31 十円玉デスマッチ

 焼け付くような痛みに耐えながら、俺もポケットからカッターナイフを取り出す。

 これは怪異を振り払うものではなくて、「仲間」を蹴落とすものであったわけだ。つくづくこの世界はくそったれだ。


 俺が刃を出す前に白田さんはさらに切りつけてくる。

 身をすくめるようにして避ける。

 肘で白田さんを小突こうと試みる。


 「危ないでしょう。そんなことしたら」

 白田さんが自分のことを棚に上げて抗議する。彼は隠していたことを吐き出してすっきりしたのか、冷静な口調に戻っていた。

 

 たしか昔見たプロレスの試合だったか、手錠デスマッチというのがあった。

 俺たちが今やっているのはそれを滑稽こっけいにしたものだ。


 小学生用の小さな椅子に座った大人二人が背を丸めている。

 俺たち二人をつなぐのは手錠でない。小さな机の上に置かれた十円玉がお互いをお互いに縛り付ける。

 自由になる手で相手を小突こうとする。カッターナイフを振り回そうとする。自由に足で相手を蹴飛ばそうとする。腕はそれほど伸びないし、足だって丈の低い机に阻まれて自由に動かせない。鳥居が書かれた紙を破損しようものなら何が起こるかわからないから、人差し指に斬りつけることもできない。


 傍目はためにみたら、どれほどシュールな光景だろう。

 コントにもなりやしない。もちろん勇壮な雰囲気なぞ微塵もないだろう。


 今ここで目の前にいるのが白田さんでなくて絢子だったら、俺はどうするだろう。

 彼女が自らを犠牲にしないように説得し、そのあと少しだけ格好をつけて、それからリタイアする。


 でも、今目の前にいるのは絢子ではない。

 どんなにふざけた戦いであっても、俺はここで負けるわけにはいかない。

 なんとしてでも勝つ。勝って復讐をせねばならない。絢子の仇を見つけるためにはここで負けるわけにはいかないのだ。

 

 カッターナイフが前腕をかすめる。

 刃がぎりぎりと俺の腕に切れ込みをいれていく。

 熱くて痛くてたまらない。

 もう俺の方からカッターナイフで攻撃することは不可能だろう。


 白田さんの座る椅子を蹴飛ばそうとする。

 無意味だった。

 足は外側に曲がらない。


 「ごめん。僕は帰りたいんです」

 白田さんが再度切りつけてくる。

 俺の左腕は血塗れだった。


 ごめん。

 俺は心のなかで絢子に謝る。

 敵討ちもできないまま、俺は君のところに行く。

 君はそんなことしなくていいよと言うに違いないけど、ごめん。


 「ごめん」

 口に出したのは白田さんだった。

 

 彼はいつの間にかカッターナイフを置いて、素手で俺を押そうとしていた。

 俺はそのまま突き飛ばされて、ここでおしまいだ。


 「ごめん、あやちゃん」

 俺はもう一度だけ、今度は口に出して絢子に謝った。地獄に引きずり落とされるのを観念して待つ。


 しかし、シュールな決闘はやはりシュールに、そして俺の予想しない形で終わりを告げる。

 俺の血で白田さんの手がすべったのだ。

 バランスを崩した彼の左手人差し指が十円玉から離れる。


 バランスを崩して机の上に突っ伏すようになった白田さんが顔をあげる。


 白田さんと俺は顔を見合わせる。

 目を合わせるのが苦手なはずの彼が俺の目を見つめる。

 大粒の涙がこぼれる。


 「帰りたかった」

 彼は無理やり笑顔を見せる。

 切りつけてきた相手なのに、どういうわけか俺の目頭が熱くなる。


 「ごめんなさい。君たち二人も好きでしたよ。先輩は良い後輩を持てて鼻が高いです」

 さらに何かを言おうとした時に彼は一気に見えないなにかに教室の外に引きずられていった。


 絶叫が聞こえる。

 痛い痛いと叫ぶ白田さんの声であった。

 

 耳を塞ぎたいが、俺の指はまだ十円玉の上だ。

 歯を食いしばっても耳は閉じてくれたりはしなかった。


 一人になった俺はここから脱出できるというエレベータの使い方を質問する。

 長く複雑な説明なのに、まだ終了を告げるブザーはならない。


 「こっくりさんこっくりさん、白田さんは俺たちを殺そうとしていたんですか?」

 十円玉が少しだけ迷うようにさまよった後【いいえ】に移動した。

 あの人も辛かったんだろう。殺し合いが始まりかねないルールを一人知ってしまって、それを胸に抱えながら冷徹になろうとするもなりきれない。

 自分が彼の立場だったら、どうしただろう。

 申し訳ない気持ちになった。


 そこでブザーがなった。

 ようやく終わらせることができる。

 

 「こっくりさんこっくりさん、どうぞお戻りください」

 十円玉が「はい」に移動する。

 帰ってくれるらしい。

 鳥居にそのまま十円玉が流れていく。


 「こっくりさんこっくりさん、ありがとうございました。お帰りください」

 涙声で俺はお礼の言葉を述べて、こっくりさんに帰ってもらう。


 誰もいない教室。もう、ここにいる人間は俺一人だ。

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