第2話 事件発生

 ほんの1分ほど歩いて、一区画がまるごとひとつの敷地のような場所に来た。高い築地塀で囲まれた日本風の邸宅だった。大きく立派な門から中へ入っていった。

「グルルルル! ウワオー!」

 突然犬に吠えられた。違う犬種の犬が三匹、おそらく私と夏子に向かって吠えた。山根さんが手をかざすと、すぐに犬たちは吠えるのをやめた。

 内側は広々とした庭だった。手入れが行き届いている木や竹が所々に植えられていた。奥に見える昔ながらの日本家屋へと続く石畳をずっと歩いていった。

 平屋だがすごく大きな家だった。お手伝いさんと思われる品の良さそうな年配の女性が玄関で出迎えていた。私と夏子を見て不思議そうにしていた。私たちは家の中へ案内された。応接室へと通され、そこにはこの家の主人と思われる初老の男性がソファーに腰を下ろしていた。

「社長、警察の方が偶然通りかかりましたので、こちらへご案内しました」

「警察……いや、警察を呼ぶなと言っただろ」

「いえ、偶然、外で出会いましたので」

 社長と呼ばれた男性は戸惑いながら山根さんに言い返した。その男性は、袴を履いて、モダンな和服を着こなしていた。ロマンスグレーの長髪を七三に分けて、教養を感じさせる物静かな男性だった。彼は私と夏子を見て、スッと目をそらしてから、また見返した。

「申し訳ありませんが、お引取り下さい」

 社長と呼ばれた男性は申し訳無さそうに言った。

「お姉ちゃん、どうすんの」

 夏子が小声で訊いてきた。どうしようか迷っていたその時、先ほど玄関にいた年配の女性が慌てて駆け込んできた。

「旦那様、旦那様! 大変です! こんなものが!」

 その女性が手に持っていた紙を、中年の男性が取って読み出した。

「子どもは預かった……」

「え!」

 山根さんもその紙を見て、ひどく驚いた。

「おい、どういうことだ。子ども……聡!」

 紙を渡された社長は、内容を読んでから、興奮気味に部屋から出ていった。その後をスーツの部下四人が追いかけていった。私はテーブルに置かれたその紙を見て、内容を確認した。

「誘拐でしょうか?」

「え! お姉ちゃん、事件!」

 私はその場に留まった山根さんに尋ねたが、彼女は無言のままだった。


 しばらくして、社長が部下に付き添われて戻ってきた。

「家中探したが、聡がどこにもいない……」

 社長はゆっくりとソファーに腰掛けた。

「社長、刑事さんにお話しましょう。取り返しのつかないことが起こってからでは遅いです」

 山根さんの言葉に、社長は静かに頷いた。


 私と夏子は、大きな木製の台を囲んでソファーに座った。

「T県警の香崎小春です」

「夏子です、妹です。私は刑事ではありません」

「先ほどは礼を欠いてしまって、申し訳ありませんでした。私、森脇えいじと申します。森脇コーポレーションという会社を経営しております。彼らはうちの社員です」

 森脇さんはとても紳士的な物腰だった。

「私、社長室長の山根恵子と申します」

「私は、社長秘書の杉田雅俊と申します」

 山根さんは50歳くらいの女性で、スーツを着こなしたやり手のキャリアウーマンのようだった。杉田さんも同じくらいの年齢で、社長の森脇さんのような柔らかな振る舞いの紳士だった。他にはスーツをビシっと着た20代の女性が二人と30代の男性が、森脇さんたちの横に控えていた。

 山根さんが強い意志を持って話し始めた。

「当社では、インターンシップを受け入れておりまして、本日、1名の学生さんがインターンとして、来ておりました。しかし、その学生さんが会社の重要書類を持ったまま行方知れずになってしまいました」

「行方知れず? あの、その学生さんは、こちらで、えーっと、この家でインターンとして働いていたということでしょうか?」

「はい、そうです。普段は会社の方でインターンシップを行うのですが、今日はこちらの社長宅で行なっておりました」

「なるほど。その学生さんは、この家から、敷地から、外へ出たということですか?」

「いえ、外へ出たのかはわかりません。敷地から出るには、塀が高すぎるので、門から出るしかありません。ですが、門を開けるには内側からでも暗証番号を入力しなければいけませんので、外へ出たとは思えないのです。それに、犬が吠えるはずです。ただ、家の中にはどこにも見当たりませんでしたし、靴もなくなっていましたので、外へ探しに行きました。それで刑事さんに偶然出会ってしまったということです」

「なるほど」

「刑事さんを家の中へ案内してすぐに、この家のお手伝いさんの木下さんが、これを見つけました」

 山根さんは、“子どもは預かった” と鉛筆書きされた先ほどの紙を私の方へ向けて渡した。

「この紙はどこにありましたか?」

「居間のテーブルの上に置かれてありました」

 木下さんが答えた。

「聡と叫ばれてましたが、お子さんでしょうか」

「はい、息子です」

 森脇さんが力なく答えた。

「聡くんの年齢は?」

「8歳です。小学2年生です」

「聡くんは、スマホを持っていますか?」

「いえ、持たせていません」

「GPS装置とかは?」

「そういうのも持たせていません」

「そうですか。この紙は、息子さんがいたずらでテーブルに置いたとは考えられませんか」

「いたずらかとも思ったんですが、家中を探しても見つからないので、いたずらだとは思えません」

 森脇さんは力なく答えた。

「字が大人びていますので、小学2年生が書いたとは思えません。私たちは家の中を隈なく探しました。七人で探したんですが、聡くんはどこにもいませんでした」

 山根さんは力強く答えた。

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