17 昼のアパート、九名

 俺たちはゆっくりと歩く。

 佐藤さんと彼の周囲を囲むように歩く人たち――その多くが佐藤さんの車強奪と力ずくでの脱出に賛同している人だ――が先を進む。

 五つの影の後ろからついていくのが、俺たち四名。俺と絢子、白田さんに蒲田くんである。


 アパートの近くに差し掛かったときのことである。

 前方の一人が何かを見つけたらしく駆けていく。

 彼はアパートの前の壁に貼られた貼り紙を剥がして戻ってくる。


 【おつかれならばごじゆうにきゅうけいできます。しゃわーあります。けいしょくのみものあります。二〇三ごうしつ】


 そのような貼り紙をひらひらさせながら、彼は上に行こうという。


 「確かに疲れたといえば疲れたよな」

 佐藤さんが言う。

 

 「汗かいて体べたべたするし、シャワーあるなら使いたいわ」

 相馬さんという若い女性が手で自身の体をあおぎながら言う。亜麻色とでもいうのだろうか、柔らかな薄い茶色に染めた長い髪の下の瓜実顔の下にはやや大きめの整った目鼻口がついている。メイク前提なのか眉などはうすいが、フルメイクしたらとてもきれいになるだろう。絢子とはまた違ったタイプの美人である。


 「暑い時に冷えたビール良いじゃないか」

 佐藤さんに賛同した男性二人のうち一人、隅田さんの言葉にもう片方、瀬能さんも賛同する。二人とも若くて、どちらかというと佐藤さんに近いにおいを漂わせた人たちだ。

 

 安全に休憩できるのならば、それに越したことはない。

 俺と絢子は白田さんのほうを見るが、彼は首をすくめるだけだった。


 「判断材料がありません」


 白田さんの言葉に続けるようにチラシをもってきた青年が言う。

 

 「じゃあ、やすもうぜ」


 コーポタイプのアパートの階段をあがる。

 一階に三部屋、二階に三部屋、二〇三は二階の一番奥の部屋になる。

 友人にもこの手のアパートに下宿をしているやつは多い。

 中はたいてい2DK、リフォーム済みだと1DK、どちらにせよ九名だと明らかに手狭な間取りだ。

 

 佐藤さんが扉を開ける。

 警戒をしながら、佐藤さんと隅田さん、瀬能さんの強面三名が先に入る。彼らの後につられるように相馬さんも中に入る。


 白田さんと絢子、蒲田くん、俺の四名も玄関から中をのぞきこむ。

 1DK、奥はもともと二部屋であったものをぶち抜いて一部屋にリフォームしているようだ。

 床も畳ではなくフローリング。右奥は大きめのクローゼットがしつらえてある。

 住人は布団ではなくベッド生活を好むようで、クローゼットと反対側に簡素なベッドを置いていた。


 「一応靴脱いたほうが良いのかな?」

 絢子がこちらを向いてたずねる。

 先に入った四名は皆土足だった。

 彼らを指さしながら「あれだし。いいんじゃない」と告げる。

 絢子は誰に向けてなのかわからないが、「ごめんなさい」と告げて靴を脱がずに中に上がる。


 「お、まじでビールあるぜ」

 佐藤さんがキッチンの隅の小さな冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出す。

 

 「うわ、うめぇ」

 プシュッという音をさせて、隅田さんと瀬能さんがビールを喉に流し込んでいる。


 三五〇ミリリットル缶を一息で流し込んだ隅田さんが床に転がる。

 

 「おい、こんなところで光っているものが……」

 ベッドの下をのぞきこんで言う隅田さんの言葉に俺たちは身構える。


 「これだぁー」

 ベッドの下からビデオカメラを取り出しながら、大声をあげる隅田さん。

 ビデオカメラを突きつけられた俺は思わず「ひっ」という間抜けな悲鳴ともうめきともつかぬものをあげて、顔をそむけてしまう。

 恥ずかしさと怒りで俺の顔はかっと熱くなる。


 「おい、やめとけよ」

 佐藤さんは一応たしなめてはくれる。

 俺は舌打ちこそしなかったものの、部屋の中で転がる隅田さんから距離をとって玄関近くまで戻る。


 「ごめんごめん、そんなに怖がらせるつもりはなかったんだって」

 隅田さんはにやけながらビデオをいじくっている。

 

 「お、これ録画中じゃん。盗撮? 俺たち盗撮されちゃうの? 桜子ちゃん、絢子ちゃん、着替えとシャワーシーンいっておこうか!」

 隅田さんが下卑た笑い声をあげて、相馬さんと絢子に声をかけるとビデオをかまえる。


 「さぁ、どんなお宝シーンが中に映っているのでしょうか……」

 そう言いながらビデオカメラをテレビにつなぐ。


 映し出されたものは、この不気味な世界にふさわしいやばい代物のようだ。

 誰もいない部屋に最初に入ってきた最初の被写体が刃物を持った男、それも紙袋を頭にかぶった男だったからである。

 彼は刃物片手に部屋の中をうろうろする。

 家探しをしていること、そして家探ししながら彼が鼻歌を歌いながら集めているものが女性ものの下着であることからも、彼がこの部屋の住人でないことは明らかであった。

 しばらくして外が騒がしくなる。

 男はクローゼットにいそいそと隠れる。

 数名が部屋の中に入ってくる。

 「お、まじでビールあるぜ」

 「うわ、うめぇ」

 「おい、こんなところで光っているものが……」

 「これだぁー」

 ドアップの俺の顔。

 そして、ビデオは終わった。


 後ろで誰かが階段を駆け下りていった音がした。

 白田さんが真っ先に逃走していた。

 

 部屋の隅から紙袋頭の男が飛び出てくると隅田さんに飛びかかった。

 部屋の中で転がるようにしてビデオを見ていた彼に馬乗りになった男が刃物をふりかざす。


 先に逃げた白田さん以外の六名も隅田さんを見捨てて逃げ出した。正確に言えば、絢子は隅田さんを助けようとしたのだが、俺が強引に連れ去る形で逃げることになった。

 背後で扉が閉まる音、カギのかかる音がした。


 「どうやら追ってこないみたいだ」

 コーポの敷地の外で肩で息をする俺、佐藤さんが点呼を取る。

 

 「瀬能、桜子、先生、帰山、西田、蒲田、最後に俺。隅田以外全員いるな」

 俺たちはうなずく。

 しかし、何かがおかしいような気がした。


 「そういえば、ここに入るとき、誰かもう一人いませんでしたか?」

 白田さんの疑問が俺たちの背筋を冷やす。


 確かにそうだ。九名いたはずだった。

 しかし、誰も彼の顔も名前も思い出せないのだ。


 「気がつくと、一人多い。怪談によくあるモチーフですね。部屋の中にストーカーあるいは殺人鬼が残っていることがビデオを再生していくうちにわかるというのも、ネットロアに類似のものがあったはずです」

 どうしてもう少しはやく指摘してくれなかったのかと問いたかったが、誰もそれをすることはできなかった。

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