。そのため、後代の陳子昂研究においては無視することのできない存在である。



○人物像

『全唐詩』等に作品が取り上げられていることからも詩文の才能は勿論、他にも占い、書、琴、博奕などにも長けており、何かと多才であった。

方外十友の中でも明確に出世を見据えた行動をしており策士だと思われる。

高官に着いてからは権力に媚びたりとあまり評判は芳しくないが、陳子昂と趙貞固の遺児を養育するなど古くからの交友を重んじていた模様。ちなみに、自身は結婚していない。



○隠逸

盧蔵用は早くから進士に及第するも官に就けられず、兄の盧徴明と共に終南山・少室山に隠逸した。

無官時代、武則天の御幸に合わせて嵩山に通ったため「随駕隠士」と称される。また、隠逸をキャリアとして官職に就いたことで、方外十友の一員・司馬承禎しばしょうていに「仕宦之捷徑」と指摘されるという逸話があり、これが後に「終南捷径しゅうなんしょうけい」の出典とされた。



○任官

長安年間(七〇一〜七〇五)に左拾遺に就いてからは、黄門侍郎等の高官を歴任し尚書右丞まで至る。太平公主の男寵となるも、玄宗が反対派を討伐した際に連座して流刑となる。後に地方官となるも亡くなる。四九歳。



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