26 鳴り響く

 四日目、牛舎のクダンを切り抜けた俺たちにそれ以上危険な存在が襲いかかってくることはなかった。

 田んぼの先に不思議なものが踊っていることもなければ、電信柱の影に恐ろしい女性がひそんでいることもない。

 俺たちの本日の宿泊先は住宅街の中のごく普通の一軒家であった。

 表札には名前が書かれていない。

 いや正確に言うならば、えぐるように削り取られていた。


 【ほんじつはこちらでおとまりください】


 午後四時二七分。

 気味が悪いが、指示がある以上、ここで泊まったほうが良いだろう。


 ドアを開く。鍵はかかっていない。

 開けた瞬間に化け物が飛び出してくることもない。


 玄関で靴を脱いであがる。

 「おじゃまします」

 無人にも関わらず律儀に挨拶をする白田さんに相馬さんが吹き出した。


 家は4LDK、一階にリビングとダイニングキッチン、和室、二階はダブルベッドの置かれた夫婦の寝室らしき一部屋と子供部屋が二部屋。

 和室には空のガラスケースがぽつんと置いてあるのが不気味であったが、それ以外は綺麗なそして快適な家であった。

 比較的新しいのか、対面式のキッチン、大きな窓から明かりが差し込む。

 冷蔵庫の中にはちゃんと食材が入っていたし、それどころか、ケーキまで入っていた。


 洒落たコーヒーメーカーが人数分のコーヒーの入ったことを告げる。

 俺たちはダイニングにあるテーブルでコーヒーとケーキをいただくことにする。

 

 「ケーキにミミズが入っているとかないのよね?」

 モンブランを選んだ相馬さんが白田さんに確認する。

 この世界では当然確認しておくべきことだが、妙に笑いのツボに入ってしまった俺は吹き出してしまう。口の中が切れていてもケーキはいけるようだ。ほっとすると同時におかしくなった。

 憮然とした顔をする相馬さんを前に笑い続ける俺を絢子がつねる。


 「ごめんごめん。なんかツボに入った。恐ろしい世界なの、ここで平和にお茶していると忘れちゃうね」

 

 ◆◆◆


 平和が破られたのは夕飯のあとだった。

 リビングにある電話が鳴り響く。


 白田さんが出てはいけないと注意する。


 「たぶんね、メリーさんとかですよ。出ると最後、家までやってきます」

 メリーさんの話は俺たちも聞いたことがある有名な話だったから、すぐに思い出した。たぶん、和室の空のガラスケースが彼女がもといた場所なのだろう。


 「あれでしょ? わたし、メリーさん、いま、あなたの後ろにいるの、ってやつ」

 相馬さんが気味悪そうに言う。

 痛々しいあとは残っているが、濡らしたタオルで冷やしたせいもあって、腫れは大分ひいていた。

 白田さんがうなずく。


 「ぜってぇ出……」

 俺が言い終える前に全員のスマートフォンから突然けたたまく不快な音が鳴り響いた。

 驚いた相馬さんがちょうど手にしていたスマートフォンを取り落とす。

 地面に落ちないようにと手を伸ばした相馬さんの指が画面に触れてしまったのかもしれない。


 スピーカーフォンであるかのようにスマートフォンが喋りだす。


 「わたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの……」

 相馬さんが悲鳴とともにスマートフォンを放り投げた。


 「戸締まり!」

 絢子がすぐに叫ぶ。

 俺たちは一階、二階すべての窓の戸締まりを確認する。

 気休めにもならないが盛り塩もした。


 その間にもメリーさんからの電話はかかり続けてきた。

 たちの悪いことに二度目以降は、こちらが一切の操作をしなくても相馬さんのスマートフォンが喋りだすようになった。


 「わたしメリーさん。今コンビニ横の角にいるの」


 「わたしメリーさん。今、あなたの家の前にいるの」

 ドアノブを乱暴に回す音がする。

 俺たちは壁を背にして固まって息を殺す。


 「わたしメリーさん。どうしてドアを開けてくれないの? 今あなたのお家のお庭にいるわ」

 庭に面した大きな窓のカーテン越しに人影が見える。

 べたりと窓にはりついて中を覗き込もうとする人影。


 スマートフォンが鳴る。


 「わたしメリーさん。はやくお家に入れて」

 ドアをがんがんたたく音、窓をたたく音が一斉にする。

 

 俺たちのスマートフォンが一斉に喋りだした。

 「わたしメリーさん」「わたしメリーさん」「わたしメリーさん」「わたしメリーさん」


 それは夜が明けるまで続いた。 


 ◆◆◆


 朝になってからも俺たちは身を寄せ合って固まっていた。

 メリーさんからの電話はやんだが、一睡もできずに警戒を続けていた。


 カギを錠前に差し込む音、チェーンが切断される音。

 四人とも息を呑む。

 絢子が俺の腕にすがりついて目をつぶっていた。


 「おはようございます。本日のチェックアウトは……」

 憎たらしいブラックスーツの二人組の姿がこれほどまでに嬉しいものとなるとは思いもしなかった

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