16 田んぼの奥の深淵

 「結局、その解決策ってのはどうだったんだよ?」


 佐藤さんの問いかけに白田さんは目を伏せて一瞬固まる。

 「解決策、うん、解決策ですね。しっかりと聞き出すことができましたよ。その解決策なんですが……」

 白田さんはここで「あー」だ「うー」だと母音を撒き散らしながら口ごもる。


 「なんだ? 先生、生け贄の儀式でもやれとか全員殺せとでも言われたのか?」

 佐藤さんが笑う。

 白田さんはぶるぶると首を横にふって話を続ける。


 「あと七回朝を迎えられれば、私たちは助かるのだそうです」

 相変わらずところどころで母音を撒き散らしながら彼はこう答えた。

 白田さんが試みたのは、質問に答えてくれる怪異を呼び出して、それに脱出方法を聞くというものであった。

 緑川さんの瞳に写ったあの不気味な少年の姿をした何かがそれだったのだろう。

 そして、その怪異が教えてくれた脱出方法というのあと七日生き残れというものであったらしい。


 「七回朝を迎えるといっても二日で十分の一ですよ、それまで生き残れるんですかね」

 蒲田君が言う。彼は俺より一つ年下、絢子と同い年だ。


 「そこは知識で乗り切るんですよ」

 白田さんが両手をふって、しかし目は誰とも合わさずに力説する。

 怪異には逃れる方法が示されているものがほとんどである。

 実際にこれまでの怪異は対処法を知っていれば、すんでのところでかわせたものである。

 だから対処法を間違えないように注意深く落ち着いていれば大丈夫であると。


 「俺はそれより手っ取り早くあいつらふんじばって、泣くまでいたぶってここから脱出する方法を聞くのが良いと思うけどな」

 佐藤さんの言葉にも一理ある。

 二日で約一〇〇名が一〇名になったのだ。

 もう二日経って一〇名が一名、さらに二日後には最後の一名の頭部だけなどとなる可能性は大いにありうる。


 皆、どちらが良いのか、考えているようだ。

 どちらにも確実性はない。

 皆がおしだまっているのは、それがわかっているからだろう。


 頬を撫でる爽やかな風がふたたび熱気と湿気を帯びてきた。

 動物の吐息のような生暖かい風が俺の頬を舐め回す。


 「あっちぃーなぁー」

 前を歩く清水さんというアラサーサラリーマン風の男性が頬をかく。

 その隣を進む隅田さんというえらくガタイのいい男性はそれに答えず「おい」とだけ言って腕をあげた。

 まくりあげられたシャツの袖から血管が浮き出たごつごつとしたたくましい腕が指し示す先は田んぼであった。


 田んぼの先で人のようなものが動いている。


 「なんか、いるな」

 「ああ、このクソ暑いのに全身タイツ着て踊ってんのか?」

 「先生、いかれたやつがいるけど、あれはなんだよ?」


 「えっ? どこ? どこですか?」

 自分で動くことができなくなった真田さんをおぶいながら歩いていた白田さんはうつむきながら聞き返す。


 「ほら! あそこですよ。あっちのほう」

 俺は手をかざしながら、指差す。

 相変わらず生暖かい吐息のような風が俺の頬をなでまわしている。


 まぶしく照らす光をさえぎったおかげで、少し輪郭がはっきりしてくる。


 人なのだろうか。人でないのだろうか。

 白くくねくねとうねるものはモヤのようでもあり、風に吹かれて揺れるカカシのようでもあった。

 くねくねとした動きが加速する。

 加速はしたものの、その動きは分割したコマのいくつかを抜いた上で早回ししているような奇妙な動きであった。

 

 奇妙な高速のコマ回しがこちらに手をふる。

 距離はかわっていないはずなののにりんかくがはっきりしてくる。

 ああ、これは知っている。

 認識してはいけないやつだ。


 昔、部室でわいわい言いながら怖い話を集めたうぇぶさいとをあさっていたときによんだやつだ。

 しろいのがはっきりとしてくる。

 かおだ。かおがみえてきた。てもみえる。はっきりとしてくる。

 おれはいろいろわかりかけてきたこのせかいがどのようなものであるかがみえてくる。くねくねとうごくすがたがおれにてをふるおれはてをふりかえすかおがちかづいてくるわーぷするかのようにちかづいてくるはっきりとしたかおがせんめいになってくるめのおくにすこしずつしろいかおがしろいてがしろいめがくねくねくねくねとおれは……。


 ほおにいたみがはしる。

 肩をゆすぶられる。

 声が遠くから聞こえる。


 「ねぇ! しっかりして! 駄目! 行かないで!」

 俺の肩にしがみつくようにして揺さぶる絢子の頭が見えた。

 このようなときでも艶のある綺麗な黒髪を撫でる。

 

 俺は頭を振る。


 真田さんが白田さんを振り切って走るところだった。

 反射的に俺は彼女の足を捕まえようとする。

 かすかにかかった手はすぐにほどけてしまう。


 「ほらみえないのてをふっているのよわたしたちをよんでいるのよみえたらわかるのほらとてもきもちがいいのからだがかるいのぉぉおせかいはまっかにかがやいているのわたしはかがやくあかいたんぼでおどりつづけるの」

 真田さんは遠ざかっていくのに声だけが鮮明に聞こえる。何を言っているのかわからない声だけが聞こえる。


 あのようなスタイルでどうして彼女は走れる、いや高速で動けるのだろうか。

 真田さんはすごい勢いで匍匐前進していたかと思うと、その姿勢からエビがはねるように飛ぶ。

 田んぼの中に着水するとそのまま稲を押しつぶしながら、四肢をでたらめに動かしながら去っていった。


 真田さんの少し先にはこれまた四肢をでたらめに動かしながら飛び跳ねる清水さんの姿があった。


 「認識したら深淵に連れて行かれますよ!」


 このときになってはじめて白田さんの鋭い注意が聞こえた。

 遅い、今となっては遅すぎる注意だった。


 田んぼの向こうに霧がかかる。

 白いなにかと魅入られた二人が霧につつまれていく。


 多分、霧が晴れた時、あたりには何もいなくなっているだろう。

 あの二人も当然戻ってこない。


 真田さんと清水さんが田んぼの奥に消えていってしばらくして佐藤さんがぼそっとつぶやいた。

 

 「なぁ、先生? 対処法って言ってたけどさ、そんなにうまくいくもんかね」

 

 「でも、僕たちは今、ここで生きていますよ」

 白田さんは目を伏せながら答える。


 俺ですら思い出すような有名な怪異だ。

 彼はもっとはやく、いや出現前から気づけたのではないだろうか。

 角がたたないようにする聞き方は思いつかず、俺はその疑問を飲み込まざるえなかった。

 

 三日目午前一一時五七分。

 残り八名。

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