地縛霊地獄只中

拍手のような音が一つ。

等間隔に配置された通路灯の白い光が眼球に飛び込んで来て、私は少し目を細める。

その瞬間まで私の体が、いや、魂?がどこでどうしているのかは分からない。

私が覚醒するのは夜のマンションの八階の通路。いや・・・七階だったっけ?


私は「地縛霊」というやつだ。

本当はもっと別の存在なのかもしれないけど、私の知識で今の私の状況を整理するためにはその言葉しか思いつかなかったからそういうことにしている。

私はこのマンションの今いる階から身を投げて死んだ。

同棲していた彼に別れを切り出された絶望と、怒りと悲しみのままにここから飛び降りた。

塀を乗り越えて飛んで落ちるまで自分がどういう気持ちだったかはあまり覚えていないけど、抱えた苦しみの全てから解放されると思っていた。ような気がする。

それなのに...


体がひとりでに歩き出す。ゆったりと、一歩一歩を踏み締めるように。

恐怖で全身が泡立つ。私は絶叫しそうになったが必死でそれを抑える。

いやだ...もういやだ...ごめんなさい...

私が向かうのは、通路の突き当たりにある一室。

私と彼が一緒に生活をしていた場所。


私がそこに辿り着いてどういう行動をするかを私は飽きるほど知っている。

あの部屋の前に立ち、気の遠くなるようなペースでインターホンを三回鳴らす。

程なくして私の視界は暗転し、次の夜を迎える。

これを私は延々と繰り返してきた。


地縛霊になって初めて部屋を訪ねた時の彼の慌てようを見た時は爽快だった。ざまあみろと思った。

程なくして、彼はいなくなってしまった。だけど私は変わらず決まった時間にここに現れて同じ行動を繰り返した。

その後に越してきた住人の怯える様や、ドア越しに飛んでくる泣きそうな声を聞くのを楽しんでいたのも確かだ。

だけどそれにも限度がある。毎日毎日同じことを何百、何千と繰り返せば嫌でも飽きが来る。

もういいよ。満足だ。

と強く思ったけれど、私の魂はこの場所から離れようとはしなかった。


扉の前に立ち、私の指がインターホンへと伸びる。


ピン  ポーーーーン


たっぷりとしたリズムで一度目のインターホンが鳴らされる。私は唇を噛んで祈った。今の入居者が不在であることを。

今では苦痛に感じていたあの退屈な毎日、繰り返しの日々を愛しく思う。


私は自分の無念を少しでも晴らすために地縛霊になったと思っていた。実際にそうだと思うけど、変わってしまった。変えられてしまった。

地獄。これは自ら命を絶ってしまった私に用意された地獄なのではないか?とさえ思うようになった。


ピン ポーーーーン


二度目のインターホン。

お願い...お願い...

昨日も一昨日も先週も先月も毎日毎日ずっと私で楽しんだでしょう?私が恐怖に怯えているのが分かるでしょう?今日くらい見逃してくれてもいいじゃない。

もう私に関わらなくてもいいじゃない。

お願いお願いお願いお願い...


カチャ


施錠の外れる音が聞こえる。

ひゅ。と息が詰まって全身が硬直する。


ゆっくりと空いた扉の向こうから男の青白い手が伸びてきて、私の前髪を掴み部屋の中へと乱暴に引き摺り込む。

私は堰を切ったように叫んだ。喚き散らした。

それが逆効果だというのは分かっている。分かりきっている。

私が泣き叫ぶほど、怯えるほどにこの男の嗜虐心は加速していく。

だけど私は叫んだ。思い切り叫んだ。

この男が私に触れることが出来るように、私の声を聞くことが出来るように。

そんな人間が他にもいるかもしれない。私の悲鳴を聞きつけて助けに来てくれる人がいるかもしれない。


だから私は叫び続ける。


だれか だれか


もう人でなくたっていいから


助けて お願い 助けて


拍手のような音が一つ。

等間隔に配置された通路灯の白い光が眼球に飛び込んできて・・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る