1-06 セピアの舞踊手

   〈花舞う庭〉


 ―――噎せ返るほどの、甘い香りがする。

 それはそうだろう、と少女は独り淡い水色の空を見上げる。

 ―――何故なら此処はあの人の庭なのだから。


「お嬢様」

 遠くから呼び声が聞こえる。はい、と小鳥の歌うような声で答えれば、

「お遊びはその位にして。お勉強の時間ですよ、■■■(掠れて読み取れない)さんがいらしていますから。ご挨拶をして」

 女の使用人は大嫌いなその名を告げる。それでも少女は、

「はい」

 小鳥のような声で答えた。何故なら、

 ―――此処はあの人の庭なのだから。

 花舞う庭を軽やかに、ふわりふわりと舞うように、少女はその声の元へと向かっていく。


   〈籠の鳥〉


 小鳥は歌う。

 狭い金網の中で、只、あの人の為に。


「何度言えば分かるの」

 冷ややかな声、冷ややかな瞳。

「■■リー(文字が乱暴に剥ぎ取られている)、クロウフットの名に恥じない娘であれと、いつもいつも言っているでしょう?」

 その凍てつく蒼い瞳は、少女の丸い瞳と同じ色をしていた。

「はい」

 少女は小鳥のような声で答えるばかり。刹那、彼女の視界は衝撃を受けて横に歪み、暗転し、気付くと床を映していた。

 大きな音に驚いたらしい部屋で飼われていた白い鳥が、ばさばさと籠の中で羽ばたいて暴れ出すのを、使用人がなだめる。

「…出来損ないね」

 直後、頬がじんと痛む。少女はその顔を殴られていた。柔らかな頬は真っ赤に腫れ上がり、彼女の顔の左側は右側のそれより大きくなっていた。

「はい」

 それでも涙すら見せず、表情筋を制御する機構が壊れてしまったかのように、彼女はふわりと笑みにも似た表情をしながら、彼女はそう答えた。


 小鳥は歌う。

 愛くるしく、美しくても、所詮その身は籠の鳥。

 生かすも殺すも、あの人次第。


   〈日記〉

 

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。

 私は良い子でなければならない。


 それは、

 あの人の決めたこと。

 私は良い子でありたいから、

 あの人の為に私を殺す。



   〈灰色の庭〉


 ―――土の匂いがする。

 それはそうだろう、と少女は独り灰色の庭を見やる。

 ―――何故ならあの人は、


「お嬢様、お嬢様!」

 枯れた花など構うものかと、走り寄る使用人。少女を抱き締めて、彼はおいおいと泣いた。

「■ミリー!爺や!」

 ―――爺やに、パパ?

「ああ!私の愛しいエミ■ー……」

 ―――ママ?

  

「此処を離れよう…もう二度と、お前を離すものか」

「私の国…日本に行きましょう。荷物を纏めなさい……ずっと迎えに来てあげられなくて御免ね、今日から私達、また元通り一緒よ」

「……思っていたよりも、深刻のようだな」

「酷い……酷いわ、どうしてこんなこと…あんな人に、私達の可愛い子を……」


 少女を囲んだ人の輪は、みなそれぞれ涙で濡れていた。

 少女にはその理由が分からない。

 少女はそれどころか、泣くのに必要な感情そのものを失っていた。

 少女は、

 ―――無機物少女になっていた。

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