05 ハンバーガーこわい

 俺たちが公園を出た直後に防災無線が再び鳴り響いた。

 耳障りな警告音のあとに間延びした声が公園の閉鎖を告げる。

 

「残り五分で公園が閉鎖されます。残っている方は速やかに公園外に避難してください」


 公園に残って残っていた人の大半も「残り五分」という文句で慌てて俺たちに合流した。

 それでも残念なことに全員が公園から退避したわけではなかった。公園のほうから聞こえてくる絶叫が残ることを選択してしまった人の存在を教えてくれた。

 俺は絢子の頭を胸に押し当てる。残ってしまった人々の泣き叫ぶ声から少しでも彼女の耳を守りたかったのだ。


 スマートフォンを取り出す。


 午前一時一三分。


 俺たちが公園で目覚めてからせいぜい一時間程度しか経っていない。

 それなのに今周囲には高校の一クラスより少し多いぐらいの人しか残っていない。

 俺たちの数はすでに半数近くにまで減っていた。


 明かりをともした街灯にそって進むように告げた後、防災無線は沈黙する。


 あたりからはすすり泣きとひそひそとしたささやきしか聞こえてこない。これを行進曲として進んだ俺たちがたどり着いたのは学校だった。

 小学校であることはグラウンドの遊具からわかる。

 また、校門横の学校名を記した銘板に小学校という文字も記載されている。しかし、校名についてはぐにゃりと歪んだ判読不可能な文字で描かれている。奇妙な文字列は長く見ているとめまいがしてきそうである。俺はすっと目をそらす。


 校舎は真っ暗である。

 しかし、校舎の横にたつ体育館から煌々こうこうとした明かりがもれていた。

 おそらくこちらに入れということなのだろう。

 俺たちは明かりに向かう蛾のようにふらふらと体育館に吸い寄せられていった。


 扉は開け放たれている。 

 体育館の中には段ボール箱が大量に積まれていた。

 「しょくりょう」「みず」「にちじょうひん」「さけ」と大きく書かれている。


 明かり、避難所めいた場所、それに物資の存在は俺たちの緊張を少しだけではあるが解きほぐした。

 段ボール箱を確かめようとする一部の者以外は中に入ると糸のきれた操り人形のようにその場に座り込んだ。

 俺と絢子もその例にもれず、中にしかれたブルーシートの上に座り込む。


 そのとき俺の腹が鳴った。

 俺だけではない。たくさんの人の腹が一斉に鳴った。

 絢子も顔を赤らめている。


 最後の食事はいつのことだかまったく記憶にないが、食事をしないことには動けなくなりそうだった。

 段ボール箱をあけた男が「量は十分だ」と言って、分配を始める。

 ペットボトルと乾パン、どういうわけか大量のハンバーガーとこれまた大量の酒まであった。包み紙の下に隠されたバンズと肉を想像する。口の中にツバがわく。あれにかぶりついて水を飲んでとりあえず転がってしまいたい。酒もあるのならば、それもあおって寝てしまいたい。ビールの缶をあける音が俺を誘惑する。


 しかし、ハンバーガーのつつみを開けようとする人に白田さんがやめたほうが良いと言っている。

 彼が詳しい説明をしようと頭をかきむしっていると、誰かが叫んだ。

 

 「おい、電子レンジまであるぜ」

 

 ハンバーガーを電子レンジで温めたらたしかに美味しそうだ。

 乾パンみたいな味気のない食事よりも温かいもののほうがどれほど力をつけてくれることか。口の中に湧き続けるツバはとまらない。

 電子レンジに並ぶ人を見る俺のそでを白田さんが引っ張る。


 「これについては確信はもてないし、引き当ててしまったとしても命にかかわるものでもない可能性が高いわけです。デメリットが命にかかわるものでない以上、味気ない乾パンよりもレトルトめいていても温かい食事が取れるというメリットにかけるという選択肢も十分考えられるわけです。それでも、やはり私の推測が正しければ、今後一生ハンバーガーを食べられるなくなるようなトラウマを植え付けられる可能性もあるわけで……だから、個人的にはやめたほうが良いと思うんですよ。だってハンバーガーと都市伝説っていえば、有名なあれが……」

 不安そうでありながら、どこか楽しげにも語る白田さんの説明は悲鳴と嘔吐おうとする音で中断された。


 ハンバーガーを口にした数名がえずく。彼らの口の中からパテだったものがうねうねと動きながら出てきた。


 「ミミズバーガー、有名な都市伝説ですよね」

 白田さんの解説を待つまでもなく、彼らが口から吐き出したものをみれば、それは一目瞭然であった。

 加熱されているにもかかわらずうごめくように人々の口からはいでてくる無数のミミズ。

 

 ミミズに刺激されて涙と鼻水、そして胃の内容物をぶちまけた男がいた。

 彼の隣にいた連れ合いらしき女性はそれに釣られて同じく胃の内容物を盛大にぶちまけた。

 テケテケが引き起こした惨劇さんげきに比べればはるかにましであるが、それでもささやかな地獄絵図じごくえずがそこに展開された。絵の具の材料は様々な色の吐瀉としゃ物。その中で泳ぐようにうねる無数のミミズたち。


 「うんうん、やっぱりミミズバーガーですよねぇ。でも、ミミズはたぶん食べても死んだりしないから大丈夫です。私の同期にね、土中に住む甲虫の幼虫を食べたとかいう男がいましてね。それに蜂の子、あれはうまいですよねぇ」

 嘔吐の連鎖で体育館の中に酸っぱい臭いがしてくる中で白田さんは一人ニコニコしていた。


 「私も吐きそう……」

 うつむく絢子にハンカチを渡し、背中をさする。


 「トイレで吐いてくる?」

 

 耳打ちすると彼女はもじもじしながらうなずいた。

 ついていこうかとささやく。彼女はこくりとうなずく。


 「トイレはやめておいたほうが良いですよ」

 白田さんが割り込んでくる。

 彼はコミュニケーション能力や場を読む空気こそもっていないが、地獄耳の持ち主であるようだ。


 「トイレは……ほら、トイレ行くと死んじゃうでしょ。いや、男子小学生がトイレの個室に入ると、学校社会的に死が待っているとかいうやつじゃないですよ。トイレってのはやばいのがたくさんいるのは君たちもご存知でしょう?」

 先ほどまでの笑みを消して、彼が警告する。


 「白田先生、それは皆にちゃんとに伝えないといけないですよ。今まさにトイレに行こうとしている人、たくさんいるはずです」


 「僕の話って、聞いてくれない人多いんですよね。学生なんてすごいんですよ。授業しているうちに別の授業の学生が入ってきて、車座になって弁当食べたりするんです。教室に唐揚げ弁当の臭いが充満してさ……」

 白田さんは天井にはさまったバレーボールを仰ぎながらつぶやく。

 さして真面目な学生ではない自分が見てももはや異次元レベルの話であるが、どうも彼は大学教員なのに学級崩壊に悩まされて、おかしくなったらしい。いや、もとから多少変な人なのだろうけれど、それでもさすがにこれはない。


 「大丈夫です。ここは大学じゃないし、俺たちがついてますから」

 

 【→こうしゃないにトイレあり】


 貼り紙がご丁寧にも用意されていて、それを見つけた人は校舎に向かおうとしている。


 俺は「注目してください! 注目!」と叫ぶ。

 白田さんを紹介し、彼が危険を避けるための仮説を持っていることを伝える。


 「ご紹介にあずかりました白田です。近代から現代にかけての伝承を研究しています」

 自己紹介をはじめた白田さんを見て、立ち上がり外に出ていこうとした人がいる。

 俺は慌てて彼らを引き止める。白田さんに向かって手をまわして、「巻いて」の合図を出す。


 白田さんが自分たちに襲いかかる危険が都市伝説の存在であること、知識があれば危険の回避が可能であることを説明していく。


 「そして、学校のトイレといえば皆さん、ご存知ですよね。花子さんに赤い紙、下から伸びてくる手、避けがたい危険の宝庫です」

 ちょっと嬉しそうに説明する白田さんに「さっき回避可能って言ったじゃないか!」とヤジが飛ぶ。


 「そのとおりです。回避可能です。行かなければ良いんです! トイレは外で複数人で済ませれば安全でしょう」

 ヤジがさらに飛び、もはや怒号である。

 トイレに向かおうとする人をなんとか押し留める。


 「だいたいそんなこと言ったって、最初のテケテケってのと不気味なサングラス二人組とさっきのハンバーガーだけでしょ。例が少なすぎてまだわからないじゃない?」

 年配の女性が白田さんの考えに疑念を示す。

 彼女はひっきりなしに足踏みをしている。その動作にはいらだちを示すのと尿意を押し留めるという二つの役割があるのだろう。


 髭面ひげづらの男性がうろうろとあたりを歩き回る。彼はビールの缶を握りしめていた。アルコールによる利尿作用、わざわざ酒を用意した理由はこれなのだろうか。だとしたら、ひどく性格が悪い。

 男性はぶるっと震えてから口を開く。


 「なぁ、それによ、あんたが話す前にすっと出てったやつがいるからな。そいつらがそろそろ帰ってくるだろう」


 そうだそうだという声。

 それを打ち消したのは外、おそらくトイレで発されたのであろう絶叫だった。


 髭面の男性と年配の女性がへなへなと座り込んだ。

 絶叫に気を取られてしまって制御不能になったのだろう。

 少し遅れてアンモニア臭があたりに漂った。

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