24 ○○したら人面牛になっていた件、そして三人

 午前一〇時四八分。

 俺たちは旅館の前にいた。

 旅館の近くに都合よく転がっていたリヤカーに布団をしきつめ佐藤さんと瀬能さんを寝かせた。

 瀬能さんは話しかけ続ける絢子に礼を言うと「大丈夫、少し休ませてくれ」と目を閉じた。涙目の絢子の手を佐藤さんが握る。

 「あんたはいい子だよ。十分だ。桜子ちゃんに肩かしてやってな」


 リヤカーは俺と白田さんが交互に引く。

 引いていない方は後ろ手を縛った蒲田くんの見張り役だ。


 「ありがとう。ありがとう。ありがとうございます。

 置いていかれなかった蒲田くんは俺たちにしきりに礼を言うが、どうにも信用できない。

 しばらく前から白田さんも変わってしまったと感じることがあるし、俺はどうも人間不信に陥っているようだ。


 横を犬が駆け抜けていった。

 人っ子一人いない、このハリボテのような街を徘徊はいかいする犬。

 どう見ても怪異の類だろう。

 そして、その予想は外れない。外れてほしいのに外れない。


 犬が振り向いてにやっと笑う。

 犬であるのに、人の顔がついている。

 犬の首に植え込んだような中年男性の顔、無精髭と吹き出物でおおわれた脂ぎった顔は犬のように舌をだして人間のような唇をしめらせている。

 ハーハーと舌を出して荒い息を吐きながら彼は口を開く。


 「お前ら、クダンに会いに行けよ」

 

 人面犬は前足で自分の顔をなでた。

 吹き出物がつぶれてどろっとした中身がでる。

 すだれのようになっている寂しい前髪がはらりと落ちる。

 

 「クダンってあのクダンですか?」

 質問をする白田さんに「知らねぇよ」とだけ返事をすると、人面犬は走り去っていく。


 「クダンってなんですか?」

 俺が質問をする。


 「クダンというのはですね、人偏に牛と書きます。漢字自体はよく使いますよね。事件のケンです。さっきのが人面犬ならば、こちらは……」


 「人面牛?」

 白田さんは、俺の言ったことに、「その通り」と言って微笑む。

 このようなときは以前の気の良い先生っぽさがある。

 

 「そろそろ交代しましょう」

 白田さんはリヤカーをひきながら、説明を続ける。

 

 クダンの話は江戸時代あたりから伝わっているものだという。

 牛から生まれる人面牛身の怪物、ちょうどミノタウロスと正反対ということになる。

 このクダン、人面だけあって先ほどの人面犬同様、流暢りゅうちょうに喋る。それも未来のことを喋るのだそうだ。

 予言をおこなったクダンは「よってくだんのごとし」と締めて、死ぬ。

 クダンが自らの命と引き換えにするかのようにして人々に知らせる予言は百発百中の的中率を誇るという。


 「ただね、問題はクダンの予言は基本、悪いものなんですよ。白田に彼女ができる。よって件のごとし、バタリという風にならない」

 ずっと押し黙って歩いていた相馬さんが吹き出す。つられるように横で彼女を支えていた絢子も吹き出す。


 「……口、痛いからやめてよ、先生。でも、なんかありがとう。ちょっとおもしろかった」

 相馬さんが口を押さえる。


 「先生、彼女いないんなら、私なってあげようか、今、ちょっとひどい顔だから嫌かもしんないけど」

 相馬さんの言葉に白田さんの耳が真っ赤になる。

 ちょろいおっさんである。

 いや、ちょろいを通り越しておかしいのかもしれない。

 彼はありがとうを涙声で連呼していたからである。


 「白田さん、それは相馬さんもひいちゃうんじゃないんですか?」

 場を取りつくろおうとする俺の軽口に白田さんは顔をごしごしとこすってから振り向く。


 「本当にごめんね。なんだか色々と感極まっちゃいましたよ。でも、僕は冗談だってわかってますから、大丈夫ですよ」

 振り返った彼の泣き笑い顔の中で目だけが虚ろな光を宿して地面を見つめていた。いや、虚ろな光は俺のうがち過ぎかもしれない。

 基本的にこの人は善人のはずである。そう信じたい。


 昼過ぎ、佐藤さんがリヤカーを引く俺にかすれた声で告げる。

 「なぁ、瀬能が冷たくなった。重かったろう」

 かすれた声であったが、他の者にも聞こえたのだろう。

 誰かが息をのむ音がした。

 俺はゆっくりと立ち止まる。


 佐藤さんが瀬能さんの目を閉じているところだった。

 

 「多分、俺も長く保たないわ。本当にバカだよな、俺だけなら自業自得なんだが俺は底抜けのバカなんだろうな。こいつにも迷惑もかけちまった。桜子ちゃんもごめんな。綺麗な顔、腫れさせちゃってな」

 目元を拭う相馬さんを手招きした佐藤さんは彼女の手を握って何度も謝った。


 「みんな、ありがとうな」

 佐藤さんが苦しそうに咳き込む。

 「先生、ごめんな、ソープ連れてってやれねぇわ」と白田さんに謝り、「優しくて美人で惚れちまいそうだったぜ」と絢子の手を握り、「しっかり守れよ。お前にはもったいないくらいだぞ」と俺の股間を結構な力でつかんだ。

 そして、蒲田くんを手招きする。


 「蒲田よぉ、お前も辛かったろ」

 佐藤さんは蒲田くんの肩を抱いて首筋に自分の顔をのせた。

 穏やかな口調で話しかけられたはずの蒲田くんが絶叫して暴れ出す。


 「すまなかったなぁ、みんな。せめてもの罪滅ぼしといっちゃなんだがよ、このカスは俺と瀬能が地獄できっちり見張っておくからな。無事に帰れよ!」

 逃げようとする蒲田くんを羽交い締めにしながら佐藤さんが叫ぶ。叫ぶ彼の口は血で真っ赤に染まっているが、それは彼自身の血ではない。

 蒲田くんの爪が佐藤さんの顔をひっかく。目もひっかく。

 佐藤さんはかまわずに力を込める。


 「いやだ、誰か助けろよ、助けてよ、お願いします助けてください」

 蒲田くんが暴れながら泣き叫ぶが誰も動けなかった。

 佐藤さんはもう一度噛みつくとべっと何かを吐き出した。

 血塗れの皮と肉片だった。

 佐藤さんの顔をひっかこうとしていた手が首筋に当てられる。

 指の間からとめどなく血が流れ出る。

 「蒲田、おめぇ、不味いな」

 佐藤さんは笑うとさらに首筋に歯を立てる。俺は飛び出そうとする絢子の手を握った。もう間に合わない。


 蒲田くんがリヤカーをゆらす動きをやめると、佐藤さんは血塗れの顔でニヤリと笑う。


 「さすがにこの体だと疲れるわな。俺はちょっと寝させてもらうわ」

 

 四日目午後〇時三九分。


 目を閉じた佐藤さんが起きることはなかった。


 残り四名。

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