第3話 不可思議
「ということは、聡くんは敷地外へ連れ出されたという可能性が高いですね」
「でも、どうやって塀の外に出たのか……」
山根さんをはじめ全員が不思議そうな表情をしていた。
「インターンの学生さんの件ですが、重要な書類を持ったままなのですね」
「はい、そうです」
「その学生さんのことを詳しくお聞かせ下さい」
山根さんたちの横に控えている女性が隣の部屋からすぐにファイルを持ってきた。
「都公立大学2年生の田中巴さんです」
山根さんは写真付きのプロフィールを見せてくれた。
「あ、私と同じ大学だ。えーと、工学部のデザイン科か」
夏子は自分と同じ大学の学生のプロフィールを興味深く見ていた。
「夏子、どこだっけ?」
「私? 工学部の建築科」
「この田中巴さん、知ってる?」
「うーん、学科が違うから全然知らない」
ひょっとしたら知っているかもしれないという期待を込めて訊いてみたが、ダメだった。
「では、田中さんが持っている重要な書類のことを教えて下さい」
「はい。会社の監査報告書です」
「あ、それは重要そうな……でも一体どうしてそのような事態に?」
私の質問に山根さんたちはバツの悪そうな顔をした。
「あ、はい。少しおかしな話しになるんですが。……私と杉田さんが書斎で田中さんに会社のことを色々と話していました。私はその時、書類のコピーを取っていました。木下さんが、社長が私のことをお呼びになっていると伝えに来ました。杉田さんがトイレに行っていて、書斎に戻ってきましたので、杉田さんに作業を引き渡して、私は部屋から出て行きました」
山根さんは話してから、杉田さんをちらっと見た。
「あ、それで、私は山根室長から引き継いで書類のコピーをしていました。しかし、今朝からずっとお腹の調子が悪かったもので、すぐにまたトイレに走らなければならなくなりまして、その……」
杉田さんはためらう感じで話し続けた。
「山根室長から渡された書類が、監査報告書だとは知らずに、田中さんにコピーをお願いして、私はトイレに走りました。数分後に書斎に戻ると、田中さんは、いなくなってました」
杉田さんはハンカチで汗を拭いながら話してくれた。
「そこへ、社長と私が戻ってきて、監査報告書がなくなっているのに気づきました」
山根さんがさらりと話した。
「えーっと、色々な不運が重なってしまったということですね」
私が言うと、山根さんと杉田さんが無言で頷いた。
「それで、田中さんはどこへ行ったんでしょうか?」
「いや、それは……一体どこへ……」
「田中さんと重要書類が消えたこと、“子どもは預かった” という紙と聡くんが消えたこと……」
私はあれこれと考えてみたが、それらがどう繋がるのかがわからなかった。
「その紙ですが、田中さんを探している時は、居間になかったのですか?」
「はい。学生さんを探している時には、その紙は居間のテーブルには置いてありませんでした」
木下さんは首を傾げながら言った。
「そう言われれば、テーブルの上には何もなかったはずなんですが……」
「はい、私もそう思います。テーブルには何も置いてませんでした」
杉田さんのおぼろげな記憶を山根さんが補強した。
「聡くんは、間違いなく今日この家にいたのですね?」
「はい、刑事さんたちが家に来られる数分前に、私、聡坊ちゃんが自分のお部屋から出てくるのを見ております」
木下さんが答えた。みんな頷いていた。
「ということは、現状で考えられることは、田中さんが重要書類を盗んで、聡くんを誘拐した……」
「でもお姉ちゃん、それだったら、田中さんは脅迫文の紙をテーブルに置くまでは、家のどこかに隠れていたってことよね?」
「うん、そうなるわね」
「しかし、我々はタンスの中、押し入れの中、カーテンの裏側、至るところを調べましたが、家の中のどこにも田中さんはいませんでした」
杉田さんは困惑した表情で言った。
「んー……それでいて、塀は乗り越えられる高さではなくて、庭には番犬がいるし、出口も暗証番号が必要か……」
全員がこの不思議な状況を理解できずにいた。
「その監査報告書ですが、もし見つからなければ、どういうことになりますか?」
「会社としては、かなり困ってしまうことに……」
杉田さんが青白い顔で言葉をつまらせた。
「今日の正午に顧問弁護士がここまで取りに来て、そしてそのまま役所へ提出することになっています」
山根さんはハキハキと答えた。
「あと、3時間弱か。応援を呼びますね」
私は、係長に連絡して指示を仰ぐことにした。
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