03 防災無線
下半身のない少女、足をもぎとられて同じ姿の化け物になった元被害者たちは闇の中に消えた。しかし、その後もしばらくは放心したように動けない者がほとんどであった。俺もその中の一人である。
あたりからすすり泣く声とささやく声が聞こえる。
俺は
俺が泣き出してしまったら彼女を苦しませるような気がした。だからやせ我慢をした。体は震えても涙だけは流さないようにする。それで彼女を守れるわけでもないのに俺は変に
しばらく二人で身を寄せ合って体を震わせているうちに少しずつ落ち着いてきた。他の者も同じようで、周囲ではふらふらと立ち上がる者も出てきた。
すると、その様子を見ていたものでもいるかのようにふたたびあたりの街灯が消えていく。
涙に濡れても端正な絢子の顔が闇の中に消えていく。
はぐれないように絢子の手をしっかりと握る。
地獄に落ちろ。先ほどそうは言ってみたが、そもそもここは地獄そのものではないか。
一見すると何の変哲もない街並みだが、おかしい場所だ。おかしな場所でおぞましく恐ろしい怪物にも襲われる。
この世界を統べるものが何かは知らない。
しかし、奴あるいは奴ら、それ、それらはこの世界が俺たちの住む世界とは似て非なるものであることをもはや隠そうともしなくなった。
闇の中、防災無線がなる。
「法務調査調停監視庁よりお知らせです。危険が差し迫っていますので、皆様、公園にお戻りください。繰り返します。危険が差し迫っていますので、皆様、公園にお戻りください」
感情の籠もっていない機械のような棒読みの声が聞いたこともない役所名を名乗り、俺たちに公園に戻れと告げる。そもそも「法務」とこの地獄の何が関係あるのだろうか。
無線が終わると、公園に向けての道にうっすらと街灯が灯る。
これを頼りに公園に戻れという意図なのだろう。
民家は相変わらず真っ暗で、そこから誰も出てくる気配はない。
ただし、何かが出てきたとしても、それはどうせろくでもない化け物の可能性が高い。
ならば何も出てきてくれないほうが良い。
「何が危険じゃ! もうその危険とやらに足持ってかれるとこだったわ。くそがっ!」
誰かが毒づく。
聞こえよがしにツバを吐く音がした。
「そうだそうだ!」
「なんなんだよ? あの化け物は?」
「無線の前に助けに来いや!」
まわりから賛同を示す声が複数上がり、ざわめく。
「ねぇ、本当に公園に戻ってだいじょうぶなのかな?」
絢子が心配そうにこちらを見上げる。
確かに彼女の言う通りなのだ。
先程の踏切のように危険が待ち構えているかもしれない。
「誘導された先でまた化け物ってのは嫌だよね」
思い出してもぞっとする。
絢子の手に力が入ったのがわかる。
俺は震える彼女の背中をさすってやる。
「どうしよう……」
「それについてなんですけどね」
ひょろっとした中年男性が俺たちの会話に強引に入ってきた。
ぎょっとして相手を見る。
鳥の巣のようなぼさぼさの髪、無精髭、ところどころ猫のひげのようにひょんと伸びているがまったく可愛げがない。
ばりばりと頭をかきむしる。舞い落ちるフケが街灯の明かりを反射して輝いた。
大変申し訳無いが、一言でいうとあまり、いや本当に申し訳ないが全く清潔感のない男性だった。
「僕ね、見てたんだですけど。君がなんか叫んだらあれ、たぶんテケテケだと思うんですけど、なんか引きずられていって消えましたよね。僕、正直びびりまくってて聞き取れなかったんですが、君、なんて言ったんですか?」
頭に汚い鳥の巣を載せたような男が早口でまくしたてる。
俺のことを見ていたらしい。
あまり嬉しくないし、それほど重要な話なのかもわからない。
それに、公園と何が関係あるのだろうか。
よくわからないが、とりあえず答える。
「地獄に落ちろって言ったんですよ、確か。あのとき、すごくムカついてたんで」
「ああ、そうですか。地獄に落ちろ、ですか。大変、良い答えですよ。素晴らしい、本当に素晴らしいです」
鳥の巣頭氏はニコニコしながら頭をかきむしる。
雪ではない白い粉が光のもとできらめく。俺は少し身をひいてしまうが、彼は気づいていない。
「よくわからないんですが、どういうことでしょうか?」
「いや、うん、まだ思いつきみたいなもんですから、あとでお話しますよ。ただね、僕の思いつきが正しければ、公園に戻ったほうが良いと思います」
鳥の巣頭氏が真剣な表情でいう。
彼はそのまま大声で続ける。
「皆さん、戻ったほうが良いです。おそらく防災無線から流れてきたことは本当です。従ったほうが良い。はやく移動しましょう」
早口でなおかつところどころどもるので、なんというか頼りない。
「あんでだよ?」
「あのですね。まだ事例が少ないので断定していいものかといえば、良くないのですし、僕も本来ならば断定したくないのですが、今ここで二つの選択肢があり、どちらかを選択することによって危険を軽減できるとするならば、それはここで一つの仮説めいたものにそって行動することも必要なのではないでしょうか? 要するに僕が考えるには、ここでの危険には何かしらの解決策が残されています。解決策が残されているとすればいくらそれが多少理不尽なもののように見えようとも一種のゲームなんです。ゲームマスターがいて、それは殺意を持ちながらも、ちゃんと生存のための道筋も示しているわけです。もちろん、昔のクソゲーのように理不尽な初見殺しやハメがそこら中にあったとしてもです」
鳥の巣頭氏はまだるっこしい話し方をする。ちゃんと聞いていれば、言わんとしていることはわからないのでもないが、とかくまだるっこしい。その上、「あー」だの「えー」だの「うー」だのとやたらと母音をはさむことが多い。
だから、彼の言うことに耳を貸さなかった者もいた。
それでも多くは彼の言うことを聞いて公園に戻ることにしたようだった。
たとえそれがまだるっこしいものであっても、迷っている時に道筋を示してくれるのはありがたいものなのかもしれない。
俺たちが公園に戻るとカウントダウンがはじまった。
カウントダウンを聞きつけて、外に出ていく人、あるいは中に入っていく人様々だった。
俺と絢子は肩を寄せ合って、座っていた。
何が起ころうと、とりあえず彼女と離れ離れになるのだけは嫌だった。
公園の入口近くに座ったのは公園の内にいるという選択肢を取りながらも迷ってしまう俺の心の発露だ。
カウントダウンが終わる。
外から悲鳴が聞こえた。
公園の外に出た人が戻ってこようとする。
男女三名が走ってくるのが見える。
老人が転ぶ。すぐに闇の中に消えていく。
甲高い悲鳴をあげながら走る女性もなにかに足を取られ、闇に飲み込まれていった。
最後の男性は公園の入口までたどり着いたものの、そこで場違いなパントマイムを始める。
公園の入口には外からの侵入を拒む見えない壁があるようだった。本当に壁はあるのだろう。彼にはパントマイムの経験などないだろうし、万が一経験者であっても今この場でそれを俺に披露する意味はない。
「おい、助けてくれ。頼む」
パントマイムを続けながら男が叫ぶ。
後ろから青白い手がたくさん伸びてくる。手は無数にあるが、体は一つも見えない。
「頼むよ、お願いだから、頼むから助けてくれよ。あぁ」
男が倒れる。
無数の青白い手に引きずられていく彼に手を差し伸べる勇気は俺にはなかった。
俺は絢子を抱きしめると痛くなるぐらいに目をつぶった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます