遺書
卯月 翠無
7月末にこの世から消える予定の21歳フリーターが実際に書いた遺書である。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん
自死したこと、どうかお許しください。私は屹度、もう十何年も心の中に魔物を飼っていました。私自身もそいつに薄ら気付いていながら誰にも相談なんて出来ませんでした。「心に魔物を飼っているからどうか助けてください」なんて言って信じてくれる人がありましょうか。否、厨二クサいと嗤われてしまうのは目に見えておりました。この遺書はどうも物語チックに。まるでフィクションの様に綴っておりますが、私はもうこの世には在りません。目を瞑りたくなるでしょう。現実なんて受け止めたくないでしょう。酷く心を病まれるでしょう。自責の念に駆られることでしょう。然し私は、自ら命を絶ったに過ぎず誰も悪くないのです。悪いのは私の酷く軟弱な心に棲みついた魔物であります。
魔物の話をしましょう。残されたこの紙と私の止まった時間の中で話をしましょう。そいつは突然私の心に入り込んできました。そいつは私の心の中で確かにこう言いました。「この世の中でお前には生きていくだけの力なんてものはなく、二十に自死し、自身の居なくなった世の中がどれだけ歯車の回ることかよく見ておくことだ」と。まるでそれは脅迫のようでありました。そこからの私はと言えば、誰にも悟られないよう成る可く己自身をも欺いてきました。それは屹度、当時小学生だった私には重過ぎたのでしょう。今では然う感じざるを得ません。何度か言ったことがあると思います。「胸が痛い」と。あれは本当に痛かった。胸の中の何かをぐっと引っ張られる様で、抉られる様で本当に痛かったのです。あの時に既に魔物の存在を私が認知して居れば、魔物に命を狩られることなんて無かったのだろうと、然う思うのです。飼い慣らすには其れから幾年をも必要としたのです。飼い慣らした頃私は十八くらいだったでしょうか。飼い慣らしたそいつは私が意図していない間に私の健康を貪り日に日に乗っ取っていく様でした。ここ迄読んで屹度あなた方は笑うことでしょう。「飼い慣らしていたのではないのか?」と。私もそう思っておりました。ですが、日に日に体は動かなくなり、部活内での揉め事、人間関係全て。然うして頭がおかしくなり、病気がお医者様の口から告げられたのです。鬱病。そいつでした。私の中に飼っていたはずのもの。魔物でした。私は信じたくなかったのです。自身の心を擦り減らしてまで欺いてきた結果がこれかと。今までの苦労はなんだったんだと。結局はお医者様に全て暴かれてしまいました。魔物は嗤ってまだ棲みついて居りました。別のお医者様を頼りました。社会不安障害。それすら魔物は嗤って居りました。嗚呼、お前のせいだお前のせいだ。お前さえ私の心に棲みつかなければ屹度今世私は、お父さんお母さんお兄ちゃんおばあちゃんおじいちゃん親戚友達仲間今までの恋人初めて私から好きになった彼の方。全ての方に全力で偽りもない愛情を向けられたのに。然して何より家族に愛している、と。満面の笑みで言えたはずなのに、今手元にあるのはなんだ。唯のシャープペンシルと唯の紙切れ。この気持ちがお前にわかるものか。本当ならば私は手元にずっと誰かの愛を、誰かへの愛を持って居たかったのに、なんだこの最後の最後まで私を嗤う様な物たちは。お前が私を殺したんだ。魔物め。恨めしい。私が恨めしいとか、莫迦の様に思うのは私の中に棲みつく魔物に対してだけであり、この世に生まれ、私を育て愛し成長させ手を繋ぎ笑い合ってくれた人たちのことでは決してありません。魔物。お前だけは死んでも、死んでも死んでも許さない。私の軟弱な心に棲みついた悪魔め。許さない。
然うして幾つかの春夏秋冬をこえて、私は自死することをいつからか決めておりました。本当は二十迄にする予定だったその計画は私の我儘により一年と数ヶ月ほど余分に生きてしまうのでした。お母さん。お父さん。私の病気と向き合おうとしてくれた大切な人。毎日心配で仕方なかったことでしょう。私はね、思うのですよ。生れてから今まで決してお母さんとお父さんの育て方に過ちは無かったと。手本の様な育て方をなされた。例え私の中に潜む魔物が顔を出しても、決して見限らず最後まで育ててくれた。いい大人だというのに家に住み込み、高い学費や交通費を払って行きたい学校に進学させていただき、私がしたいことを精一杯応援してくれた。其のお金や愛情をドブに捨てた私をお許しください。ずっと苦しかったのです。お母さん、お父さん。私、苦しかったのです。人に罵声を浴びせられることも、私のしたいことが何一つ上手くいかないことも、なんの希望も見出せないまま大人になることも、社会的に合格の判を押されないことも、身体が意思に反して動くことも、倒れたことも、友達ができないことも、できたと思った友達は皆私の思い込みで唯の一方通行なんじゃないかと思うことも、誰も私を必要としないのではないかと思うことも、こうして希死念慮に駆られて親不孝者に自らなりに行こうと決意したことも。全てが辛く苦しかったのですよ。だからと言ってね、自死していい理由にはならないことも承知しております。でもね、私今幸せです。とんだ大莫迦野郎でしょう?私のことを愛してくれた人たちに心の底から失礼なことをしたと恥じておりますが、それでもやっと解放されることに幸せを感じております。あの魔物に反撃できたと自分勝手に喜んでおります。私は屹度地獄に逝くのでしょう。自死した人は地獄へ逝くと聞きます。だからお母さん、お父さんにはあの世でも会えないのです。其れだけが心残りでございます。例えばね、輪廻転生なんてものがあるのであれば、次は魔物なんて取っ払った心でお母さんとお父さんの元に生まれ落ちたいものです。然うしてまた、お兄ちゃんも欲しいのです。我儘ですかね。いやはや、本当に自分勝手だ。私は屹度上手く人間に成れなかったのでしょう。どうも私には息苦し過ぎました。酸素がかえって私の息を止めさせるのです。可笑しな話でしょう?莫迦の一つ覚えの様に手首を切りつけたあの日のこと、覚えてますでしょうか。切りつけた私にはわかるのです。本当にあれは汚かった。血液がぷつぷつと丸い点になって滲み出てくるあの感覚は本当に汚らしかった。でもね、快楽も僅かに在りました。魔物を攻撃している勇者の様な心地よい気分でした。嗚呼、なんだずっと頭がおかしかったんじゃないか。キチガイだったんじゃないか。何が然うさせたのかはわかりません。でも私は自分を傷付けなくなってからどんどん魔物に支配されて本当のキチガイにでもなってしまったのでしょうね。自死する者はね、皆魔物に侵されているのですよ。だから責めないであげてください。私のことは責めて構いません。ですが、老若男女問わず勇気をだして自分の中の魔物と闘った者たちを責めるのはどうかおやめになってくださいね。川や海に身を投げた人も高いところから天使の様にとんだ人も身体の力を抜いて体重を預けた人も。皆が魔物のせいで死んでいく。屹度これからも然うでしょう。魔物を仕留めるための術を私たち人類は持ち合わせておりません。然ういう運命なのでしょう。血迷ったとて、決して私の後を追ってはなりませんよ。私は地獄に逝くのです。私が愛した家族にはどうか天命を全うし、天国へと逝ってほしいものです。幸せの蝋燭がそろそろ消えそうでございます。私が今こうして書いている紙もくたびれて、私の右手も力がもう入らないので、あまりに長く続いた独白文はこれでお終いにしましょうね。
私の好きな小説家は太宰治でした。彼の人間失格という作品はまさに私の心を満たす文学書でした。あれは素晴らしい。世間というのは、君じゃないか。という一文がなんと言いましょうとても好きでした。是非、私の本棚を漁って読んでみてくださいね。
さて、この世に少しばかり未練が残りますが今度こそここらでお終いです。
私はあなた方にとっての愛し子で在れましたでしょうか。其ればっかりは聞けないけれど、ずっとそばで見守っております。あなた方がこれから生きて生きて私という存在を懐かしむ様になった頃、私は穏やかに眠れます。ありがとう。愛しています。くれぐれもお身体にお気をつけて。あまり気を病まれないでください。無理でしょうか。お母さんの優しくて温かい手料理が大好きでした。お父さんの頼り甲斐のある大きな背中が大好きでした。お兄ちゃんの手を伸ばしても届かない其の偉大な優しさが大好きでした。
嗚呼、もう少し喋りたい。話したい。声を聴きたい。でももう戻れない。失敗して植物人間になった時は嗤ってください。莫迦野郎と。そして頭を撫でてやってください。よく頑張ったねと。人間は愚かで莫迦でそれでも生きて、死ぬ者は死んで。なんて美しいんでしょう。この世界を愛しています。
さようなら。
遺書 卯月 翠無 @Uduki_Mina0Apple4
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
雪月花のメモワール/蒼衣みこ
★17 エッセイ・ノンフィクション 連載中 726話
コロナ体験談/鴉
★18 エッセイ・ノンフィクション 連載中 10話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます