27 それは突然に

 五日目午前一〇時三七分。


 俺たちは住宅街の中を歩いていた。

 俺たちを導くのは相変わらずの奇妙な貼り紙。

 それ以外の字は一切読み取れない。


 白田さんが公衆電話で聞いたという生還方法は九日の間生き残るというものであった。

 今日を含めてあと五日と考えると、絶望的な気分になるが、昨日は少なくとも「怪異」が原因で人が減ることはなかった。

 蒲田くんを殺したのは佐藤さん、つまり人間だった。

 その佐藤さんと瀬能さんを撃ったブラックスーツの二人組は怪異といえば怪異の類であるが、彼らが向こうから危害を加えてくることはない。

 昨日、抵抗をしなければと思うと残念であるし、悲しい。

 しかし、昨日はクダンの予言も退けたし、メリーさんに誰も殺されることはなかった。

 そう考えると絶望がほんの少し、本当に少しだけであるが和らいだ。

 希望とはいえないが、もしかしたらという気持ちが自分の中に芽生える。

 絢子を無事に元の世界に返す。

 俺も白田さんも相馬さんも無事に元の世界に帰る。

 そうしたら、皆でお祝いをする。

 白田さんはお金を持っていそうだから、彼におごってもらおう。

 一次会か二次会かで白田さんと相馬さんがいい感じになっていたら、そっと絢子とふけよう。

 アパートに戻って温かいコーヒーでも飲みながら、今頃二人はどうしているのかを話すのだ。

 そうだ、絢子には相馬さんと連絡先を交換しておいてもらわないといけない。

 リアルタイムであの鳥の巣頭氏が照れまくっているところを報告してもらうのだ。


 俺は絢子の手を握りながら少し妄想にふける。

 自然と笑みがこぼれていたのだろう。

 絢子がほほえみながら、「楽しいこと考えてたの?」と聞いてくる。

 柔和でおとなしめの印象ながら相手を楽しい気分にさせる笑顔、何度見ても飽きない笑顔が俺をとらえる。

 絶望が和らぐどころか、俺の中では希望が芽生え始めていたらしい。

 俺はほほえみ返す。彼女のほほえみを見続けてきたおかげで俺も良い笑顔ができるようになってきた気がする。


 「帰ったらさ、皆でお祝い会しようって」

 そのうえでにやりと笑う。こちらはあまり良い笑顔とはいえないだろう。悪巧みを耳打ちする。


 「白田さんと相馬さん、くっつけようぜ」

 

 「出しゃばらなくても自然と惹かれるものよ」


 「俺にも自然と?」

 絢子はいたずらっぽい笑顔を浮かべただけで答えなかった。


 「なにかいない?」

 楽しい想像にふける俺を悪夢に引き戻したのは相馬さんの声だった。


 十字路の先にうつむいた少女が立っていた。

 白いブラウスであっただろうものは血でどす黒く染まり、スカートと同じ赤色になっている。

 少女が顔をあげる。

 顔のところどころに大きな切り傷があって、肉が露出している。

 顔の皮が残っているところには無数のイボがあった。

 

 ちりちりという音とともに少女は手にしたカッターナイフを伸ばす。


 「ミニクイイボミニクイイボ、トッテナクスノ。ズルイズルイキレイナカオズルイ」

 少女はカッターナイフを自分の顔に当ててイボを皮ごと削ぎ落とす。

 血が吹き出す。


 「皮はぎあきちゃんという都市伝説です」

 白田さんが瞬時に同定する。

 

 「彼女は自分の顔がコンプレックスで自らの皮をはぎ、他人の皮をはぐ」


 「対処法は?」


 「『私はあなたよりも、もっと醜いです』と答えてください。ひざまずいて、目をつぶって答えながら手を合わせてください。それで彼女は消えるはずです」

 白田さんが静かに答える。


 皮はぎあきちゃんが走ってくる。


 俺たちはその場でひざまずく。

 目をつぶる。

 

 「私はあなたよりも、もっと醜いです」

 俺たちは口々に繰り返す。

 目をつぶっていても気配がする。

 俺の顔に生臭く熱い吐息がかかったかと思うと、ふっと消える。

 俺はほっとする。汗が背中をじとっと濡らす。


 ほっとした矢先のことであった。


 「ウソヲツクナ!」

 絢子の悲鳴が俺の鼓膜をたたく。


 俺は目を開ける。

 皮はぎあきちゃんがカッターナイフをふりまわしていた。

 

 このような光景など目に焼き付けたくない。

 それなのにコマ送りのように一つ一つの場面が俺の目に焼きつけられていく。


 俺は駆け寄る。

 怪異と絢子の間に伸ばした手に赤い筋が走る。

 痛みは感じない。

 もう一歩、それが間に合わない。


 パックでも剥がされるように顔であったものが剥がれていく。

 赤いパック、むき出しの筋繊維、こぼれおちる目玉、絢子が唇のない口を大きくあける。

 怪異が剥ぎ取った顔を取り戻してすぐに当てれば元通りになるわけもないのに、俺は彼女の血塗れの顔を持ってケタケタと笑う怪異に殴り抱える。

 皮はぎあきちゃんは俺を突き飛ばして走り去る。

 怪異の姿が霞んでいく。


 コマ送りが通常再生に戻る。

 ああ、ごめん。ごめんごめんごめんごめん。

 俺はうわごとのように呟きながら泣き叫ぶ彼女を抱きしめる。

 まぶたをなくした目が俺の姿を見つめる。

 唇をなくした口がかすかに動く。声は出ない。しかし、「ごめん」と言いたいことだけがどういうわけかわかった。

 そして、彼女は俺の胸に顔をうずめる。

 俺の腕の中、俺の胸の中で彼女は動かなくなる。

 どうして謝るんだ。君は何も悪くないのに。


 俺は絢子であったものにすがって泣き続けた。

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