13 盛り塩、髪の毛、爪の痕
建物は古いながらも清潔であった。
相変わらず人の気配は一切しないが、塵もホコリもなく、まるで俺たちが来る直前に清掃でもしたかのようであった。
縁側があり、外には生け垣で囲まれた小さな庭がある。
「結構、歩いたもんだな」
佐藤さんが縁側で背伸びをしながら言う。彼は手をかざしながら、生け垣の外を眺めている。つられるように俺も背伸びして外を見やる。
生け垣の向こうには俺たちが歩いてきた路が見える。
誰もいない路、他のグループと再会した十字路。そこからも結構歩いたようだ。
見通しが良いにもかかわらず設置されたカーブミラーが小さく見える。
ぬるい風が頬をなでる。
風鈴がちりんと揺れた。
生暖かい夕方、枝豆でもあったら、ビール片手にここでのんびりと夕涼みをしたいものだ。スイカでも良い。縁側に座ってスイカでもかじりながら外を眺める。なんだか名作映画みたいではないか。原節子にも劣らぬ美人がそばにいるとかいうと絢子は目が悪いんじゃないのと笑うだろう。
妄想の中に入ろうとしていた俺を引き戻したのは、縁側にいた情緒のなさそうな少年の声だった。
「なぁ、まだ無事だったやつがいたみたいだぞ」
正木という高校生が立ち上がって手をふった。
長髪イコール不良とか言うつもりはないが、彼とその友人はいかにも不良的な長髪高校生だった。かなり金髪よりの茶色に染めた髪の毛をかきあげると、耳たぶと軟骨に無数につけられたピアスがのぞいた。
俺は手をかざすと正木たちの指差す方向を眺める。
十字路の向こうからに白いワンピースの女性が歩いているのが見えた。
白いワンピースが風にはためき、足が見えた。
「なんかエロいな」
正木とその友だちが喜んでいる。
彼女は帽子のツバに手をかけると、こちらにゆっくりと手をふった。
清楚な白いワンピースに見えて、案外胸元が大胆なカットである。
俺はついつい胸元に目がいってしまう。
正木たちを笑えない。
「おーい、こっちだー」
「暗くなる前にこいよー」
正木たちが叫ぶ。
何かがおかしい。
やけに彼女の輪郭がはっきりしている。
俺はどうして彼女の胸元をしっかりと観察できているのだろう。
「なぁ……なんか縮尺狂ってねぇか?」
佐藤さんがツバを飲み込む音が聞こえる。
女性はカーブミラーに手をついている。
カーブミラーより手前にいるわけでないのに、カーブミラーとかわらないくらいの背丈に見えるのだ。
「狂ってませんよ。あれは八尺様ってネット時代の新しい怪異ですよ」
いつの間にか塩の袋をもった白田さんが後ろに立っていた。
「ぽぽぽぽぽぽぽ」
手をふる大女が奇妙な声をあげた。
あれはこの家の近くで聞いたやつか。
「夕涼みは終わりです」
白田さんが皆に戸締まりをうながす。
昨日出会った時は頼りなさげで、なおかつコミュニケーション能力に難のある奇人といった印象だったが、色々と吹っ切れたかのようにてきぱきと指示をしていた。
雨戸を閉める。
カギをかける。
小皿に準備した盛り塩を屋外と接するところ、寝室として使う部屋の四隅に置く。
「たぶん、これで今晩は大丈夫なはずです。当たり前ですけど、朝までは外に出ないでください。それ以外はおそらく問題ないと思います。食事をして、風呂に交代で入りましょう」
白田さんが皆に告げる。
「塩、だいぶん使ってしまったので、今晩は減塩食ですね」という彼の冗談はまったく受けていなかった。
ただ、少し不器用で話し下手な彼の姿にどういうわけか俺は安心した。
午後六時一六分。
まだ外は暗くなっていないはずだが、雨戸までしてしまうと真っ暗になってしまう。電気をつけなければ何も見えない。
冷蔵庫に大量の肉と野菜が入っていた。
人をもてなすような家(という設定)なのだろう。
カセットコンロと大鍋も複数あったので、寄せ鍋を作った。
「暑い時に鍋なんてって思ったけど、温かいものを食べると元気が出るね」
絢子が俺に言う。
彼女は一人では食べることすらままならない真田さんの世話をしている。
自分の彼女だという
俺は白菜と鶏肉を口の中に放り込みながら考える。
なにかの間違いで、突然神様みたいなのがあらわれて彼女を救ってはくれないだろうか。
「これおいしいね」
「何鍋が好き?」
「ビールもういっぱいいります?」
外に危険が存在する非日常空間にも関わらず、当たり障りのない会話がぽつぽつと続いた。
だが、それも程なくしてなくなり、俺たちは無言で鍋をつついた。
その後、俺たちは交代で風呂に入った。
風呂はこれまた小さな民宿でもやれるのかというぐらいに広かった。とはいえ、男女別に二つの風呂があるというものでもなかったので、男女で入る時間を決めて数名ずつ入った。
やんちゃな高校生二人組がのぞきについて話し合っていたが、外に出られないだろと佐藤さんに一喝されると静かになった。
いくらやんちゃであっても、絵柄が入っている人は怖いようだ。
そして、俺たちは布団をしき、就寝した。
疲れていたのか、すぐに寝息やいびきが聞こえてきた。
俺の意識も少しずつ遠のいていく。
◆◆◆
「えーえーテスト、テスト、マイクのテスト」「本日は晴天なり」
スピーカーから出る割れた音声で俺は目を覚ました。
「無事に日の出を迎えました。今回の特殊刑は終了です」
「皆様におかれましては無事に生還されたことを大変よろこばしく思い、祝福のことばを贈りたく思います」
「オメデトウ」「オメデトウ」
ブラックスーツの二人組らしき声が外からした。
「えっ? まじ? 結構あっけなかったじゃん?」
正木とその友人が歓声をあげ、玄関に走っていく。
立ち上がろうとする俺の足を白田さんがぐっとつかんだ。
彼は無言で首を左右にふる。
玄関の引き戸を開ける音がする。
「あっ? 暗くねぇ?」
「えっ!? やべっ!」
そして、一瞬、短い悲鳴が聞こえた。
白田さんが手をゆるめた。
「もう大丈夫だと思いますが、日が昇るまで待ちましょうか」
スマートフォンを触る。
午前三時三九分。
日の出など迎えていなかった。
本当の日の出の時刻――おそらく五時すぎれば大丈夫だろう――を待ってから玄関の方に向かう。
外がしらんできている。
開け放たれた玄関の先には誰もいなかった。
地面に
赤黒い血の筋と、地面にのこる爪痕は引きずられていったことを示す。血の筋と爪痕の途中に剥がれ落ちた爪がいくつか落ちていた。
俺は恐る恐る髪の毛を拾い上げる。
安いカラーリングで傷んだ、金髪に近い茶色い髪の毛。
持ち上げると髪の毛の先に剥がれ落ちた頭皮らしきものがべたりとぶらさがった。
今になってネットで読んだ怖い話を思い出す。
彼女は声帯模写が可能だということ。
犠牲者が出るのは数年おきであること。
そして、元のネタが怪異の活動が続いているかのような、つまり逃げ切れていないことを匂わせるように終わっていること。
つまり、犠牲者が出れば長期間活動を停止するが、犠牲者が出ない限り活動をし続けるとも解釈することができる。
暇つぶしにちらっと読んだ俺ですら覚えているのだから、白田さんは当然気づいていたのではないだろうか。
「白田さん、さっき、何が起こるかわかっていたんじゃありませんか?」
彼は答えずにつぶやいた。
「こういうフェイント……彼女は
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