15 公衆電話と見るなの禁忌

 午前一〇時二三分。

 しばらく前に「チェックアウト」した俺たち一二名は再び貼り紙の案内通りに農道を歩いていた。

 夜はうるさく鳴いていたカエルの泣き声も今はしない。

 高く上った日が俺たちを汗ばませる。


 朝、ブラックスーツの二人組を捕まえてやろうという計画を開陳していた佐藤さんも静かに歩いている。


 「昔、こういうところでザリガニを釣ったよなぁ」

 幸田さんという名前とは裏腹に幸薄そうな顔をした中年男性が遠い目で田んぼを見やる。


 「ザリガニを釣ってた頃が一番幸せで、それからどんどんつまらないことばかりで……今じゃ、この意味不明な場所で子どものころ心底怖がっていた話に本当に殺されかける。俺は一体何をしたんだろうなぁ」

 俺たちは人に恨まれたから、ここにいるらしい。

 俺たちを地獄に落としてやりたいぐらいに恨んだ人がいるから、俺たちはここにいる。

 幸田さんがどれほど善良な人かどうかわからない。

 ものすごい偏見で申し訳ないが、佐藤さんは人に恨まれることが大変多そうだ。

 俺だって善人ではない。犯罪に手を染めているわけでもないし、いじめをしたこともない。とはいえ、誰かに冷たく当たったこともあるかもしれないし、他人を不快にさせたこともあるだろう。悪人と善人の境界がどこにあるのかはわからないが、自分を善人と言う自信はない。

 しかし、絢子あやこは違うだろう。彼女はどう考えても善人側だ。

 俺はどうして彼女がここにいるのか、よくわからなかった。


 しばらく歩くと農道の脇に場違いなものを見つけた。

 電話ボックスである。

 中に緑のダイヤル式電話機、四面を透明の壁で囲われている小さな箱。

 小学生の頃、キッズ携帯を持たされる前に使ったことがあったが、今では視界に入っても認識すらできないような影の薄い存在だ。

 

 「ピンク広告の代わりに気持ち悪い札が貼られまくってるぞ、これ」

 佐藤さんが気味悪そうに言う。

 ぐにゃぐにゃとして気持ち悪い――実際に見続けていると気分が悪くなってくる文字列の並ぶ御札が並んでいる。たまに識別できる電話番号らしきものが文字列の中に入っているが、かけたいという気持ちには決してならない。


 読めない文字の書かれた御札に混じって目立つ貼り紙が一枚あった。


 【ごじゆうにおつかいください】


 「なぁ、先生、これ危ないやつだろ?」

 

 問われた白田さんは首を横にふる。


 「まったく危険じゃないと言ったら嘘になりますが、使いようによっては……私、これを使ってみようと思うんですよ」

 そう言うと、白田さんはポケットから一〇円玉と携帯電話を取り出した。


 「僕、これから電話をかけます。電話をかけたあとは最後尾を歩いていきます。僕、携帯電話で話しはじめると思いますが、皆さん決して振り返らないでください」

 終わったらこちらから声をかけますから、それまでは決して振り返らないでくださいと白田さんが念押しする。


 「押すなって言われると押したくなるし、見るなって言われると見たくなる。小学生の頃とか、非常ベル押すなって言われたから押した経験あるだろ?」

 そのようなことをするのは佐藤さんぐらいだと思う。


 「そうなんですよ。でも神話も昔話も、見るなと言われたものを見てろくな結末になりません。見るなの禁忌という一つの話型なんですよ。だから絶対ふりかえっちゃいけませんよ」

 本当にどう説明すれば良いんですかねとぼやきながら白田さんが答える。

 確かに注意されなければふりかえってしまいそうだし、注意されたらされたで佐藤さんみたいな人が出てくる。


 「それはわかったんだけどさ」

 緑川さんという女性がスマートフォンを確認して「そもそもアンテナ立ってないけど」と言う。くりくりとした大きな目が印象的な女性だ。年の頃はおそらく白田さんと俺たちのちょうど中間くらいだろう。

 目力の強い彼女の見つめられた白田さんが挙動不審になる。結局、彼は彼女から目をそらしながらにっと笑うという器用なことをする。ポケットからスマートフォンを取り出して斜め下を向きながらそれを見せる。


 「僕の電話もですよ。でも、大丈夫。僕の考えでは使えると思います」


 電話ボックスに入る前に白田さんが手を振る。

 「これが僕の言っていた解決策ってやつですよ」

 そして、ダイヤルを押しながら、先にいけとジェスチャーを送ってきた。


 俺たちは白田さんを置いて歩き始める。

 後ろで電話の呼出音が聞こえてくる。

 白田さんは何かを呼び出したらしい。


 背中がじとっと湿っているのは日差しのせいではない。

 後ろから誰かに吐息をふきかけられるような気持ち悪さがする。

 俺だけではないようだ。

 前を歩く人たちも首をすくめたり、首筋を触ったりしている。

 俺からは何も見えないが、何かが彼らにも吐息をふきかけているのだろうか。


 呼び出し音と短いやりとりが八回。

 九回目のやりとりで白田さんが小声で話をはじめた。


 背後にまとわりつく気持ち悪い気配が増す。

 首筋をなめられるような感覚、生臭く熱い吐息が首筋から耳、耳から鼻へと流れてくる。

 

 耐えきれなかったのだろう。

 俺と絢子のすぐ前を歩いていた緑川さんが振り返ってしまう。

 

 眼尻が避けんばかりに彼女は目を見開く。印象的な大きな目がさらに大きくなる。

 俺は彼女の瞳に写った恐怖の感情、その原因を見てしまう。

 彼女は声をあげようとするが、彼女の周囲だけは音が消されたかのようで何も聞こえない。


 次の瞬間、彼女が転ぶ。すごい勢いで引きずられていく。

 反射的に振り返ろうとする絢子を抱きしめる。


 「見るなの禁忌って説明したでしょう。何をやっているんですか……」

 白田さんが呆れたように言う。先ほど緑川さんと目を合わせられずにおどおどしていた白田さんではなかった。彼は誰かが振り返ることを当然のことであるかのように冷静であった。

 

 緑川さん、そして彼女が引きずられていくのに反応して振り返ってしまったらしい幸田さんがいなくなっていた。


 残り十名。


 緑川さんの瞳の中ににスマートフォンを持った小柄な少年、瞳のない黄色い目を光らせた人ならぬ少年が笑っている姿が見えたことは誰にも言えなかった。言ったところでもう引きずられていった人たちは戻ってこない。

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