赤い犬


私は犬に好かれない。

物心ついたころからそう。

大抵の犬は私に向かって吠えて噛みつこうとしてくるし、おとなしいと評判の犬にも警戒され頭を撫でさせてもらえない。

犬との距離の測り方は間違っていない...と思う。

いきなり間を詰めることはしないし、もちろんいじめてやろうなんて気持ちも無い。

ゆっくり、本当にゆっくりテリトリーへ近づいて、失礼しますといった具合で一歩踏み込んだ瞬間。敵意を剥き出しにされるのだ。


一度母との世間話の際に「犬に嫌われるんだよね」と何気なく話したことがある。

すると母はああ...と言った。

やっぱりか。と言われたような気がして、何かあったの?と聞くと母は少し間を置いて話し始めた。


✳︎

母は私が幼い頃、定期的に同じ夢を見ていたそうだ。

近所の公園で私がブランコを漕いでいる。

空は真っ黒。おそらく夜。

なのだけれど、地面から二メートルくらいの高さまでは不思議と明るい。

コップに水と油を注いだ時のようなイメージ。下に光が溜まっていて、その上に混ざることなく暗闇が乗っかっている。

母は少し遠くに立っていて、夜の公園で一人遊ぶ幼い私をじっと見ている。

しばらくすると、いつも決まった茂みの中から一匹の犬が姿を現す。

全身真っ赤の、大きな犬。

毛並みが赤い訳ではない。ではなぜ赤く見えるのか?それはその犬に皮膚が無く、中身が剥き出しだからだ。

その犬は体についた水分を払うようにぶるっと一度身震いをする。赤い液体が周囲に飛び散って足元の雑草に色をつける。どうやら全身から滲むように出血しているらしい。

痛々しい見た目の犬が歩き出す。幼い私へ向かって。

母はいつも大声で逃げろと叫ぶのだそうだ。

本当なら駆け寄って私を守るなり犬を追い払いたかったそうなのだが夢の中でそれは出来ないらしい。

足はいつも根を張ったように動かせないのだそうだ。

だから逃げろ逃げろと必死になって叫ぶのだと。

赤い犬の姿を確認した私が怯えて逃げる。

幼い子供の脚力で逃げられる筈もなく。距離はみるみると縮んでいく。しかし犬は弄ぶようにして付かず離れずの距離を保ち私を追いかける。

散々追いかけ回して私が疲れ切ったのを見計らい飛びかかる。

夢はいつもそこで終わる。

母はその夢に対して恐怖はあまり感じなかったそうだ。その犬に対しての怒りと憎しみ。

私を助けてあげられない悔しさと悲しみ。そういった感情で一杯になるらしい。

ものすごく味の悪い夢だったと話す暗い母の顔を今でも覚えている。


✳︎

その話を聞いて私はなるほどだからか。とは思わなかった。余計にもやもやした。

これで私が夢の中で犬をいじめている。若しくは物心つく前に犬に酷いことをした。

とかいう話をされたら納得できたかもしれないが、全くそうではない。

夢の中で私は犬に襲われている。

なんとなく思うのは、おそらく私と犬という生き物の間には何かしら因縁があるということ。

夢の中で私を襲う犬は母からしたら悪だけど、夢の中の犬にとって私が悪なのかもしれないとも思った。

もしかしたら私は前世で犬の皮を全て剥いで殺したことがあるのかもしれない。

その犬の魂が世代を越えて追いかけて来ているのかもしれない。

なんて妄想をして無理矢理腑に落とそうとしたけどやめた。

その話について考えれば考えるほど、頭の中に皮膚の無い犬のイメージがどんどんと浮かんでくるからだ。

奥歯まで剥き出しの口はまるで笑っているかのようで、眼球の無い目の中には赤い水が溜まっている。

犬が私に向かってゆっくりと歩いてくる。

ちゃぷちゃぷと眼窩から血をこぼしながら。

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手遊び(仮) ひだり手 @hantoumei6741

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