02 踏切の少女

 すべてを飲み込むような闇の中、俺たちは音と明滅するかすかな明かりをめざして進む。


 「いてっ!」


 鈍い音がした。

 誰かが電柱にぶつかったらしい。

 それぐらいに真っ暗なのだ。

 

 「おいおい、気をつけろよ」


 笑い声がどこからかする。

 よくわからないところに放り出された緊張が誰かのたんこぶで少し和らいだ。


 「ずいぶんと長い踏切だね」

 絢子あやこが言う。

 たしかにそのとおりだ。

 先程からずっとカンカンとなり続けている。


 「開かずの踏切ってやつだよね」

 ひっきりなしに列車が通り、踏切はいつまでたってもあがらないというやつだ。


 「でもね、開かずの踏切って電車の本数が多い時だよね。こんな時間になるものなの?」

 絢子の返事で背中が一瞬冷たくなる。

 確かにそのとおりだ。

 気味が悪い。

 汗ばんでいるのは彼女の手なのか、それとも俺の手か。はたまた両方ともなのだろうか。

 

 開かずの踏切の正体を考えようとしている俺の背筋がまたぞくっとする。今度の原因は突然、明滅し始めた街灯である。夜中にフラッシュを焚いたときのように一瞬だけ人影があらわれて、暗闇の中に戻っていく。


 一瞬であっても明るくなるのは嬉しい。しかし、この明滅は気味が悪い。

 気味の悪さを言語化しようとしながら、同時に絢子を近くに引き寄せる。

 襟ぐりの広めのブラウスで肩口に手が入る。

 彼女の肩は暑さが原因ではない汗でじっとりと濡れていた。


 彼女を心配させないようにと口を開いた瞬間、俺の外に出かけた声は吹き飛ばされる。

 悲鳴と絶叫が鼓膜をびりびりと震わせる。


 鳥肌がたつ。

 反射的に彼女をさらに引き寄せる。

 体を寄せ合い、音のした方角に顔を向ける。


 明滅していた明かりが、見どころを逃すなとばかりに光度を増した。


 先を歩いていたであろう数名が走ってこちらに戻ってくるのが見える。

 

 走っている一人の男の足元に妙に小柄、いや妙に不可解な人影がすがりついた。


 転倒した男が絶叫する。

 彼を見てしまった俺たちは悲鳴をあげることもできずに息をのむ。


 絶叫する男の足元にすがりつき、人形の足をもぐかのように男の足をひきちぎったのは中学生くらいのセーラー服の少女であった。

 少女はスカートを身につけていない。

 はく必要がないのだ。下半身がないのだから。

 スカートがあるべき場所の肉体、つまり下半身は見当たらず、上半身からは内臓のようなものをずるずるとひきずっている。 


 「わたしの足、返して」

 前衛的な舞踊でも踊っているかのようにびくびくと痙攣けいれんする男に少女が妙に通る甲高い声で願う。

 男は当然答えられない。痙攣する体とあふれかえる血が返答する権利を奪っている。

 少女は自らの内蔵、男の内蔵、さまざまなものをふりまわしながら飛び上がる。


 恐怖で足がすくんだ俺は絢子をだきしめながら、惨劇さんげきをぼけっと見つめていた。


 少女は足がないにも関わらずものすごいスピードで〈〉いた。


 「足、アシ、アシアシアシアシカエシテ」


 絶命した男の横で倒れてすすり泣く女性がいた。彼女の足はジーンズごと引っこ抜かれた。

 先の男と同様、女性は死に、不可解なダンスを踊るかと思えばそうはならない。

 下半身をうしなった女性は、彼女の下半身を奪ったモノと同じように飛び上がる。 

 セーラー服の少女と同様、上半身だけの姿となった女性は泣きわめきながら老人のところに疾走する。


 「アシアシアシアシアシカエシテェ」

 足をひきちぎられた女性が絶叫する。

 老人の体が引き裂かれていく。


 俺の横でそれまで固まっていた絢子が悲鳴をあげる。

 絢子の悲鳴で恐怖ですくみ呆けていた俺の足と頭に血流が戻る。


 セーラー服の少女が俺たちのそばまで迫ってきていた。


 「私は足がないのに。私は寒いのに。私には楽しい未来がないのに」

 ぱっと光った街灯が少女の顔を照らす。

 彼女の目から赤い涙がべたりと流れ落ちる。


 「なのに、お前らは楽しそうで!なのに、お前らはしっかり足で歩いていて! 私の足、返して」

 俺は絢子の前に立つと、じわじわと後退りする。


 少女が大きく口を開くと絶叫する。


 「アシ、アシッ、アシアシアシカエシテェェエェエエェェ」


 彼女は両手で飛び上がる。

 セーラー服のスカーフと腹から出た臓物が揺れる。


 俺は絢子を後ろに突き飛ばして逃げろというのが精一杯だった。


 死の間際に見る走馬灯という現象は本当に存在するものらしい。


 幼稚園の頃のお遊戯会やら小学校の運動会、中学生のときの部活や勉強の日々が流れていく。

 高校受験、部活、後輩として入学してきた絢子との出会い、少しずつ二人の距離が近づいていく。心臓の鼓動、受け入れられた時の喜び。目をうるませた頬を火照らせてうなずく彼女。楽しい日々。

 大学受験、喧嘩、つかの間の別れ、よりを戻す。彼女の大学受験、同じキャンパスで過ごす日々、彼女の上気した顔……俺の幸せな生活。


 無性に腹が立った。

 俺がセーラー服の少女の足を奪ったわけでもない。微塵みじんも関係していない。

 それなのに、俺の楽しい生活を終わらせる権利がどうしてあるのだ。


 ものすごく腹が立ったのだ。

 俺がここで死んだら彼女はどうなるのだ。

 さして時間稼ぎもできずに俺がここで死んだら、彼女はあの化け物にすぐに捕まってしまうだろう。

 このわけのわからない場所で俺の死を悲しむ暇すら与えられない。あの優しい子が化け物同様の姿となって泣きわめきながら、別の人を襲う?


 そんなことは許せない。

 何もできないかもしれないが、ただただ腹が立った。

 

 俺はまとわりつき、足を恐ろしい力で引っ張る化け物に叫ぶ。


 「くそったれ! 地獄に落ちろ!」


 俺の足をつかんでいたものすごい力がふっと消える。

 少女の顔が真っ青になる。

 

 「ヤメテヤメテヤメテゴメンナサイ」

 彼女の臓物がなにかにものすごい勢いでひっぱられていく。


 「イタイイタイイタイオネガイタスケテイヤダイヤダイヤダ」

 少女が血の涙を流しながら、地面に爪を立てる。

 それでも目に見えない何かはものすごい勢いで少女を後方に引っ張っていく。

 化け物に足を取られて化け物の仲間にされてしまったとおぼしき女性たちの悲鳴と懇願も聞こえてくる。


 「イヤダイヤダゴメンナサイゴメンナサイ」

 少女の片腕が地面から離れる。

 片腕で地面にしがみつきながら、少女は懇願する。

 

 俺はもう一度「地獄に落ちろ」という。

 憤怒の表情を浮かべながら少女は闇の中に引きずられていった。

 アスファルトには爪が刺さり、赤黒い筋がついていた。

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