23 万能薬
「本日のチェックアウトは午前一一時となっております」
自分の血と返り血で汚れたブラックスーツの二人組が抑揚のない口調で告げる。
片方は首を刺されて死にそうになっていたはずなのに、傷ひとつなかった。
それを聞いている俺たちのほうは無茶苦茶であった。
佐藤さんも瀬能さんも拳銃で胴を撃たれている。
どちらも即死こそしていないが、重傷である。
放っておけば間違いなく二人とも死んでしまうであろう。
特に瀬能さんは意識をうしなう寸前だ。
撃たれこそしなかったものの、相馬さんも顔に裂傷を負っている。
鼻も折れたのだろう。血がしたたる鼻を押さえながら、口を大きくあけてうめいている。
俺と絢子と白田さんは手分けして止血をしようとする。
バスタオルも浴衣を割いたものもすぐに糊のようなべたりとした血に染まった。
手がぬめる。
ブラックスーツの二人組は立ち去ることなく、無言でこちらに視線をよこしている。いや、視線と言って良いのだろうか。あのサングラスの下には眼孔すらないのだ。彼らはこちらにサングラスを向けてただ立っている。
「その薬をいただけませんか? このままじゃ、佐藤さんも瀬能さんも死んじゃう」
絢子が血に染まった手で顔を拭いながら、ブラックスーツの二人組に懇願した。
「このシリンジの中の薬は万能薬です。死ぬような事態になっても生き残る。その効果は皆様がご覧になったとおりです」
二人組の片割れが言う。
そこにもう一人が被せるように続ける。
「本日皆様が必要になるのでお持ちしたものです。緊急事態が生じて予備をこちらで使用してしまったので、皆様に差し上げられるのは一本だけとなります」
差し出したシリンジを受け取ったのは白田さんだった。
「必要というのは、本日、僕らに襲いかかるであろう怪異から身を守るために必要ということですよね?」
ジャケットの胸ポケットにシリンジをしまい込みながら白田さんが問う。
ブラックスーツの二人組は答えることなく、部屋を去っていく。
「白田さん、でもその薬を使わないと……」
問いかける絢子に白田さんが尋ね返す。
「では、瀬能さんと佐藤さん、どちらに使うのですか? 薬は一つ。放っておけばおそらく死んでしまうであろう人間は二人、そして、これなしだと本日死ぬであろう人間は私たち全員七名。あなたはどうしたいんですか、西田絢子さん?」
嫌なトロッコ問題だ。
俺は目に涙を浮かべる絢子を抱き寄せる。
「そんな言い方しなくても良いでしょう。わからないことだらけの、このクソッタレな世界にあって普段どおりの優しさを発揮できる人を責めて、何かメリットがあるんですか?」
俺の言葉に白田さんが「そのとおりですね。言い過ぎました」と頭を下げる。そして、絢子に許しを請う。
そのうえで佐藤さんに呼びかけた。
「佐藤さん、ごめんなさい。この薬を今すぐあなたたちに使ってあげることはできないし、本日薬を温存できたとしてもあなたと瀬能さん、どちらかを選ばないといけなくなりそうです」
「ああ、かまわねぇよ。俺が下手打っちまっただけだしな。ただ、置いていかないでくれると助かる。俺も瀬能もどうも一人で歩くのはしんどそうだ」
佐藤さんが咳き込む。
血と痰のようなものを吐き出す。
佐藤さん、瀬能さんだけでなく、相馬さんもまた手を貸さないと歩けなさそうだった。
こちらは傷というより精神的なショックのせいだろう。
縛って転がしてある蒲田くんは、俺たち、とりわけ佐藤さんと瀬能さんに恨みを抱いているだろう。
こちらに来る前に彼がやったということを思い出すと、なおさらに放っておけない。
とりあえず柱に縛り付けておく。
絢子に見張りを頼んで、その間に佐藤さんから階下に連れて行く。
佐藤さんと相馬さんは肩を貸せばまだ歩ける。
白田さんと俺で二往復する。
問題は瀬能さんだった。
「ここで寝ていてもらったほうが良くないですか?」
白田さんの言葉を否定することは難しい。
外に連れ出しても彼は助からないだろう。
かといって、このまま残していけば、彼を「地獄」とやらに連れて行くためにどのような化け物が出てくるかわからない。
外に連れ出して、傷の痛みに耐えながらゆっくりと死を迎える。
あるいはここに放置して化け物にとり殺される。
どちらが正しいかはわからないが、放置していって彼の断末魔の叫びを聞くことになるのは、どうにも嫌であった。
「いや連れていきましょう。瀬能さんもそれでいいですよね」
瀬能さんが苦しそうにうなずく。俺たちは彼になるべく話しかけるようにしていた。苦しいかもしれないが、ここで意識をうしなってしまったら、もう目を覚まさないと確信しているからだ。しかし……そのほうが案外幸せなのではないか。
外で見つけてきたステンレス製の物干し竿と布団を使って担架めいたものを作って、それに瀬能さんを乗せる。
絢子にも手伝ってもらって、三人がかりで持ち上げる。
「おい! 僕を置いていかないでよっ! もどってくるんだろ! ねぇ、置いていかないでよ!」
蒲田くんが半狂乱になって叫ぶ。
「うるせぇ、黙ってろ」
俺は彼を置いていくほど非道な人間ではない。
しかし、今すぐに彼を安心させてやるほど親切な人間でもなかった。
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